▼ 02

羊くんがキッチンにお皿を下げにきたのは僕が席を立ってからゆうに30分は過ぎた頃、あらかじめ取り分けておいた夕飯の材料で簡単に明日の分の弁当を作り、それを冷蔵庫にしまっていた時だった。
洗い物の済んでしまったシンクを覗いた羊くんが申し訳なさそうに眉を下げる。

「遅くなってすいません……おれ洗ってもいいですか?」
「あ、ありがとう。助かるよ」
「いえ、おれが悪いので」
「ううん、僕こそごめんね。全部食べてくれたんだ」
「あ、はい。おいしかった、です」
「はは、無理しなくていいよ。頑張ったね」

ぽん、と頭を撫でると、羊くんは目を丸くして僕を見上げた。
首を傾げると慌てたように水道に向き直るけれど、その表情は少し照れたようにはにかんでいる。
コンロを磨きながら少し考え、僕は羊くんに好きな食べ物を尋ねた。

「あ、ええと好きな食べ物……卵と肉と、あ、あと苺、とか」
「へえ、苺ね。じゃあ後で買ってくるよ。明日の朝食べようか」
「……え、朝?」
「あれ、今日泊まっていかないの?」
「えっ!」
「少なくとも狼はそのつもりだと思うけど」

途端にあわあわとうろたえた羊くんは、洗剤の泡に手をつるりと滑らせた。
危うく落としかけたグラスを寸前で握りしめて顔を真っ赤にする彼は、躊躇わずに靴まで舐めてみせたわりには意外と純情なのかもしれない。
少し微笑ましくなったけれど、食器が減る危険は避けたいので黙って皿を拭くことに専念していたら、しばらくしてから僕をちらちら窺う何か言いたげな視線に気がついた。
ん? と首を傾げると、おずおずと「烏さんって」と切り出される。

「うん?」
「あ、烏さんでいいんですか? 呼び方」
「うん、いいよ」
「あ、はい。あの、烏さんはあの、……狼さんのこと、好きなんですか?」

一瞬手が止まる。
嘘をつくべきかどうか少しだけ考えた。
けれど結局、この質問に対して僕はいつも正直に頷いてしまう。

「うん、好きだよ」
「え、あ、じゃあおれ……」
「別に心配しなくていいよ。羊くんを邪魔に思ってたりはしないし、むしろ応援してる」
「えっ、え……?」
「どのみち狼と烏じゃ生殖できないしね」
「……え? え、せい、しょく……?」
「はは、ごめん。つまり、狼とどうこうなろうって気は全くないってこと。僕は狼の性癖には付き合えないよ」
「でも、あの、あの……こんなこと言ったら思い上がってるように思われるかもしれないんですけど」
「羊くんに嫉妬しないのかってこと?」
「あ……は、はい……」
「しないよ。でも別に羊くんを相手にしてないってことじゃくて、単に元々妬かない性格ってだけ。そもそも僕は狼に何も求めてないし」

そう言うと羊くんは納得した口ぶりで、しかしその実不可解そうな表情で、最後の皿の泡を流した。
けれど理解できないのはお互い様だ。
きゅっと蛇口を閉める音。それを見計らったかのように狼が顔を出す。

「羊、風呂沸いたから入ってこい」
「あ、え、あ、はいっ!」
「ふ、何どもってんだよ。何なら一緒に入ってやろうか?」
「えっ!?」
「はは、烏も入るか?」
「いや、僕はいいよ」
「あっそ。んじゃ行くぞ、羊」

赤面した羊くんの手から皿を受け取り、布巾で拭き上げる。
ちらちらと僕を気にしながら羊くんが引きずられて行った後、僕は苺を買いに行くべく財布片手に部屋を出た。





「それでまた逃げてきたってわけだ」

暗がりの中、薄い唇がにこりと笑みを作る。
とうに日付は変わり、深夜2時。
羊くんのために買ったパックの苺はもうぬるくなってしまったかもしれない。

「別に逃げてきたというわけでは」
「僕に会いたかった?」
「ええ」
「それなら嬉しいけれどね」

言葉とは裏腹に、からかうような軽い口調。
くすりと笑う細い喉を戯れに撫でれば、白い裸身がくすぐったそうによじられた。

「もう出ないよ」
「それは残念です」
「ふふ、満足してないなら口でしてあげようか?」

カーテンの隙間から覗く月明かりに浮かぶ両の瞳は、楽しげに細められている。
美しく儚げで、しかし酷薄そうな相貌。
以前彼を指して狼が言った、狐みてえな男、という言葉をぼんやりと思い出す。
それよりシャワー行きましょうか、と返せば、彼は肩を竦めてうっすらと笑った。

「まあ逃げてきたっていいんだけどね。それで君が楽になるんなら」
「どうしたんですか先輩、珍しく優しいですね」
「何言ってるの、僕ほど優しい人はいないよ」
「はは」
「でも、いつまでそんなこと続けるのかなとは思うよ」
「迷惑ですか?」
「僕が? まさか。そうじゃなくて、君の報われない恋の話だよ」

報われない恋の話、その言葉についため息をつきたくなった。
わざわざ自分のことを人に話すほど物好きでもない。だから狼とのことを話したこともないのに、どうしてこの人はこうも察しがいいのだろうか。

「ふふ、図星だった?」
「……先輩」
「ん?」

首を傾げて微笑む彼を、結局もう一度シーツに押し倒した。

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