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風邪の話


梅雨が明けると一気に気温が上がり、山奥の学園にも夏が到来した。屋外に解き放たれた運動部は同じく活動を始めた蝉の鳴き声に競うように大声を上げ、屋内は屋内で今年はグアムだのヨーロッパだのいや国内だのと夏休みの計画に余念がない。一方単なる一庶民である俺にそんなセレブ的バカンスを過ごす財力はないので帰省するか寮に残るかな二択なのだが、それはさておき俺は現在、夏風邪に倒れていた。

「7度8分かあ。下がんないね」
「んー……」
「夏風邪は長引くって言うしねえ。あ、食べ終わったんなら薬飲んで」
「うん……」
「はい、じゃあ横になって。ちゃんと布団かけてあったかくして寝な」
「暑い」
「わがまま言わない。はいお休み」
「ありがと……」

土日を挟んで欠席は既に3日目。
金持ち学園らしく各教室および寮の各部屋に完備されているクーラーで冷えでもしたのだろうかとは思うが、原因が分かったところで既に引いてしまった風邪はどうしようもない。
期末試験もそろそろ近いというのに熱を出して寝込んだ俺は、こうして小島に世話を焼かれつつ何か食べては薬を飲み寝るというサイクルをひたすら繰り返しているのだった。

実際その甲斐あって日に日に回復しつつあるような気もするし、試験勉強もまだ十分間に合う時期でもある。
が、現在風邪を引いて一番困っているのは実は体調でも試験勉強でもなく、心細さというか人恋しさである。

確かに小島は朝晩飯を運びがてら俺の様子を見に来てはくれるのだが、それだって数分のことだし、かと言ってまさかもうちょっといてよなんてことはとても頼めない。
風邪を移すわけにもいかないというのももちろんあるが、男同士で、友人相手にそういうことを言うのもどうだろうかと思うわけだ。
だがそもそも実家が大所帯で風邪を引こうがなんだろうが必ず誰かが近くにいる環境で育った俺としては、ただでさえ体調が悪くて心細い中で一人ぽつんと部屋で寝ているという現状はどうにも寂しい。
そのうえ、こうして心細さに襲われているのを見計らったかのように先輩からお見舞いメールが来てしまったりするから、余計に寂しくなってしまうのかもしれない。

「あー……」

届いた数行のメールの中には、俺の体調を気遣う言葉がいくつか。それから最後に早く会いたいなんて付け加えられている。
どうしよう、と少し悩んだが、結局俺は電話帳を開き、発信ボタンを押した。
画面が切り替わって1コール、2コール、3コール目で再び表示が変わる。

『もしもし?』

耳元に流れてきた先輩の声に、無性に安心してしまった。だからだろうか、俺の第一声は我ながら非常に弱々しかった。

「元哉さん……」
『大丈夫? 体調どう?』
「それは相変わらずなんですけど、あの」
『うん、どうした?』

先輩の優しい声に、言おうか言うまいか少しだけ悩んだ。しかし結局、寂しさと人恋しさに負けてしまった。

「会いたいです……」

言ったはいいものの、どうしようもないことは分かっていた。先輩の部屋に行ける体調ではなかったし、反対に先輩に来てもらうわけにもいかない。
もし先輩が訪ねてきたところを誰かに見られでもしたら洒落にならないし、多分小島にも迷惑をかけてしまうことになるだろう。
しかも俺は小島に、いつかちゃんと話さないとと思いながらも未だに先輩と付き合い始めたことを報告できていないのである。
だからどうにしろ俺の風邪が治るまで先輩に会えないことに代わりはないが、それでも言わずにはいられなかった。
たかが風邪、されど風邪。どうやら俺は、自分で思っていた以上に弱ってしまっていたらしい。

そんな俺の心境が伝わったのか否か、先輩は少しの間黙りこみ、そしてぽつりと言った。

『何号室だっけ、部屋』
「え?」
『こっち来るの無理だろ、俺が行くよ』
「いや、でもそれはさすがにまずくないですか」
『大丈夫。ちゃんと変装していくから』
「変装って」

先輩の言う変装が一体どんな物かは分からないが、人に見られても先輩だと分からないならば何の問題もないのだろうか。
いやどうだろう、先輩の熱烈なファンならばたとえ変装していてももしかしたら見分けられるかもしれない。とまた少し悩んだが、

『俺も会いたい』

そんなことを言われてしまっては尚のこと、先輩に会いたいという気持ちに勝てるはずもなかった。





「話があるんだけど」

電話を切った後怠い体を引きずって起き出し、念のためマスクを装着し、少々寒気がしたので体にタオルケットを巻きつけ、よろよろと部屋から出ながらそう切り出すと、共有のスペースである居間のソファーに寝転んで携帯をいじっていた小島は驚いたように俺を見上げた。

「え、今?」
「うん、今」
「寝てなくて大丈夫なの?」
「うん」

薬は飲んだが昼間もずっと寝ていたせいで眠くはないから、大丈夫かと聞かれれば大丈夫だが、立っているのは辛い。
だからついそのまま壁にもたれてずるずるとしゃがみこむと、小島はころんと寝返りをうってうつ伏せになり、心配そうに眉を寄せた。

「何、どうしたのこんな時に。急用?」
「うん……」

勢いこんで出てきたはいいが、何から話したものかどうか迷ってしまう。何を話したいかと言えば先輩を部屋に呼んでしまったことに対する事後承諾を得たいわけだが、さてどう話したものか。
と、つい言い淀んでいたら、小島は訝しげに首を傾げ、そして不意に冗談めかして笑った。

「なーに、告白? 悪いけど僕彼氏いるから」
「知ってる。というか違う」
「なんだ、大谷に好きとか言われたらどうしようと思っちゃった」
「言わねえよ。そうじゃなくて俺もさあ、あの……」
「え、もしかして彼氏できた?」

そう言った小島の口調は半ば冗談のような軽いものだったが、しかし的を得ていた。
すぐに肯定できなかったのは俺がいまだに自分に「彼氏」がいるということに慣れていないせいだったがそれはともかく、否定しない俺を見て小島は目を丸くし、勢いよく飛び起きた。

「マジで!? 大谷彼氏できたの?」
「まあ、うん、そう。できたっていうか、うん、いるんだけど。ごめん言ってなくて」
「それはいいけど何で今その話?」
「そう、あの、部屋に来てもらってもいいかというか」
「えっ今から? ここに?」
「うん、あっいや駄目だったら駄目で」
「いやいやいいよ全然呼びなよ! 何だったら僕も彼氏のとこ行くから遠慮なく、あっでも僕も見たいなあ。どんな人? ってか誰?」
「あー……」

聞かれるだろうと予想はしていたが、いざその質問をされると返答に困ってしまった。
なぜなら俺が以前まだ先輩の名前を知らなかった頃、一度小島に先輩とのことを洗いざらい喋らされた時に、俺は小島に言われているのだ。もう会わない方がいい、と。
要するに俺は小島の言葉を完全に無視してしまったわけで、しかもそれ以来先輩と再会したことも、先輩の部屋に遊びに行くようになったことも、それから先輩に告白されたことなんかも、何も伝えてはいなかった。

もちろんいずれ話すつもりはあった。
小島が意地悪で先輩に会うなと言ったならばまだしも、そうではなく俺を心配してくれていたわけだから、そのうち時期を見て先輩とのことを報告し、小島の好意を無下にしてしまったことを謝るつもりもあったのだ。

が、既に述べた通り俺はまだそうできていなくて、なぜかと言えば自分の恋愛について人に話すことに慣れていないだとかそのせいで気恥ずかしいだとかいう理由ももちろんあるが、正直また怒られたら嫌だなという理由もなかったと言えば嘘になる。

「……怒んない?」

だからおそるおそるそう尋ねると、小島は「ん?」と首を傾げ、それから何か悟ったのか、すっと笑みを消した。

「まさか大谷」
「ご、ごめん」
「ってことは前言ってた先輩? イケメンの?」
「……です」
「うわー……マジかあ。え、誰だったのその人。親衛隊いなかった?」
「い」
「……いた?」
「いた……」
「……」

絶句した小島が、額を押さえて宙を仰ぐ。
居たたまれない気持ちになって視線をうろうろさせていると、小島は呆れたような目を俺に向け、そして自分の隣をぽんぽんと叩いた。

「ちょっと座って。洗いざらい話してもらおうか」
「う、うん」

小島のアドバイスを無視したこともそうだしその後何の相談も報告もしなかったことに対しても申し訳なさを覚えつつ、言われるがまま小島の隣に腰を下ろす。
すると小島は、ソファーに片足を乗せてずいと身を乗り出してきた。

「で?」
「え?」
「誰だったの? 付き合ってるってことはさすがにもう名前分かってるんだよね?」

そっと窺うと、小島は呆れつつもどうやら他人の恋愛に対する好奇心の方が勝っているらしい。目を輝かせているその表情にややほっとしながら、小島の質問に頷きを返す。

「うん、まあ」
「いいなー親衛隊がいるイケメンかあ。いや良くはないんだけど、でもいいなあ。どの人?」
「あの、3年の……」

と、そこまで言いかけたところで、不意に玄関チャイムがピンポンと軽快な音を立てた。途端、目を輝かせた小島が弾かれたように立ち上がる。

「僕が出る!」
「え」
「いいよいいよ、大谷は座ってて! ほらあれ、風邪だし! 無理しないでそこにいていいから!」
「あ、うん……」

言っていることは優しいというか確かに立ち上がるのも怠い体調なので普通にありがたいのだが、しかし口調にあからさまな好奇心と興味が透けすぎている。
が、気圧されるがまま頷く頃には既に小島は玄関にすっ飛んでいった後で、すぐに扉の開く音が聞こえてきた。

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