▼ 02

こういうことをするようになってからしばらく経つが、先輩はいつからかキスの度に俺の耳を触ってくるようになった。
だからおそらく、もう体が覚えてしまっているのだろう。耳たぶをそっと撫でられる刺激に反射のように目を閉じて、先輩の背中に腕を回す。
最初の頃はただくすぐったいというか何か変な感じしかしなかったのだが、最近では何というかこう、そわそわするというかむずむずするというか、上手く言葉では表現できないが少なくとも前とは違う感触がする。
もうちょっとしてほしいような、けれどこれ以上されたら何か大変なことになってしまいそうな、そんな感じなのだがともかく、次いで這わされた舌に応えようと口を開いたその時、しかしまるで見計らったかのようにポケットの中で俺の携帯が振動を始めた。

「……」
「……」

低く唸る振動音は先輩の耳にも届いたらしく、先輩の指も舌も、ぴたりと動きが止まる。
目を開けると先輩は眉を下げて俺を見つめ、そして小声で「出る?」と囁いた。

少しだけ悩んだ。
このタイミングからして、相手はおそらく小島だろう。だとすれば内容は聞かずとも弁解か謝罪だろうと予想はつくが、はたして無視するのもいかがなものだろうか。
だが結局、気づいた時には俺の口は勝手に「後でいいです」と続きをねだってしまっていた。

「……そっか」

そうしたら先輩があまりにも嬉しそうな顔をしたから、遅れてじわじわと恥ずかしさがこみ上げてきた。
思わず俯くと、先輩の手がするりと俺の腰の辺りに伸びてくる。
その手に引き寄せられ密着度合いが高まれば俺の心臓はどんどん速くなって、今度こそ舌を絡めとられた時にはもう、携帯のことも小島のことも、完全に意識の外に追いやられてしまっていた。

「ん、……っ」

口内を探られ、音を立てて舌を吸われ、じんと頭の中が痺れる。
実は最初の頃俺は、先輩にそういう目で見つめられる度に恥ずかしい逃げたい消えたい緊張しすぎて息ができない云々のループに陥っていた。けれどそれが徐々に薄れていくにつれ、たとえ不意打ちでされてもそこそこ平気な顔で受け止められるようになった。

とは言っても、あくまでそれは一瞬だけの軽いやつのことだ。もっと濃い方になるとまた話は別で、抱きしめられてそれから舌をなんやかんやされたりするとさすがに平静ではいられないし、未だに緊張したり逃げたくなってしまったりすることもないわけではない。相変わらず途中で息が続かなくなることも、わりとよくある。よくあるというか、白状すると毎回のことで、だから途中で、

「っ、待って……ちょっとタイム……」

こうやって先輩を押しのけてしまう。

「ん、もう限界?」
「すいません……」

息も絶え絶えで謝る俺をそっと抱きしめ、先輩はやさしく頭を撫でてくれる。
いつもこんな風に、先輩の部屋でキスをして、途中で俺が根を上げたら俺が落ち着くのを抱きしめたまま待ってくれて、そしてそのうちにキスをしたりとかそういう雰囲気が何となく消えてしまって終わるというのが大体のパターンなのだった。

先輩は優しい。
付き合う前からいい人だなあとは思っていたけれど、付き合いだしてからはそれまで以上には先輩の優しさを感じる場面が増えた。
普段ももちろんそうだが、例えばこういう時、先輩は俺が嫌がることは何もしない。途中で制止すればちゃんと止めてくれるし、もしかしたら物足りないと思っている時もあるかもしれないのに決して強引に事を進めてこようともしない。
先輩はとても優しくて、だから俺はその分だけ自分を不甲斐なく感じてしまう。

「すいません本当に」
「え、何が?」
「何か俺、いつまで経っても余裕なくて」

先輩は俺を気遣ってくれるのに、俺には先輩がどう思っているか気遣うことができない。自分のことで精一杯でそんな余裕は一つもないし、いや仮に余裕があったとしてもキスより先に進む心構えがあるかというと微妙なんだがとりあえずそれは置いておくとして、

「やっぱり肺活量とか鍛えた方がいいんですかね」
「ん? 肺活量? 何で?」
「だってそもそも息が続かないし」

目下の問題はこれだった。
もちろん緊張するだの恥ずかしいだのという精神的な問題もあるわけだが、それ以前に物理的というか生理的な壁が立ちふさがっているのだ。生まれ持ったものなのかそれとも慣れなのかは分からないが、どうして長いキスの間先輩が平気な顔をしていられる一方で俺一人がしにそうになっているのだろうかもしかして要禁煙かと思えば、

「え、もしかして息止めてる?」

先輩は驚いたように目を丸くした。
が、驚いたのはむしろ俺の方だった。

「え? 止めないんですか?」
「止めない止めない。息していいんだよ」
「え? ……えっ?」
「あーなるほど、そういうことか。だからいつも苦しそうだったんだな」
「そ……え……そうか息していいんだ……」
「ちょっと練習してみる? もう1回していい?」
「え、あ」

戸惑っているうちに、先輩の指にもう一度顎を持ち上げられた。反射的に目を閉じると、そっと唇が重ねられる。いつもなら最初は何回か触れるだけのキスを繰り返されるけれど、今度は二度目だからかすぐに舌が伸びてきた。
閉じたままの唇をくるりと一舐めされ、つられるように口を開けるとそのまま唇を割られて濡れた感触が侵入してくる。何度経験しても思わず逃げを打とうとする俺の舌は、けれど追ってきた先輩のそれにすぐに捕まってしまう。それからまあ、なんやかんや、なめられたり舌を絡めて吸われたり舐められたり甘噛みされたりして、そのうちに体が熱くなって息が苦しくなって、

「ちゃんと息してる?」
「分かんな……っ、無理……」

相変わらず息も絶え絶えになったところでようやく解放された。頭では分かっていても、キスの最中に息をしようだとか意識的に考える余裕はなかった。とんとんと優しく背中をたたかれつつ必死に酸素を取りこんでいたら、俺を抱きしめる先輩がふわりと微笑んだ。

「じゃあ息継ぎしながらしようか」
「ん、ぅ……」

頷くか頷かないかのうちに、もう一度。
回数をこなせば慣れるかと思いきや全然そんなことはなく、三度目のキスは今までの二回よりも早く酸素が足りなくなってきた。息継ぎしながら、の言葉通り時折口を離して小休止を挟んではくれるが、それでもすぐに頭がぼんやりしてくる。息苦しさも原因の一つだが、あとそれから息継ぎをすることで一緒に妙な声が漏れてしまうのも問題だった。

「っ、あ……」

が、熱くて柔らかい先輩の舌に撫でられるとそんな妙な声を我慢するなんてことは到底できない。それくらい夢中になってしまう。

もどかしいな、とふと思った。
抱きしめられてキスをして、これ以上ないくらいに密着しているはずなのに、もっとしたいと思ってしまう。
もっとしたい、というかされたい。何か、具体的に何をと聞かれると自分でも分からないが、何でもいいから何かもっと色々、先輩にされたい。

「……元哉さん」

堪らず名前を呼んだ。自分でも分かるほど、普段とは違う切羽詰まったような声が出た。そしてそれに「うん」と短く応えてくれる先輩の声もいつもとは違う、熱のこもった甘ったるい声だった。だからますます堪らなくなった。
しかし呼んだはいいものの続く言葉をうまく見つけられなかった。見つけられないまま、もう一度名前を呼んだ。

「元哉さん」
「うん」
「あの」

と続けてみたはいいものの、やっぱり言葉が見つからなくてもどかしい。

だがそうして焦れたその時、再び俺の携帯が振動を始めた。

「……」
「……」

見つめ合うこと数秒。先輩は今度はふと力を緩め、「出ていいよ」と笑った。また悩んだけれど結局頷いた。すぐ切るので、と断って通話ボタンを押す。

『もしもし大谷? さっきはあの、何て言うか……』
「ごめん、あのさ」

画面の表示は確かめなかったが聞こえてきたのは案の定小島の声で、しかしその少し焦ったような声を最後まで聞く余裕はなかった。

「悪い、後でかけ直す」
『え、あっごめん、忙しかった?』
「忙しいっつうか、とにかく今いいところだから後で聞くから」
『え? いいところって何が?』

小島の不思議そうな声で、ようやく失言に気づく。

「あ、いや……と言うか……」

おそるおそる視線を上げれば、先輩は驚いたように目を丸くし、それからふわりと目じりを下げた。その嬉しそうな笑顔に、俺の羞恥心は限界突破した。

「とっ、とにかくえっと10分後! 10分後にかけ直すから! じゃあね!」

えっ何どうしたの?と驚いたような声が電話口から聞こえていたが、無視して切った。切ったはいいものの、恥ずかしくて顔が上げられない。合わせる顔がない、と思っていたのに、先輩の手は容赦なく俺の顎をすくい上げた。

「今いいところなの?」
「あー……待って恥ずかしい……」
「続きしようか、あと10分しかないし」

顔を隠そうとしていた手をとられ、性急に唇が重なる。
抵抗をやめ先輩に身をゆだねた俺は、小島への言い訳を考えるのを後回しにしたのだった。


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