▼ 03

夜9時。皆でお泊りという非日常のせいかちっとも寝ようとしなかった姪っ子5人がようやく全員力尽きた。
1階では夏子姉さんと松坂さんを肴に宴会が続いている。松坂さんにとっては初っ端からハードな展開だろうと同情を禁じ得ないが、かといって助けられるわけでもないので心の中で無事を祈るだけに済ませて、俺はチビ達5人が思い思いに転がっている布団をそっと抜け出した。

今どこですかとメッセージを送ってから部屋着を適当な服に着替える。携帯、財布、煙草とライターをポケットにつめてそっと家を出ると、「逢引きか」と声をかけられた。
庭をのぞき込むと、縁側に座っていたのは太一くんと平岡さんだった。

太一くんは上から4番目の姉、冬美ちゃんの夫であり、かつ桜と桃の父親である。18歳の若さでできちゃった結婚をした時はどこからどう見てもヤンキーですという格好をしていたが、6年経ち少し落ち着いた今でもどことなくチンピラ感がぬぐえない。
一方一番上の姉、春香姉さんの夫であり優香と知香の父である平岡さんはお堅い銀行員で、いかにも真面目にまっすぐ生きてきましたという感じ。こういう縁がなければ全く関わりなさそうな二人だが、おそらく女ばかりの喧しい会合に疲れたという点は一致するのだろう。
大谷家に親戚が大集合した際の男達は、とにかく肩身が狭いのである。

「逢引きって何ですか」

先輩からの連絡はまだ返ってきていなかったので、誘われるまま太一くんの隣に座って煙草に火をつけた。
太一くんはともかく、平岡さんも意外と未成年の喫煙には寛容なので助かる。

「男できたんだって?」
「優香と翔子ちゃんが言ってたよ」

太一くんが笑い、平岡さんもにこやかに付け足した。思わずむせた。

「できてませんよ」
「またまた。すげーな男子校」
「いやできてないですって。ただ先輩と遊びに行くだけ」
「イケメンなんだって? 俺がやったローション使った?」
「使ってない!」

嘘だった。本当は使った。でもそんなこと口が裂けても言えない。

「でもまあ、あの中で育てば仮に男に走ったとしても無理もないよなあ」

太一くんが家の中を振り返る。

「何がですか?」
「女への幻想がことごとく打ち砕かれる感じっつうか」
「そもそも幻想を抱く隙もなさそうだよね」
「ハハハ違いねーっすね」

ハハハって。夫達が何を言うんだ。

「しかもめちゃくちゃ顎で使われてるしなあ。こえーなお前の姉ちゃん達は」
「そうだ、子ども達の寝かしつけありがとうね」
「明日もどっか引き連れてってくれるんだって? 悪ぃな」
「いや……」
「ごめんね、軍資金あげとくよ」
「あ、じゃあ俺もこれ」

財布を取り出した平岡さんは、固辞する俺にいいからいいからと言いながら一万円札を押し付けた。が、続いて太一くんが取り出したものは断固として拒否した。というのも、

「いやこれはいらないです」
「先輩と使えよ」
「使わねーよ」

太一くんが財布から取り出したのはいわゆるコンドームだったので。
小さな真四角のパッケージが何かくらい、今まで縁がなかった俺でもさすがに分かる。

「太一くん持ち歩いてるの? 若いねえ」
「備えあれば憂いなしっていうじゃないすか。つうか宏樹、現役高校生なんだからお前が持ち歩け」
「いやいらないいらない」
「つってもお前高一の夏だぞ。しかも今から夜遊び行くんだろ。可愛い女と知り合ったらどうすんだよ」
「どうするって言われても」
「ちゃんと避妊しとかねえと若いうちのできちゃった婚はきついぞ。嫁の実家での肩身の狭さったらねえよ」
「そうでなくても狭いけどね、この家は」
「ハハハ、そーっすね」

いらないと言っているのに、太一くんは俺の尻ポケットに無理矢理ねじこんできた。
顔を見合わせて笑いあっている太一くんと平岡さんに脱力していると、縁側の窓ががらりと開いた。

「ちょっと何してんの! こんなとこで煙草吸わないでっていつも言ってるでしょ、ご近所迷惑なんだから!」
「ゴメンゴメン」

怒鳴り込んできた冬美ちゃんに、太一くんがいそいそと腰を上げる。
尻に敷かれてんなあと思っていたら、冬美ちゃんはキッと俺を睨んだ。

「あんたも何やってんの。未成年でしょさっさと禁煙しなさい」
「はーい……」

慌てた俺も、煙草をもみ消しいそいそと逃げ出したのだった。





駅の近くにいるとの連絡が来たのは、家から少し離れたところだった。自転車に乗ってくればよかったと思ったが、引き返すのも面倒だったのでそのまま歩くことしばらく。
住宅地を抜け交差点を渡り駅の裏手に出たところで先輩に電話をかけた。表側の商店街にいるとのことだったので、構内を抜ける。小さなアーケード街は少し離れたところに最近できた大手ショッピングモールにも負けずがんばっているが、さすがに夜なので大体の店は既にシャッターを下ろしていた。
ちなみにシャッターの多くにはラビ夫が描かれていて、つまりこの商店街が俺の愛するマスコットキャラ、ラビ夫の産みの親なのである。

アーケード内をのぞきこんでみるが人影はない。もう少し裏に入れば飲み屋が並ぶ通りがあるが、そっちにいるのだろうか。と思ったところで、後ろから肩をたたかれた。

「ごめんね、夜に」
「先輩」

どこかで追い越してしまったのだろうか、後ろから現れた先輩の顔を見たら、なんだかほっとしてしまった。
地元に帰ってきて初日なのに、実家で慌ただしく過ごしたせいか既に高校生活が遠い世界のことのように思えて、先輩とのこともなんだか夢の中の出来事のような気がしてしまっていたのだ。
でも先輩はこうやって会いに来てくれて、今まさに俺の地元にいる。

「なんか不思議な感じがします」
「ん? 何が?」
「元哉さんがここにいるのが」

先輩は首を傾げてにこりと笑った。高校の外で会う先輩は「人気者の生徒会長」ではなかった。普通の男子高校生、というにはややイケメンすぎるしオシャレすぎるけれども。道端のガードレールに腰かける姿はなんだかモデルみたいだけれども。
俺もつられて隣に腰かけ、そして気がついた。

「あれ、髪切りました?」
「ああ、うん。昼にそこで、三人で」

先輩が商店街の中を指さす。オシャレな美容室ではなく、パンチパーマのおっちゃんがしている理髪店だった。
俺も中学時代まではそこによく散髪に行っていた。というのも、

「じゃあラビ夫もらいました?」
「うん、これ」

先輩がポケットから出した鍵に一つ、きらりと光るラビ夫くんキーホルダー。
散髪に行くとオマケで貰えるこれが、何を隠そう過去の俺の月一の楽しみだったのだ。

「うわ、いいな新作だ」
「あ、そうなの?」
「ですよ。初めて見るやつ。俺も明日行こうかな」

キーホルダーを見せてもらいながらふと思い出す。

「そういえば慎二さん達は? 一緒じゃなかったんですか?」
「ああ、さっきまで一緒だったけどラーメン食べ行くってどっか行った」
「元哉さんは? 晩飯食べました?」
「三人で焼肉行った。これ以上食えるあいつらすごいよ」
「へえ」

焼肉、ラーメン、小さな町なのであそこだろうなとすぐ当たりはついた。味には間違いないと思う。とはいえ舌が肥えているわけではないので先輩達の口に合うのかは自信がなかったが、先輩がおいしかったと言ったので安心した。
別に俺の手柄では全くないが、地元の町を褒められるとなんだか嬉しい。

不意に商店街の入り口の電気が薄暗くなった。消灯時間なのだろうか。
アーケードの先、飲み屋の集まる裏通りへの曲がり角だけが、まだ明るく光っている。遠くから陽気な酔っぱらいの笑い声がかすかに聞こえる。
対照的に、俺達がいるここは薄暗く、人通りも少なく、静まり返っている。時折電車が来た時に帰宅途中らしき人が数人出てくるくらい。

「今日何時までいれますか?」

そういえば、と思い出して尋ねると、先輩は「何時でも」と即答した。

「え? どうやって帰るんですか? というか家どこですか?」
「家はA市だけど」
「えっ? 全然真逆じゃないですか」

先輩が告げたのは、高校をはさんで反対側の地名だった。高校からここまでもバスと電車で数時間。決して近くはない、というか決して気軽にふらっと遊びに来られるような距離ではないはずだった。
終電は何時だったっけ、そもそも直通でいけるのか?乗り換え?と焦った俺は、検索のために携帯を取り出した。が、先輩は「いや本当に大丈夫」とそれを止めた。

「遅くなると思ってたから、もう泊まろうかと思ってホテルとってて」
「あ、そうなんですか。慎二さん達と?」
「うんまあ、部屋は別だけど。あいつらは二人で泊まるって」
「へえ……」

そりゃそうか、付き合ってるんだもんな。と思いつつもなんだか生々しいなと思っていると、ガードレールに乗せていた手を不意にそっと撫でられた。

「……宏樹も泊まりに来る?」
「え?」

ひそやかな誘い文句に顔を上げると、先輩は少し目を細めて微笑んだ。先輩と後輩としての、あるいは友達同士のような日常会話とは違う、そういう時にみせる先輩の顔だった。

ふと思い出した。初めて将棋に負けた時。また泊まってってよと言われた時のことを。
その時俺は、そういうことは段階を踏んでから、と答えたはずだった。そして、既に段階は踏んでいた。それこそもう直前まで。

じわりと汗をかいたのは、夏の夜の暑さのせいだけではなかった。緊張しながら俺は、小さく頷いた。

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