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キスの話


とある週末の夜、俺と先輩は並んでソファーに座り、最近そこそこ話題の深夜ドラマを眺めていた。普段そんなにテレビを見ることがないのでこのドラマも見たことはなかったのだが、少し前に小島に面白さを熱く語られたので一度くらい見てみようかと先輩にテレビをつけてもらったのだ。

あらすじは聞いていたもののうろ覚えだったが、どうやら主人公らしき男とその彼女が周囲を巻きこんでなんやかんやどたばたするタイプの1話完結のシリーズものらしく、会話の内容から大体の人間関係さえ掴んでしまえば困ることはなかった。
内容的には面白いか面白くないかと言われれればまあ面白いのかもしれないが、いかんせん小島が大絶賛していたせいでハードルが上がっていたのか、正直まあまあかなとも思う。ぼんやり画面を流し見つつ、これに先輩を付き合わせるのも悪いかなと思い始めた頃、隣で膝に乗せたラビ夫クッションをいじりながらドラマを見ていた先輩がぽつりと言った。

「これしたいな」
「え?」

思わず先輩を見てから改めてテレビ画面に視線を戻すと、さっきまで喧嘩をしていたはずだったがいつの間に仲直りをしたのか、主人公の男が彼女を後ろから抱きしめつつ何やら仲よさげに喋っていた。まさか何もないのに喧嘩をしたいはずはないので、おそらく現在の2人の体勢のことを言っているのだろう。
そう結論づけてから、少し考えた。先輩とあの体勢で密着することに関して。正直自分が平常心でいられるとはとても思えない。が、緊張はするだろうが、先輩がしたいと言っているのにそれを拒否するほど耐えられないわけではないだろうとは思う。だから、

「いいですよ。どうぞ」

と両手を広げ促すと、しかし先輩は一瞬目を丸くし、それから笑い出した。

「はは、違う。逆」
「え、あ、ああ、そっちか」

ということは先輩は俺に抱きしめられたいわけではなく俺を抱きしめたいわけか。そう考えるとやや恥ずかしくなったが、とは言え密着するという点においては俺が先輩を抱きしめようが逆に先輩に抱きしめられようがおそらくそれほど変わらないはずだ。だから再び頷いたのだが、

「ちょ、ちょっとこれは……」

ラビ夫を脇に置いた先輩に腕を引かれるがまま先輩の前、というか足の間あたりに移動して後ろから抱きしめられた瞬間、俺は自分の考えが少々甘かったことに気がついた。
なにせ密着度合いが半端ないのだ。背中のすぐ後ろには先輩の体があるし、腹のあたりに両手が回されてしまったので逃げ場がない。いやあったとしても別に逃げる気はないが、何となく焦る。というか俺は一体どうしていればいいのだろう。手はどこにやればいいのか、足はここでいいのか、どこを向いていればいいのか、何か喋るべきなのか。

「緊張する……」

一瞬で色々悩んだ末思わず呟くと、俺の背後で先輩が笑い声をもらした。

「大丈夫大丈夫、すぐ慣れるって」
「いやもう、何か心臓が」
「あー本当だ、すごい早い」

先輩が俺の左胸のあたりに掌を当てる。俺が女ならまだしも男なので胸を触られたところでどうということはないはずなのだが、もう場所は関係なくどこを触られようが緊張する。抱きしめられている時点で既に今更という気もしなくもないけれども。

「というか全身ガチガチだな。もうちょっともたれてもいいけど」
「お、重くないですか」
「いや全然。体重かけてもいいよ」

と言われても、本当に重くないんだろうか。確かに筋肉も脂肪もない貧相な体だという自覚は残念ながらあるが、とは言え俺も男なわけだから別に軽くもないだろうし。
と迷っていると、腹のあたりをゆるく抱きしめていた先輩の手が首まで上がってきた。

「よしよし、怖くないよー」

顎の下をくすぐるように撫でられて、思わず笑い声がもれた。先輩の手つきが完全に猫を可愛がる時のそれだったからだ。

「ふふ、俺猫じゃないんですけど」
「あー可愛いねー。名前何て言うの? ミケかな、タマかな?」
「ははっ、待って待ってくすぐったいって」

首筋をくすぐられる感覚に笑いながら身をよじると、先輩も笑って俺の頭にぽんと手を乗せた。そのまま髪を撫でられて、思わず目を細める。

付き合いだしてから時々、先輩はふとした拍子にこうやって俺の頭を撫でてくることがある。これも接触には変わりないから緊張してもおかしくないような気もするが、先輩の手つきがまるで壊れ物を扱うかのように優しいからか、こればかりはいつも安心感のようなものを感じてしまう。

今もそのおかげでだんだんと落ち着いてきたのか、いささか早すぎた心臓の鼓動が収まってきたような気がする。が、そうやって通常運転に戻りかけていた心臓は、先輩の手が耳を掠めた途端に再び一気に跳ね上がった。同時に俺の喉から、妙な具合に上擦った変な声がもれた。慌てて口を押さえたが、先輩の手がぴたりと停止したことからも既に遅かったことが分かった。恥ずかしさというか居たたまれなさに顔が熱を持つ。

「……待って、今の聞かなかったことにしてください」
「え、もしかして耳感じる?」
「いや感じるとかじゃなくて単に弱、っあ……!」

弱いだけで、と言いたかったのに、途中までしか言えなかった。先輩が今度は意図的に俺の耳を触ったからだ。耳の周りをくるりと一周した指先が耳たぶの柔らかいところをつまむように撫で始めると、首筋にぞわりと何かが走る。くすぐったいと言うよりは、何だろう、うまく言い表せないが、とにかく何だかぞくぞくするような変な感じとでも言えばいいだろうか。思わず身をよじって逃げ、耳を隠しつつ振り返る。

「あの、耳は本当に……」

勘弁してもらっていいですか、と言いたかったのにまたしても言えなかった。いつの間にか後頭部に回されていた先輩の手に、頭を引き寄せられたから。思わず目を閉じると、唇に柔らかい感触が触れた。小さく音をたてながら、ついばむような軽いキスを何度か。
その後頬を撫でられ目を開けると、先輩は嬉しそうに微笑んだ。

「キスしていい?」
「な、何でした後に聞くんですか」

いや別にわざわざ許可をとる必要はないんだが、それにしたってもう既にされたんだけど、と思ったのだが、

「そうじゃなくて」

目を細めた先輩は、もう一度俺に顔を寄せてきた。反射的に再び目を閉じると、今度は唇を濡れた感触がかすかに撫でていった。

「……!」

一瞬何をされたか分からなかった。それから遅れてようやく舌先で舐められたんだと気づいて、その瞬間首のあたりがじわりと熱くなった。

「な、なに、今、なめっ」
「……だめ?」
「……!」

首を傾げた先輩の甘えたようにねだる口調と、その反面熱を持ったような視線に、ようやく先輩の言いたいことが分かった。つまり、今までのようなただ触れるだけのキスではなくて「その先」に進みたいのだろうと。

一瞬言葉に詰まったのは、俺を見つめる先輩の表情が今まで見たことがないようなものだったからだ。付き合う前告白された日にうっかりキスされそうになった時とも、その後付き合いだしてから今日まで何度か実際にされた時とも違う、熱をはらんだ視線。普段の優しい先輩とは違う、何というか妙に色気があるというか、うまく表現できないがとにかく、初めて見る先輩のその表情に、胸の奥がじわりと疼いた。

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