▼ 02

知香をトイレに連れていって帰ってくると、騒ぎはすっかりおさまっていた。優香と翔子は美衣姉を挟んで未だに恋愛話をしているらしい。桜と桃は俺の携帯を交代に回しながら口々に何か喋っていて、いつの間に来ていたのか麻衣ちゃんがにこにこしながらそれを見ている。……ん? 麻衣ちゃん?

「なあ、あいつら誰と喋ってんの?」

知香を電話組に送り出し美衣姉をつつくと、美衣姉は「知らなーい」と軽い返事をして肩をすくめた。

「麻衣ちゃん呼んだあと電話来てたから勝手に出ちゃったんじゃない?」
「えっ誰から?」
「だから知らないってば。ヒロくんの友達ならどうせ亀次郎とかじゃないの?」
「そんな友達いねーよ。鶴ちゃんのこと言ってんの?」

ちなみに鶴ちゃんとは中学の将棋部で一緒だった鶴田くんのことだが、もちろん名前は亀次郎ではない。

「鶴次郎でも亀次郎でもどっちでもいいよ。どうせ地味部の地味男くんでしょ」
「失礼な」
「ていうかチビ達に聞きなよ」

それもそうだ、とちょうど携帯を相方に渡した桜をつつく。

「ねえ、電話誰から?」「知らなーい」「え? 知らない人?」「あのね、電話来てね、桜が出たの」「うん」「だから誰か分かんないけど、お喋りしてる」「マジ? なあ、桃代わって」「やだ! まだもしもしする!」「えー……じゃあ名前聞いてくれる?」「おなまえ?」「どなたですかーって」「どなたですかあ?」

弾んだ声で携帯に叫んだ杏奈は、しばらくした目をぱちぱちさせながら俺を見上げた。

「あのね、もとやくんだって!」
「もとやくん?」

はて誰のことだろう、と一瞬考えてしまったのは、桃の舌ったらずな喋り方と、それからこのやかましい実家の空間と高校生活がうまく繋がらなかったせいでもある。しかしそれが繋がった瞬間、俺の手は反射的に桃が握りしめている携帯に伸びた。

「ちょっと代わって!」
「やだってば! まだ桃のばんなの!」

俺の手を華麗によけた桃は、携帯を握りしめたまま部屋の隅っこに逃げていく。

「おい桃!」「その次は桜の番だからね!」「いやマジで、ちょっと引っ張んな桜、痛いって」「もしもし、あのね桃はハンバーグが好きなんだけどもとやくんはなにがすき?」「もー返せってば……」

追いかけようとしたが桜にしがみつかれ、そのまま床に崩れおちる。頭上から、美衣姉の呆れたような声が振ってきた。

「何慌ててんの? 誰もとやくんって」

うるせーよ。と言いたかったが、姉に逆らわないようになっている俺の口は大人しく白状する。

「高校の先輩……」
「あ、もしかして例の彼氏?」

とそれに答えたのは麻衣ちゃんの柔らかい声で、途端に美衣姉とその両脇から甲高い声が上がった。

「えっヒロくん彼氏できたの?」「あのねー桜も彼氏いるよ!」「かっこいい?」「優しい?」「それともお金もちなの?」

多分どれも正解だが別にそれで選んだわけではなく、というかそもそも彼氏がいるだなんてことは口が裂けても言えるはずがなかった。しかし彼氏じゃないというのも嘘になるわけで、どうしようか悩むうちも追撃は止まる気配はない。

「ねえヒロくんマジで彼氏できたの? ウケるんだけど」
「いや……」

ウケねーよ。

「この前言ってた先輩でしょ? 」
「ち、ちが」

いや違わないけど。

「ねーねーヒロくんの彼氏どんな人?」「かっこいい?」「優しい?」「かけっこ速い?」

足の速さはさすがに知らない。

「どっちが告白したの?」「優香はねー、ケイくんに告白されたよ! 美衣お姉ちゃんは?」「あたしもされた。懐かしいなー」「麻衣お姉ちゃんも彼氏いる?」「うん、いるよ」「かっこいい?」「うーん、どうかなあ」「何で選んだの? お金?」「ふふ、違うよ」

よし話が逸れた! と思った俺は、桜を抱き上げて美衣姉に押しつけ、桃に忍びよる。

「あのね、ハンバーグにはカレーかけたらおいしいんだけど、桃のママはいつもケチャップかけちゃうの。でもパパはでみぐらソースがいいんだって。だからすぐけんかしちゃうの」

一体何の話なのか、いやハンバーグの話なんだろうけど突然そんな話を聞かされている先輩の困惑を思うと非常に申し訳ない。
心の中で手を合わせながら背後からこっそり手を伸ばし、

「でもママカレーににんじんいれちゃうから、桃きらいなのに、あっ!」「もしもし元哉さん? すいませんうるさくて、いてっ」「なんでとるの! まだ桃がおはなししてるのに!」「ヒロくん次桜の番!」「やだあ! まだもとやくんとおはなしするの!」「知香も電話するー!」「痛いってばおい知香噛むな!」

身長の差で立っていれば携帯は確保できているものの、その分足は無防備である。ようやく麻衣ちゃんがチビ達を押さえてくれて人心地ついた時、携帯からは先輩の押し殺した笑い声が届いてきた。

『はは、大丈夫?』
「すいません騒がしくて……」
『いや面白かったよ。親戚?』
「です。姪っ子なんですけど、今日姉が結婚相手連れてきてて皆集まってて」
『そっか、ごめんタイミング悪かったな』
「いや全然、というかこちらこそ。何か用事でした?」
『あー……』

 とそこでふと言い淀んだ先輩は、少し悩んだ末『実は』と続けた。

『西園寺と高槻が今からそっち方面に遊び行くらしくて、ラビ夫の限定グッズがどうとかで。だからもし宏樹が夜とか暇だったら俺も便乗して行こうかなと思ったんだけど』
「暇です!」
『え、でも忙しそうだしまた改めてでもいいんだけど』
「夜でしょ? 全然大丈夫! 何時頃こっち着きますか?」

と勢いこんで言った時、ようやく室内の視線が俺に集中していることに気がついた。

「えーヒロくん暇なの? 知らなかったー」「知らなかったー」

一体どこまで事態を理解しているのか、優香と翔子が顔を見合わせて無邪気に笑い、それが電話ごしに聞こえたらしい先輩も『やっぱり出直そうか』と苦笑する。

「あ、いや、でも……」
 
どうしようかと思いながら室内をぐるりと見回した俺の視線は、最後に美衣姉のそれとぶつかった。
何かたくらんでいるような楽しげな表情になんとなく嫌な予感がした時、美衣姉は満面の笑みを浮かべて言った。

「今夜あたし一人でチビ達の寝かしつけするのイヤだなあ」
「あ、じゃあそれは俺が……え、皆何時に寝るの?」
「優香8時!」「翔子も!」「桃わかんなーい」「桜と桃ちゃんは7時に寝てるよ!」「知香もわかんなーい」「知香は優香と一緒!」

「お風呂入れるのも大変そうだなあ」
「えっ風呂? それはまずいんじゃ」
「皆今日ヒロくんと一緒にお風呂入る?」
「入る!」「桃も!」「じゃあ知香も!」「やだあ恥ずかしい」「翔子はヒロくんとでいいよ!」「えーじゃあ優香も一緒に入ろうかなあ」

「明日もどっか連れてってやんなきゃね。姉ちゃん達どうせ宴会して二日酔いだろうし」
「遊園地!」「動物園!」「お買い物いきたーい!」「桃はおうちでアンパンマンみる!」「ダメ。子どもは元気に外で遊びなさい」「じゃあ知香は公園!」
「俺の体は一個しかねーよ」
「あとあたしハーゲンダッツ食べたいなあ」

6人に増えたわがまま娘達を前に、もはやため息しかでなかった。

「分かった、風呂入れて寝かせてハーゲンダッツ買ってくるから。明日どこ行くかは皆で決めといて」
「遊園地!」「動物園!」「お買い物!」「公園!」「えーと桃はじゃあ海!」
「一か所にしろ!」

大変ねえ、と麻衣ちゃんが笑った。他人事のようだ。いや、実際他人事なんだけど。
美衣姉ちゃんも笑う。あたしも明日は彼氏と遊びに行こっかなあと言って。
肩を落とした俺は、すっかり放置していた携帯を耳に当て直す。

「全員寝かしつけてからでもいいですか?」
『うん全然。何時でもいいよ』
「すいません……」
『いや俺こそごめん、大変そうだな』
「大丈夫。がんばります」

先輩は笑い、じゃあまた連絡してと電話を切った。
俺は室内の惨状に向き直りながらも、夜を楽しみにするのだった。


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