▼ 01

キスの話A


俺と先輩は普段そう頻繁に連絡を取りあう方ではない。
例えば上野は最近付き合いだした部活の先輩と昼休みに何往復もメッセージのやりとりをしながらにやにやしていたりもするし、小島も時々夜に部屋で彼氏らしき相手といつもよりワントーンくらい明るい声で楽しそうに電話している姿を見かける。
が、俺はといえば放課後に今日何時に生徒会の仕事が終わるだとかじゃあ何時頃行きますだとかの事務的な短いやり取りをするくらいだ。
用事がなければほとんど毎晩会っているからその時に話せばいいだけという理由でもあるのだが、そんなわけで俺の携帯はたいてい沈黙を守っている。

だがその日は珍しく、放課後の早い時間に先輩からの連絡があった。
正確には授業が終わって寮へ帰る道中、しかもいつものような短いメッセージではなく、電話で。
一体何事かと思えば、どうやら生徒会の他の人達に用事があり、かつ特に急ぐ仕事もなかったので、急遽休みになったらしい。

『だからもう帰るから、ちょっと早めに来てくれたらいいなと思って。もし用事なければの話だけど』
「行きます行きます。じゃあとりあえず風呂だけ入ってから、あ、晩飯どうします? 先輩食堂行くならその後の方がいいですか?」
『うーん、どうしようかな。宏樹いつも売店の弁当だっけ、俺も何か買って帰ろうかな』

なんて会話をしつつ、部屋にたどり着き扉を開いた俺は、

「じゃあ持っていくんで一緒に食べ、……えっ!?」

そこで思わず固まった。
携帯からは『え? 何、どうした?』だなんて心配そうな声が聞こえていたが、それに答える余裕もなかった。
なぜなら扉を開けた先、玄関を入ってすぐの廊下で、小島と知らない男が抱き合いかつ傍目にも濃厚なキスを交わしていたからだ。

「あっ」

俺に気づいた小島は、一瞬で真っ赤になった。それから恥ずかしそうに「お、おかえり」と呟き、知らない男、というかおそらく彼氏なのだろう人の肩に顔をうずめるようにして隠れた。
いや、隠れたというか顔を隠しただけで全く隠れられてはいないし、小島のシャツの中に彼氏の手が差し込まれているのも、二人のベルトが外されているのも何もかも見えてしまっているわけだがともかく、友人のそういう場面に遭遇してしまった俺は一瞬頭が真っ白になってしまったわけである。

耳に当てたままの携帯からは心配そうに俺を呼ぶ先輩の声が聞こえている。
小島は彼氏の肩に顔を埋めたまま微動だにしない。
俺も扉を開いたそのままの格好で固まっている。

そんな中、小島を廊下の壁に押しつけるようにして抱きしめあまつさえ体をまさぐりかけていた彼氏は、非常に気まずそうな顔で俺を振り向き、そして困ったように微笑んだ。

「えーと、ごめんね?」
「……っ!」

ごめんじゃねーよ部屋でしろよ馬鹿野郎!

とは叫べなかったが、それではたと我に返った俺は勢いよく扉を閉め、そして耳に当てたままだった携帯に向かって叫んだ。

「すいませんやっぱり今すぐ行きます!」





全速力で階段を駆け上がり先輩の部屋に飛びこむと、まだ制服のままだった先輩は困惑顔で出迎えてくれた。勢い余って先輩の胸に激突してしまったが、先輩は若干よろけつつも踏みとどまり俺を支えてくれた。

「どうした、何があった?」

先輩の心配そうな声とそれから先輩の体温に、少しだけ落ち着いた。が、昂った気持ちはそれでも尚おさまりきれていなかった。

「聞いてくださいよ! 小島が! あいつマジで!」
「えっ、うん、ええと同室者だっけ?」
「そう、そうなんですけど、さっき玄関あけたらあいつそこで彼氏と、……その、何て言うか」

そこまで言ってつい続きを口ごもったのは、何もキスという直接的な言葉を口にすることが恥ずかしかったわけではなく、小島と彼氏のその現場をありありと思い出してしまったからだ。
いや前者の理由もないと言えば正直嘘になるし、だからこそ先輩が、

「もしかして真っ最中だった?」

だなんてさらに一段飛び越えたようなことを言った時も咄嗟に上手く反応できなかったわけではあるが。

「えっいやそこまではしてないですけど、そうじゃなくて、あの、ちゅーとか……」

もごもごと説明しながら、いやちゅーってなんだよと自分でも思ったが、既に口から出てしまった言葉をなかったことにもできない。
いい加減そろそろこういう話にも慣れてきてもいいような気もするが、なかなかどうして自分でもどうにもできないものだ。
とにかく、そんな風に我ながら少々気持ち悪く恥じらう俺に、先輩は不意に安心したようにほっと息を吐いた。

「そっかそういうことか。良かった、何か危ないことでもあったかと思った」
「あー……すいません心配かけちゃって」
「いや、何もなかったなら良かったよ。あ、でもまあ厳密には何もなかったわけじゃないか。運が悪かったな」

さすがに焦りすぎだろうと内心反省したが、しかしそれでも尚不満は止まらなかった。

「ですよね、だってそんな、友達のそういうとこ見たくないっつうか」
「うん、だよな」
「そりゃ付き合ってんだからそういうこともするんでしょうけど、それならそれで部屋ですればいいし何も玄関でしなくたっていいじゃないですか」
「そうだね」

そんな俺の愚痴を嫌な顔一つせずに聞いてくれた先輩は、ぽんと俺の頭に手をのせた。
そして目が合うと心もち顔を傾け、
あ、と思った時には、俺の唇に一瞬だけ柔らかい感触が触れて、既に離れていった後だった。

「……え?」

驚いた俺に、先輩は優しい笑顔のまま「ん?」と首を傾げる。
いや、『ん?』ではなく。

「い、今何でキスしたんですか」

尋ねた途端もう一度。
軽い音を立てて唇を押し当ててきた先輩は、そのままするりと俺の首筋を撫でた。

「俺達も付き合ってるんだからいいかな、と思って。ダメだった?」

ほんの少し甘いトーンに変わった先輩の声に、かすかに背筋が震えた。
確かにそうだ、付き合ってるんだからそういうこともするだろうと言ったのは俺だ。だが玄関でしなくたって、と続けたのも俺なのに、

「いや、ダメってわけじゃ、ない、ですけど」

その舌の根も乾かぬうちにこんなことを言ってしまって、もう小島のことを責められない。
そんな俺に先輩は、からかうような悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「玄関だけどいいの?」

俺の答なんてお見通しのくせに、なんとも人が悪い。
若干悔しくなったが、しかし、

「いいです……」

それでも拒否できない時点で俺の負けだった。

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