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「あ、もしもし今大丈夫ですか? ……ええ、それはまあおいおい、……え? 反省文? 何のことです? それよりちょっと用事というか人を探している1年生がいまして、相手が多分周防のことなんじゃないかと」
数分後、副会長の携帯は件のスオウさんなる人に繋がっていた。
副会長の隣にいる慎二さんは漏れ聞こえてくる通話に耳を澄ましているようだが、俺からは距離があるので聞こえてくるのは副会長の穏やかな声のみ。だから声で判別したりはできないが、先輩なのかもしれないと思うと嫌でも緊張が高まってくる。
だから俺は、既に成り行きに興味を失ったらしい会計が視線を戻している雑誌の表紙や、屈みこんでベッドの下をあさりだした書記の背中なんかを見て気を逸らしていた。
「はい、ええ、1年の……ええと名前何でしたっけ」
「宏樹だよ。名字はー、あれ俺宏樹の名字聞いたっけ?」
が、携帯を間に挟んだ2人の会話に我に返った。
慎二さんには確かに名字も名乗ったはずだが、副会長の時といいスオウさんの時といい名前だけしか記憶に残らないのは慎二さんの仕様なのだろうか。さすがにそんなことを追及している場合ではないが。
「大谷です」
「あーそうだったそうだった」
「大谷くんだそうで、……ええ、知ってます? え? さあそれは知りませんけど」
再び襲ってきた緊張に拳を握った俺の視線の先で、副会長がかすかに首を傾げる。
と、副会長の持つ携帯に反対側から耳をくっつけるように盗み聞きしていた慎二さんが、不意にその携帯を副会長から奪った。
「あ、もしもし元哉? 俺俺、いやちげーよ慎二だけど。うん、宏樹な、元哉に会いたいっつって泣いてんだけどさー」
「はっ!? ちょっ、」
泣いてないですよ! と否定しかけた俺の言葉は、素早くベッドを飛び降りてきた慎二さんの手によって塞がれた。俺には泣いた覚えはないし、これからも泣くつもりは全くないのだが。このままじゃ俺が女々しい奴のような、というか電話の相手が本当に先輩だったたとしたら先輩にとっては重いし面倒極まりないじゃないか、と発言を撤回してもらうためにもがいてはみるが、慎二さんの拘束はちっとも緩まない。
せめてもの抵抗に睨みつけることで訴えようとした俺に視線を寄越し、慎二さんは悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。
「うん、そうそう。あ、そう? やっぱ? ははっマジで? 今俺の部屋だけど。うん、知ってたっけ? 801号室」
相変わらず電話の向こうの声は聞こえないものの、何やら物を蹴倒しでもしたかのような大きな音が。それを聞いてなのか、俺を押さえつけたままの慎二さんが笑う。
「来んの? 来ねえの? 来ねえなら俺が代わりに慰めとくけど? ……ん? ああ、うん、いや俺実は宏樹結構好みなんだよなー。最近男でもいっかなーとも思うし、宏樹なら全然余裕。……は? ははっ、知らねーよ」
一体どんな話の流れなのか。慎二さんの悪そうな笑みからして本気の言葉ではなく何やら先輩を煽っているようだが、なぜそんなことを?
というか、電話相手が俺の知っている先輩だというのは確定なのだろうか。だとしたら、慎二さんが煽っているということは先輩はここに来たがっていないということで、つまりやっぱり俺にはもう会いたくないということで、……
「はあ? ビビりすぎだろ、つうか俺らはまだ何も言ってないし、……え、ちょい待っ、おい宏樹? どうしたマジで泣いてんのか?」
話しながらちらっと俺を見た慎二さんが、慌てたように俺の顔を二度見して覗きこんできた。押さえつけられていた力が緩み自由になった首を、ゆるゆると左右に振る。
「泣いてないです」
「うわ、えっ、わり、まさか痛かった?」
「……そうじゃなくて」
絞りだした声がみっともなく震えたことで、俺はようやく視界が勝手に滲み出したことに気づいた。気づいた途端、嘘だろ、と自分が情けなくなる。
高校生にもなってまさか自分が人前で泣くなんて思いもしなかった。いや泣くと言ってもさすがに本当に泣いているわけではないしおそらくちょっと涙目程度のものだが、それにしたって恥ずかしいしみっともないにもほどがある。慌てて目を擦るが、再びじわりと視界が滲んだ。これはまずい。
「すいませんもういいです。先輩が俺に会いたくないって言ってるならもういいですから。借りたものも、慎二さん達が知り合いならちゃんと返せるし」
「待て、待て待て宏樹、ちょっと落ち着け。元哉も別に会いたくないって言ってるわけじゃねーから。な?」
「いや、もう本当に大丈夫ですから……」
その上慎二さんにまで気を遣わせてしまっているし、他の3人もさすがに驚いた様子で俺を見ている。本当に情けない。
「いや違うってマジで! 大丈夫だから泣くな。な、とりあえず一旦泣き止めって」
泣き止みたいが勝手に滲み出てくる涙はどうにも思いのままにならない。一刻も早くここから撤退しないとさらにまずいことになると悟った俺は、再び目を擦りながらもう片手で鞄をあさった。借りていたノートやプリント類、それから文庫本。バタバタと取り出したそれらをまとめて慎二さんに押し付ける。
と、
「ああもう、聞いてんのか元哉! あと5秒で来ねえとぶっ殺すぞテメェ!」
眉を寄せ俺を見ていた慎二さんは突然電話の向こうに怒鳴った。さすがに驚いて一瞬動きを止める。が、俺以上に驚いた様子で書記ががばりと起き上がった。
「えっ、周防さん来るの!? やっばい、僕周防さんからの電話シカトしてるんだよね」
「あ、俺もだ。来るなら隠れないと」
「君達……電話くらい出ましょうよ」
にわかに慌てだした2人の姿に、先輩は来るだろうかと考えてみた。すぐにおそらく来ないだろうという結論には至ったが、しかし先輩は優しいから万が一ということもある。けれど無理矢理に来てもらったところで先輩に合わせる顔はないし、会ったところでどうしていいか分からない。だとすれば一刻も早く撤退しよう。
そこまで考え鞄を掴んで立ち上がった俺の腕は、慎二さんにがしりと掴まれた。が、火事場の馬鹿力というやつだろうか、それをなんなく振り切り慎二さんの部屋を飛び出して、その先の共同スペースを走り抜け、玄関の扉に飛びつく。
「待てって宏樹!」
後ろから追ってくる慎二さんの声に気が急いて扉が開かない。違う、まず鍵を開けないと。
ガチャガチャと扉の内鍵を開けて今度こそ廊下に飛び出そうとした矢先、
不意に反対側から勢い良く扉が開いた。
「大谷!」
「っ、……!」
「やべ、間に合った……」
開いた扉の向こうの懐かしい顔に立ちすくんだ俺は、まさか走って来たのか息をきらした先輩に腕を掴まれ、そしてそのまま強い力で引き寄せられた。、
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