▼ 02
胸元に二つ、それから臍の左横あたりにもう一つ。俺をソファーに押し倒しながらすっかり薄くなっていた赤い痕をつけ直した先輩は、今度はもう少し下、腰骨に唇をつけた。
「っ……」
くすぐったさの中に、ほんのりと甘い感触。
まるで壊れ物を触るように指先でそっとなぞられ、もう一度唇の濡れた感触。吸い上げられ、ちり、と吸われるかすかな痛み。
裸の腰を抱きしめられ、遅れて心臓が激しく動き出す。確かめるようにもう一度強く吸われ、それから歯の硬い感触が皮膚をへだてて骨にぶつかる。
もちろん本気で歯を立てたわけではなくて甘噛み程度だけど、ぞくりと背筋が震えた。
「あ……」
思わず漏らした声は、自分でも分かるほど上ずっていた。
先輩は顔を上げ、俺を見て嬉しそうに口の端を緩めた。
「かわいい顔してる」
こういう時に先輩に言われる「かわいい」は、やっぱり嫌な気持ちはしなかった。むしろ嬉しかった。一体どんな顔だろうという恥ずかしさはあったけれど、それでもやっぱり嬉しくなってしまう。
何か返事をしようと思ったけれど、こういう時に軽口を叩けるほどの余裕はまだ持てそうになかった。
黙ったまま手を伸ばす。知り合った頃より少し伸びた先輩の髪は、さらりと細く指に心地いい感触がした。
先輩はまた嬉しそうに目を細め、そして俺のズボンをずり下げた。例によって、気が付かないうちにいつの間にかベルトは外されていたのだった。
下着の上から掌でそっとなぞられる。腰の奥が甘く疼く。
とっくに形を変えていたそれは下着を押し上げていて、それがバレてしまったことがとても恥ずかしい。
「あー……すいません……」
「なんで謝るの」
「だって、また一人で勝手に興奮しちゃった……」
答えると、先輩は俺を見上げ、唇の端をそれはそれは綺麗に引き上げた。
「噛まれて興奮すんの? ほんとかわいいね」
「……っ」
思わず息をのんだ。少し意地悪そうに笑った先輩のその表情にどきりとしたからでもあるし、先輩がそのまま俺の下着に唇を押し当ててきた衝撃が大きかったからでもあった。
「えっ、わ、待っ……」
「舐めていい?」
吐息まじりに尋ねた先輩は、やっぱり尋ねたくせに返事も待たずに俺の下着に指をかけた。外気にさらされた先端を、先輩の指がなぞり上げる。
舐める?どこを?そこを?
反射的に腰を引こうとしたが、一瞬遅かった。薄く開かれた唇から、ちらりと赤い舌がのぞく。裏側を下からなぞって上がってきた舌が先端を一舐めし、かと思うとつるりと口の中に飲み込まれた。
「……!」
言葉が出なかった。思わず上体を起こし、眼下に広がる光景に息をのんだ。
根元まで飲み込まれたそれが少し強めに吸い上げられ、腰が跳ねる。
ふ、と息をはくと先輩は一旦口を離した。解放されたものがうっすら濡れて光っていて、思わず喉を鳴らしてしまった。
「嫌じゃない?」
先輩はもう一度先端に唇を添え、それから俺を見上げた。かすかな吐息が俺の肌をくすぐる。
口の中はからからに渇いていた。とても返事なんかできなくて、何度か頷くので精一杯だった。
先輩はにこりと微笑み、もう一度俺を口の中に迎え入れてくれた。
頬の裏側の粘膜の温かさと、舌の柔らかさ、それから口の上側の少し硬い感触。
知識としては知っていた。こういう行為があることは。
もちろん経験はないので情報源としては姉達の彼氏や旦那さん達が俺をからかいがてら提供してくれる雑誌やDVDやそういった類のものだが、確かにその中ではスタンダードに行われていることではあった。
でも、実際経験してみると話はまるで違った。だってよりにもよってしてくれているのが先輩なのだ。
ものすごく綺麗な顔をしたイケメンの男の人が、俺の下腹部に顔をうずめ、舐めたり吸ったりしてくれいている。それも嫌な顔一つせずに。それどころか、いやこれはもしかしたら俺の希望的観測なのかもしれないけれど嬉しそうな顔をして。
「っ、あー……待って、先輩、ヤバい……」
思わず呻くと先輩は俺のものをくわえたまま、問いかけるような顔で首を傾げた。
ぐ、と腹筋に力をこめて、今にも暴発してしまいそうなものを抑えるのに精いっぱいだったので、声を出すのもやっとだった。
「出そう、だから、離して……」
毎度毎度早すぎるとは思うが、経験もなければ耐性もないから仕方ない。
けれど、手を汚してしまうのとは訳が違う。さすがに口の中に出してしまうわけにはいかない。
と思ったのだが。
「ん、ぁ、ちょっ……!」
あろうことか先輩はそのまま行為を再開してしまったのだった。
再開、というかまるでラストスパートとばかりに口と舌が本格的に動き始めてしまった。
「あ、ぁ、待っ、だめ、っ……!」
慌てて先輩の頭を押しとどめようとしたが、伸ばした手には力が入らなかった。
それどころ、俺の手は勝手に反対に先輩の頭を押し付けるように力をこめてしまう。
快感に抗えないのは男のサガというやつなのだろうか。
「ふ、ーーっ」
無意識のうち、空いている手は腰のあたりで先輩の手を探りあてた。指先をからめる。力をこめる。
視線が合う。先輩が俺のものをくわえてくれている。背徳感と、それを上回る快感と、それから何だろうこれは、愛しさ、と言ってしまってもいいのだろうか。
先輩の指先がきゅっと握り返してくれた瞬間、今度こそ限界がきた。
「あー……」
思わず呻くと、先輩は小さく咳をして、ゆっくり口を離した。
つめていた息を吐きだすと、徐々に頭が冷えていく。
「すいません……」
息を整えながらなんとか呟き、先輩の口元に手を差し出した。出して、と促すと、先輩はちらりと俺を見て、それからこくりと喉を鳴らした。
「……えっ?」
「気持ちよかった?」
「えっ、あ、はい……えっ? 飲んじゃったんですか……?」
「うん」
頷いた先輩は、濡れた口元を手で拭うと例によって俺の服を手早く整え、それから固まったままの俺を軽く抱きしめ、ぽんと背中を一つたたいた。そのまま離れていった手は、テーブルの上からコーヒーカップを引き寄せる。すっかり冷めてしまっているだろうコーヒーを流し込むその白い喉をまだ呆気にとられたまま眺めていた俺は、くしゃっと髪を撫でられて我に返った。
「元哉さん……」
「ん?」
黙ったまま抱き着いた俺を、先輩の手は優しく抱き返してくれた。
好きだな、と思った。そんなありきたりな言葉じゃとても足りないと思ったけれど、うまい言葉は見つからなかった。
結局俺の口からこぼれたのはそのありきたりな言葉だけだったけれど、先輩は嬉しそうに笑ってくれた。
「俺以外のやつとこういうことしないでね」
一生しません、と間髪入れずに答えてしまった俺は、やっぱりチョロいと言われても仕方ないのかもしれない。
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