▼ 02

共同スペースから玄関までの間には短い廊下がある。その手前にある扉は半開きのままだが、うっすら届いてくる話し声はくぐもって内容までは聞き取れない。
だが、小島と先輩、つまり友人と恋人が今まさに顔を合わせて何か話しているという現状は無性にむずがゆく、なんとなく居たたまれないような気持ちになった。

とりあえずいつの間にかずり落ちかけていたタオルケットを体に巻きつけ直してみたり、無駄に髪を撫でつけてみたり、落ち着かないまま待つことしばらく。
足音と共に、小島が居間に戻ってきた。
ただし釈然としないような、何とも複雑そうな表情で。

どうしたんだろうと一瞬思ったが、しかし後に続いて入ってきた先輩の姿を見たら納得した。
なぜなら先輩は、寮内だというのにサングラスと帽子、それからマスクまで装着し、どうひいき目に見ても完全に不審者だったからだ。
しかも、

「……ふ、はは、何でよりによってその帽子なんですか?」

夏だというのにニット帽、しかもふわふわの耳当てと頭頂部に大きなポンポン付き。
思わず笑ってしまうと先輩は、「いや違うんだって」と若干苦々しい声で弁解を始めた。

「変装と言えば帽子だと思ったんだけどさ、持ってなかったから西園寺に借りたんだよ。そしたらこれ出してきてさあ。だから断じて俺の趣味ではなくて」
「いやそれにしたってちょっと不審すぎますよ」
「それは確かに俺も思ったんだけど。でもまあバレるよりはいいかなと思って」

不満げに言いながらむしり取るように帽子を脱いだ先輩が、次にマスクを外す。
と、副会長の名前に反応してか訝しげに眉を寄せ先輩を見ていた小島は、最後に先輩がサングラスを取ると目を真ん丸に見開き口までぽかんと開けた。そして、

「か、えっ、かっ、会長様!?」

上ずった声で叫びながら仰け反るように一歩下がり、持っていた携帯をがちゃんと床に落とした。





俺の部屋に先輩がいる、という光景は、妙に新鮮で不思議な感じがした。
そうひどく散らかしているわけではないが、なにぶん急だったのできれいに掃除しているというわけでもなく、何となくそわそわもする。
先輩もそわそわ、していたのかどうかは分からないがともかく、きょろきょろしたりうろうろしたりし、俺がベッドに座って隣をすすめるとようやくそこに腰を下ろし、かと思うとすぐに立ち上がった。

「しんどいだろ、寝てていいよ」

と言って。
確かに体調が悪いのは事実なのでその言葉に甘えて横になる。
ついでに換気をした方がいいかもと思いついて窓を開けてもらうように頼むと先輩は頷いてその通りにし、戻ってきて俺に布団をかぶせ、そしてその流れでようやくベッドの左横、というか床に落ち着いた。

「薬飲んだ?」
「はい、さっき」
「熱は? 測った?」
「それもさっき測ったとこで」
「何度?」
「あー……微熱くらい」

どこからどこまでを微熱と呼ぶのかは知らないが、無駄に心配をかけることもないだろう。
そう思って曖昧に濁すと、先輩は手の甲を俺の額にそっと当てた。ひんやりしていて気持ちがいい。

「熱い」

すぐに離れていってしまった手が名残惜しくてぼんやり視線を送っていると、先輩は少し笑い、それから今度は俺の首筋に押し当てた。

「小島くんに言ってなかったんだね」
「言おうとは思ってたんですけど。なんかタイミングがなくて」
「そっか。驚いてたね」
「驚いてましたね」

先ほど先輩との邂逅を果たした小島は、驚いて携帯を取り落とした後ふらふらと後ずさり、後ろにあったテーブルにつまずいて転び最終的にはソファーに沈んだ。
そして慌てふためいたまま先輩にぺこぺこ頭を下げて大谷はご迷惑をおかけしていませんか大丈夫ですか今後とも大谷のことを末永くどうかよろしくお願いいたしますと言って携帯を拾いがてら走って逃げだしたのだった。

高校に入学して数ヶ月が経つが、その間ずっと人の多いところを避けて過ごしていた俺は、いまだに外で先輩を見かけたことがなかった。
もちろん慎二さんや西園寺さん達生徒会の人達や風紀委員長と一緒のところは見たことがあるが、あの人達は別に先輩を見て騒いだりはしないので、先輩が人気者の生徒会長をしているところは見たことがなかったのだ。
だから、今回の小島の反応を見てようやく、先輩が本当に人気者の生徒会長なんだなあと実感したような気がした。

「元哉さんすごい人だったんですね」

だから言うと、先輩は苦笑いをした。

「そんなことないよ」
「でも会長様って言われてましたよ」
「言われてたなあ。西園寺の親衛隊なんだっけ」
「です。話したことありましたっけ」
「最初の頃言ってたよ。だからあいつの誕生日とか血液型とかも知ってるって」
「そうでしたっけ。全部聞いたそばから忘れちゃいましたけどね」

ベッドの上と下で叩きあう軽口が心地いい。俺の手を握りなおしてくれた先輩の指先のひんやりした温度も心地いい。
先輩の手はいつも少しひんやりしている。というのを知ったのは俺と先輩の関係が少し進展してからのことで、キスをしたり抱きしめられたりするようになってからのことだ。
今日の俺は熱があるからかいつもよりも先輩の手を冷たく感じて、その温度を感じていたらふと、なんというかそわそわした気持ちになった。
そわそわ、というかむずむず、というか、くすぐったいような、不思議な感じ。
いやもうごまかさずに正直に言うならむらむらなのかもしれない。

つないだ手を少しほどいて、ひんやりした指先を指で辿ってみる。先輩に触られた日のことを思い出す。
指を絡めると先輩の手はぴくりと動いて、それからゆっくり指を絡め返してくれた。

「……宏樹」
「はい」
「キスしていい?」

少しかすれた声で、先輩が囁いた。頷こうとして、けれど首を横に振った。

「だめです」
「え? だめなの?」
「俺風邪ひいてるし」

本当は俺もしたかったけれど、移したらいけないのでぐっと堪える。
一瞬面食らったような顔をした先輩は、「あー……」とうなって俺がかぶっている布団にぽすんと顔をうずめた。

「キスしたい……」

つないだ手に、少し力がこもる。
俺もしたい。でも口に出してしまったらますます我慢できなくなりそうだったから黙っていると、先輩は俺の指をなぞりながら違う話を始めた。

「宏樹何型?」
「血液型? Oです」
「ぽいな。誕生日は?」
「4月5日」
「もう終わっちゃったのか」
「です。元哉さんは?」
「A型。8月10日」
「真夏ですね」
「うん。宏樹夏休みどうするの? 帰省?」
「あーうーん、悩んでて。俺の部屋もないし」
「そっか、大家族」
「お盆は親戚大集合があるから顔出さないといけないんですけど。元哉さんは? 海外ですか?」
「いや行かないよわざわざ。宏樹が残るなら残ろうかな」
「へえ……」

なぞられ続ける指先がだんだんと熱くなる。
俺の手で遊んでいる先輩の指をきゅ、と握ってみる。

「嬉しい?」

冗談めかした言葉に、なんとなく堪らない気持ちになった。
もう一度指を絡めなおす。こんな風になんとも言えない気持ちになるのは、やっぱり熱のせいなんだろうか。

「元哉さん」
「ん?」

やっぱりキスしたいです。と言いかけたけれど寸前で堪えた。代わりに「夏休みどこか遊びに行きませんか」と言うと、先輩は嬉しそうに笑った。





いつの間にか眠ってしまったらしい。
目が覚めると部屋は薄暗くて、もう先輩の姿はなかった。代わりに机の上に走り書きのメモが一つ。帰るね、お大事にの文字をなぞって、部屋の電気をつけた。体の怠さはまだあるもののぐっすり寝た分少し体調が戻っているような気もする。元気なうちに風呂でも入ってしまおうと部屋を出ると、待ち構えていたかのように小島が走ってきた。

「大谷!」
「えっ、うわ、何」

血相を変えて俺の胸ぐらを掴んだ小島は、俺を壁に追い詰めた。そこから先は、怒涛のノンブレスだった。

「ねえもうなんなのどういうことなんで会長様と付き合ってんの意味分かんないというか会長様格好良すぎない?あんなに近くで見るの初めてだったけどヤバいよあれ何?同じ人間?まさか神?いやもう本当眼福ありがとう大谷でも何でよりによって会長様なのヤバいんだよ本当に会長様の親衛隊はマジのガチで本当にヤバいの会長様への崇拝度がヤバいしやることもえげつないの何でよりによって会長様なのうらやましいけど本当うらやましいけどっていうか何で会長様は大谷と付き合ってんのマジで意味わからんいやごめんあああうらやましいよおおおでも大谷本当絶対絶対誰にもバレないようにして本当にマジで会長様の親衛隊にバレたらいびられるとかイジメられるとかそういうレベルじゃなく冗談抜きで命が危ない」
「マジ……?」
「マジ。今回だけは本当に約束して」
「分かった……」

気圧されるままに頷くと、小島は俺を解放し、そして床に崩れ落ちた。

「あああやっぱりうらやましいよおお僕も会長様と、いややっぱり西園寺様と付き合いたい!」
「……」

かける言葉が思いつかなかった俺は、風呂を諦めまた体調が悪くなったフリでそっと部屋に戻ったのだった。

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