▼ 02

普段俺と先輩はこうして二人でも先輩の部屋で過ごす時も、大抵は他愛もないことを話したり、たまに将棋をしたり、それから俺が勉強をしている横で先輩が本を読んでいたり、そうやってそれこそ付き合う前と同じようにだらだら過ごすことが多い。それはとても楽しいし、落ち着くし、安心もするし、それから幸せなことだ。

だが、関係が変わった以上いつかはこういうことも、それからそれ以上のこともするんだろうなとは思っていた。もちろんそれが嫌だというわけではないしむしろ俺も健全な男なのでそういうことに興味がないわけではないが、それでもやっぱり俺にとってそれはどこか別世界のことというか、未知の領域すぎてあまり現実味がなかった。いつかはとは思っていてもそれは遠い未来のことのような気がしていたし、決して今すぐということを想定していたわけではなかったのだ。

が、気がついた時には、俺の口は勝手に動いていた。

「だ、だめじゃないです……」

微妙に震えかけたその返事に、先輩はかすかに目を見開いた。それからゆるゆると目尻を下げ、そっと俺の頬に触れた。

「……いいの?」
「は、はい」

頷きつつも早々に羞恥心がこみ上げてくる。というか、普通に頷いてしまったが俺は果たして大丈夫なのだろうか。だって今からされるのはいつもの軽いキスじゃなくて、つまりあれ、いや実際にしたことはないから実態がどうなっているのかは分からないが、とにかくあれだ、あの、舌をなんやかんやするやつ。
そう改めて考えた途端、大丈夫じゃないかもしれないと思った。平常心でいられるはずがない。いや別に平常心でいる必要はないのかもしれないが、最早そういうレベルではなくまずいことになるかもしれない。

が、やっぱり待ってください、と言う前に、先輩の熱い指先に顎をすくうように持ち上げられた。

「顔上げて」
「……っ」

その声で無意識に伏せていた視線を上げると、先輩はやっぱり熱のこもった目で俺を見ていた。先輩に、いわゆる「そういう」目で見られているということを実感して体が熱くなった。嬉しい、けれどそれ以上に恥ずかしくなる。が、恥ずかしい恥ずかしいでは何も進展しないことも、むしろ事態がこじれかけてしまうこともあることを俺は既に知っている。心臓が壊れそうな気もしたが、大人しくされるがままに顔を上げ目を閉じると、唇に柔らかい感触が触れた。いつもと同じように、軽く2、3回。それから、

「……宏樹、口あけて?」

少し掠れたような声で囁かれ、ようやく自分が緊張のあまり口をぎゅっと閉じていたことに気づいた。
が、一体どうやって口の力を抜いたらいいのか分からない。一体どうやってというか、冷静に考えれば単に口を開けるだけの話なのだが、とにかく妙に体が固まってしまっているのだ。困って先輩を見ると、先輩は俺の視線で状況を察したのか小さく笑って俺の髪をするりと撫でた。

「大丈夫だよ、そんなに緊張しなくてもとって食うわけじゃないし」

それはもちろんそうなんだが、緊張をとけるものならばとっくに自分でといている。なぜ俺がこういう、いわゆる色恋沙汰に関してこんなに緊張しすぎるのかは自分でも謎なのだが今はそれは置いておくとして、とにかくもう自分の意思でどうこうするレベルの問題ではない。果てしなく困っていると、不意に先輩の手が俺の耳を撫でた。

「あ……」

もはや条件反射のように変な声まじりの吐息がもれる。恥ずかしくなって顔を背けると、先輩はさらに耳たぶに軽く吸い付いてきた。思わずきつく目を閉じる。

「まっ、み、耳……」
「こっち向いて」
「ん、……」

輪郭に沿って滑った指に、背けていた顔を戻され、そのまま口を塞がれた。開きっぱなしだった唇の隙間から、先輩の舌が性急に押し入ってくる。無意識に引っ込めようとした舌に触れられた瞬間、ぞくりと全身があわ立った。

柔らかくて熱い、濡れた舌先が、そっと俺の舌を撫でる。それから絡め取られて、あとはなんやかんや、吸われたり甘噛みされたりもしたような気がするけれど、正直何をされているのか全部は把握しきれなかった。

ただ暑くて、というよりは先輩の手が添えられている背中や、もう片方の手が時折思い出したように撫でていく頬や首筋や耳や、とにかく全身が熱くて、口内を動き回る先輩の舌の動きには全然追いつけなくてただ翻弄されるがままで、だんだんと息も苦しくなってきて、思考もうまいことまとまらなくなってきて、それからそんなとっちらかった思考の中で、キスってこんなに気持ちよかったのか、とぼんやり思った。
頭がふわふわするような、背筋がぞくぞくするような、全身に力が入らなくなるような、そんな感じ。思わず縋るように先輩の服の裾を掴むと、次の瞬間腰のあたりを引き寄せられ、正面からきつく抱きしめられた。少し痛いくらいに強いその力に、体の奥の方がじんと痺れた。
要するに俺は、こうやって先輩の腕の中に閉じ込められてこんな風にキスをされることを、多分とても喜んでいた。

が、同時に少々困ったことにもなっていた。口を塞がれているから物理的に息ができないし、酸素が足りない。時々唇が離れた隙を見計らって息を吸ってはみるが、正直全然足りない。冗談抜きで意識がかすみ始めるのを感じて、慌てて力を振り絞って先輩の胸を押した。

「は……っ、も、無理……!」

息も絶え絶えに絞り出したその言葉に、俺の後頭部と背中を押さえていた先輩の腕はすんなり離れていった。少し名残惜しいような気もしたが正直それどころではなくて必死に息を吸い酸素を取りこんでいると、不意にもう一度、今度は優しく抱きしめ直された。ぽんぽんと宥めるように軽く背中をたたかれ、乱れていた呼吸とたかぶっていた熱が徐々におさまっていく。

「……大丈夫?」

まだ少し熱の名残りを持ったような、けれど普段通りに戻りつつもあるような先輩の声に、こっそり深呼吸を繰り返しつつ小さく頷く。抱きしめてくれるその温かさになんとなく安心して最後に小さく息をつくと、同時に先輩もため息のように長く息を吐き出した。

「ごめん、ちょっとがっつきすぎた……。嫌じゃなかった?」
「あ、はい、全然……というか」
「ん?」
「……いや、全然嫌じゃなかったです」

さっきまでの非日常の勢いが残っていたのか、俺の口は勝手に「気持ちよかったです」と言いかけていた。が、実際に口に出す前にかろうじて引っこめた。別にそんなことを言ったらはしたないかもとかそういうことを思ったわけではないが、もしそれでじゃあもう一回なんてことになったら今度こそ酸欠になりかねなかったからだ。

そんな俺の考えに先輩が気づいたかどうかは分からない。考えていることを先輩に悟られることはわりとあることなのでもしかしたらバレているかもしれないが、とにかく先輩はそれきり何も言わなかった。ただかすかに眉を下げ、優しい微笑みをつくって俺の肩に額をのせた。

付けっ放しだったテレビからは、ラストの主題歌が流れている。それを聞くともなしに聞きながら先輩の背中に手を回すと、先輩は黙ったまま俺の髪にさらりと指を通した。

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