▼ 8

先輩に嫌われたわけではなかったというだけでほっとしているというのに、その上色々言われたおかげで多分俺の脳は今日一日の情報を処理しきれていないのだろう。
熱があるのではというくらい顔が熱く、向けられる視線も受け止めきれない。が、顔を背けていても先輩が幸せそうな笑みを浮かべて俺を見ているのが分かり、非常に気恥ずかしい。

一体俺はどうしていればいいのか。右を向けばいいのか左を向けばいいのか、はたまた手の位置はここでいいのか足はどうすればいいのか。

普段気にも留めないようなことが先輩に見られていると思うといちいち気にかかり、居ても立ってもいられなくなる。むしろもう、今ここに自分が存在していることすら恥ずかしい。

「大谷」
「……はい」

俺を呼ぶ先輩の声がいつになく甘ったるく聞こえて、耳までどうにかなってしまいそうだ。それなのに先輩はさらに、

「名前で呼んでいい?」

だなんて言うのだった。

「な、名前ですか」
「うん、……宏樹」
「……!」

その瞬間、自分が爆発したかと思った。勝手に動いた俺の体は先輩から飛びすさるように距離をとってソファーの端まで離れ、小さく膝をかかえる。

「え、嫌だった?」
「い、嫌っていうか、無理! 無理ですこれ以上は!」
「え? 何が?」
「さすがにちょっと恥ずかしいというか……待って、近づいてこないでください」
「なんだ、照れてるだけ?」
「いや本当に、ちょっとそれ以上は……!」

半ば叫んだ俺の抵抗は無視され、先輩は安堵半分悪戯半分の笑みを浮かべながら距離を詰めてきた。あまつさえ左手をとられ、指を絡めるように握られる。
やばい、これは、これは良くない。

「手、手汗が……」
「緊張してる?」
「き、緊張、っていうか」
「うーん」

俺を見下ろし、先輩は考えこむように首を傾げる。

「俺のこと好きなようにしか見えない……」
「な、ななな、何がですか。何を根拠に」
「顔が赤い」
「あつ、暑いからです」
「脈も速いし」
「そっ、それは元々で」
「ドキドキしてくれてる? 俺に」
「う……」

さすがにそれは認めざるをえない。俺が先輩の言動に緊張していることも、おそらくときめいていることも事実だ。だが好きかどうかはまた別の話、というか今はもうそんなことを考える余裕はないわけで。
それなのに、握られた手や近い距離に慌てる俺に、先輩はさらに追い打ちをかけてくる。

「さっきの、嫌じゃなかった?」
「さっきの……?」
「キス」
「キ、……!」

なぜ先輩はそんなことをさらっと言えるのだろうか。やっぱり場数を踏んでいるのか? だからこそのこの余裕の差なのか?

「そ、そそそそりゃあ嫌ではなかったですけども」
「じゃあもう1回してもいい?」
「えっ!?」
「今度はここに」

伸びてきた指先にそっとなぞられたのは俺の口で、つまりそこにもう1回するということは。

「むっ、無理です、無理!」
「嫌?」
「嫌とかじゃなくて、ないけど、先輩もう本当に勘弁してください……」

なにせ経験も余裕も耐性も皆無なのだ。心の準備一つないままこうやって攻撃され続けたら本気で死にかねない。だめ? だなんてかわいらしく首を傾げられたところで、まさか頷けるはずもないし。

「駄目、本当にだめです、俺もう爆発するかも……」
「爆発? 何でまた」
「だって恥ずかしくて……もう無理、先輩、もう許して」

至近距離で顔を見られるのも、もう限界だ。両手で顔を覆ってガードすることくらいが今の俺にできる精一杯で、だから頼むからもう俺に迫るのをやめてくれ、と懇願すれば、先輩は、

「……」

ぴたりと口を閉じて、ごくんと喉を鳴らした。

……ん?

「……宏樹」
「は、はい?」
「誘ってるわけじゃないんだよな?」
「は? 何を……?」
「いやなんか、言っていいのか分かんないんだけど……」
「じゃあ言わないでください……」

内容は予想もつかなかったが、正直もう許容範囲を完全に超えていた。今日のところはもう店じまいしてしまいたいところなのだが、先輩が俺を解放してくれそうな気配は全くなかった。

「ちょ、ちょ、ちょ、何して……っ!」
「ごめん、ちょっとだけ」
「なっ、何もしないって言ったじゃないですか!」
「しない、しないからキスだけ。な?」

それを何かすると言うんじゃないだろうか。とは思うのだが、冷静に反論する余裕もまた俺にはない。気がつけば顔を隠していた両手は手首をとられて左右に開かされ、あらわになった視界に先輩の整った顔が近づいてくる。
本当に羞恥でどうにかなりそうで慌ててしまうが、体格差が力の差に直結するのだろうか、俺をソファーに押し倒すようにのしかかってくる先輩は、貧弱な俺の抵抗をものともしないらしい。

まず額がぶつかり、前髪がこすれ合う。
それから鼻をすり寄せられて至近距離で視線をとらえられ、堪らずきつく目を閉じれば、

「おーい、無理強いは良くないと思うぞー」

突然背後からかけられた慎二さんの声に、俺はすんでの所で窮地を救われた。

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