▼ 01

キスマークの話A


好きなんだけど、と突然告白された時、思わずぽかんとしてしまった。
相手が話したことはもちろん、多分見たことさえない人だったからだ。

雨が降っていた日のことだった。
じめじめとした薄暗い放課後、教室を出たところを知らない人に呼び止められ、人気の少ない廊下の端に誘われた。

ネクタイの色から先輩と同じ3年生の人だろうということは分かったが、学年が分かったところで仕方がない。
しかしどなたですかとも聞けずに戸惑っていると、慌てたように学年とクラスと名前を名乗られ、そして本当に焦っていたのだろうか、そのままとりとめのない自己紹介が始まった。

好きな食べ物はカレー、好きな教科は体育、好きな漫画はキャプテン翼で趣味も特技もサッカー、好きなゲームはウイイレ。そんなことを矢継ぎ早に話され、思考が追いついていなかった俺は気圧されるままうんうんと頷いていただけだったのだが、サッカー部の部長であるということを聞いたところでようやく口を挟むことができた。

「じゃあ上野の先輩ですか」
「あっそうそう、上野と仲いいんだよな」
「あ、はい、まあ」

頷いた俺に、会話の糸口を見つけたと思ったのかその人、3年E組の西田さん、はぱっと顔を輝かせ、今度は嬉々として上野の話を始めた。
今この状況で上野の話題が出てくるのも考えてみればおかしな話なのだが、大人しくそれをふんふんと聞くことしばらく、ようやく話題は一回転して元の場所へ。

「で、さあ。大谷くんのことが、好きなんだけど」
「好きって、ええと」
「今まで話したことないのに急にこんなこと言ってあれなんだけど、なんつうか上野とか、あとほら転入生とかと喋ってんの見て、かわいいなーと思って」
「……かわいい」

おそらく一般的に、かわいいと言われて喜ぶ男は少ないのではないかと俺は思う。
例えば同世代の女の子にかわいいと言われれば、いや経験はないので想像でしかないが、おそらく男として見られていないというかなんとなく情けなさを感じるような気がする。
それがしかも男に言われれば尚更のことだ。

だが、それにも関わらず同じ男相手にかわいいだなんて言葉が普通に出てしまうのは、この学園の特殊性ゆえのことなのだろうか。
例えば先輩だってそうだ。いつもというわけではもちろんないが時々、「そういう」雰囲気になった時に言われることがある。
それは別段嫌ではないしむしろ嬉しい、というかいやそれは今は置いておくとして、やっぱり一般的には複雑な気持ちになるのは仕方ないんじゃないだろうか。

と、そんなことをつらつらと考えていた俺の心境を察知したのかどうなのか、西田さんは慌てたように目を瞬かせた。

「あ、悪い。かわいいとか言われても嬉しくないよな」
「あ、いえ、まあ」
「ごめん、つまりえっと、いいなと思って。付き合ってくれないかな、と」
「付き合う……」
「それとももう彼氏いる?」
「彼氏……」

無駄におうむ返しするばかりですぐに肯定できなかったのは、その「彼氏」という言葉に一瞬慄いてしまったからだ。
確かに俺は先輩と付き合っているわけで、さらに先輩は男なのだから「彼氏」という言葉は正しい。が、男の俺に「彼氏」がいるという現実を客観的に突きつけられると、なんと言うか微妙に複雑な気持ちになったのだ。

しかし確かに俺が先輩のことを好きなのも先輩と付き合っているのも事実だし、だとすれば先輩は俺の「彼氏」なんだなあ、などと一人ぼんやり考えていると、西田さんは躊躇いがちに質問を変えた。

「あ、もしかして地元に彼女置いてきたとかそういう感じ?」
「あ、いや彼女はいないんですけど」

今度は即答できたのはおそらく、残念ながら俺の人生において彼女ができたことが一度もないからだろう。
その勢いでようやく、彼女はいないが彼氏はいるという事実を告げなければとは思ったのだが、

「でもあの、か、彼氏、は」

ついどもってしまった。
ただし今度はさっきのような複雑さ云々ではなく、単純にその「彼氏」という言葉の響きにどうにもそわそわしてしまって。
しかし西田さんはそれだけで察してくれたのか、いかにも運動部的ないかつい肩をしゅんと落とした。

「いる?」
「いま、す」
「そっか……」
「……すいません」
「あっ、いやいや謝らなくていいんだけど、あーでもそうだよな、いないはずないか」
「え?」

いないはずない、とは?

「だよな、当然いるよな」
「え、当然?」
「だって大谷くんモテるっしょ?」
「えっ? いや全然」
「いやいや謙遜しなくてもいいけど、だよな、やっぱりもう遅かったかあ」
「いや……」

別に謙遜ではなく本当にモテないんだが、西田さんの目に俺は一体どんな風に映っているのだろうか。
果てしなく謎だったが、ともかく西田さんはひとしきり残念がった後、俺に一枚の紙きれを握らせた。
「もし何かあったら連絡して」との言葉を添えて。

「何かって?」
「喧嘩したとか別れたとか」
「あー……」
「もしくは別れる気はないけどちょっと火遊びしたい時とか」
「えっ!? いやそれはちょっと」
「はは、それは冗談だけどまあ本当に何でもいいよ。愚痴でも相談でも、別に都合のいい話相手でも何でも」
「……」





という経緯を俺が説明している間中、先輩はずっと険しい顔で件の紙切れを見つめていた。一度開いてみたが、電話番号とメールアドレス、それからメッセージアプリのIDが添えられていたはずだ。俺が話し終えると先輩はその紙切れから顔を上げ、

「これ捨てていい?」

と言いながら既に右手でそれを握り潰していた。
それに対して、

「あっ」

と思わず声を上げてしまったのは別に惜しかったわけでも何でもなく単にそのいつになく乱暴な行為に驚いたからだったが、先輩は何か誤解してしまったのか、険しい顔をさらに険しくした。

「連絡するつもりだった?」
「えっ、いやまさか」
「じゃあいらないよね」
「いらないですけど……」

といい終わる前に既に先輩の右手はその紙切れをゴミ箱に放り投げていた。

さてなぜ今こんな状況なのかというと、件のメモ一体どうしたらいいものかと悩みとりあえずポケットに入れあろうことかその存在をすっかり忘れた俺が、放課後着替えもせずに先輩の部屋へお邪魔したからだった。
そしてなんというかそういう雰囲気になった際にそのメモが急にポケットの中でカサカサ主張を始め、不審に思った先輩が俺のポケットに手をつっこんだことで事が発覚した。
というのが大体の経緯である。

「つうか誰?」

先輩は厳しい表情を崩さない。
まるで尋問されるような雰囲気に気圧されるまま西田さんの名前を告げると、先輩は綺麗な眉をぐっと寄せ、「あいつか」と呟いた。

「知り合いですか?」
「部長だろ、どっかの。予算会議で見たことある」
「へえ」

そんなことまで生徒会の仕事なのか。と思ったけれど今は置いておくとして。
問題は先輩の機嫌が急降下していくことだった。怒っている、というか、いやこれはもしかして、やきもちだろうか。
自分が嫉妬深いタイプであることは既に分かっているし日々折に触れて実感し続けていることではあったが、そういえば先輩がどうなのかは知らなった。
残念ながらモテるわけでもなく経験豊富でもないので、少なくとも俺に関しては今までそういう機会はなかっただろうとは思うけれど。
が、やきもちですか、と軽く聞ける雰囲気ではなかった。
黙っていると先輩は眉根を寄せたまま口を開いた。

「あのさ、今まで聞かないようにしてたんだけど宏樹やっぱりモテてる?」
「やっぱりって? 全然モテませんけど」
「告白されたりしてない? これが初めて?」
「いや元哉さんが初めてです。今日が2回目」

一瞬面食らったように目を丸くし、先輩は小さく息を吐いた。

「俺が最初で良かった……」
「え?」
「そいつに先に告白されてたらどうしてた? 付き合ってた?」
「いや付き合わないんじゃないですか、知らない人だし」
「でも連絡先もらっただろ。連絡取ってたら知らない人でも知ってる人になっていくだろ」
「え?」

何を言ってるんだろうこの人は。
いや言っていることは分かるが。

「いやまあ、でも知らない男に急に告白されたら正直怖いっていうかビビりますよやっぱり」
「でも宏樹優しいからなあ」
「えっ別に優しくないですよ俺」
「いや優しいよ。だって俺だって最初会った時は知らない人だったのにいつの間にか心開いちゃって今はこんなことになってるわけだし、なんというか懐が深いというか」
「別にそんなことは……」
「流されやすいというか、チョロいというか」
「……」

そんなこと思ってたのか?
若干釈然としない気分だったが、続く言葉で吹き飛んだ。

「皆に言いたいな。宏樹は俺のって」

そんなことになったら、俺が食堂で慎二さんから副会長達に引き合わされかけただけですっ飛んできて怒鳴り込んできた小島はきっと泡を吹いて倒れるだろうし、俺は先輩の親衛隊から駆除されてしまうかもしれない。
でも正直なところ、想像したら嬉しくなってしまったのだった。
思わず口元を緩めてしまったが先輩はおそらく気が付かなかったのだろう。

「印つけてていい?」

と硬い声で言った時先輩は既に俺のシャツのボタンを外し、その下のTシャツをめくりあげていた。
拒否するつもりははなからなかったが、その手つきがいつもながら鮮やかすぎて驚く。
どれだけ経験を積めばそんな技が身につくんだろうと一瞬もやっとしたが、先輩の唇に肌をなぞられれたらすぐにそんなことを考える余裕はなくなった。

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