その光景はサクラの全てが無に帰る近未来を想像させた。
こちらを何とも無しに見やる瞳に映った自分はきっと酷く間抜けな顔をしていたと思う。
思わず素っ頓狂な声をあげそうになった口を抑えて、サクラは革張りの黒ソファーにまるで崩れ落ちるかのようにすとんと腰を下ろした。
今目の前にいるこの少年は幻想であってくれればいい。
しかし、サクラのそんな思いも虚しく、サスケは蜃気楼のようには消えてくれなかった。
それどころか、サスケの視線は痛いほど、唖然としたままの彼女の頭の先から足の先までを何度も往復する。
煌びやかなドレスと化粧で武装されたサクラは普段学校で見る眼鏡におさげの格好からは別人並みにかけ離れていた。
が、何食わぬ顔で彼はサクラから目を逸らすと、ロックグラスをからんと傾けた。
何を言うでもなく、ただそこにあるものを単なる事象として受け入れているように見えた。

「高校生はこういうお店はきちゃ行けないのよ」

とうとう気まずい沈黙を破ったのはサクラからだった。
声にして、はっとするほど矛盾だらけの台詞。
気づいた時には遅かった。
嘲笑するかのようにサスケが笑む。

「高校生がこういうお店で働くのはいいのかよ」

もっともだと思う彼の質問には答えられなかった。
少なくとも法を違反をしている彼女にサスケを諭す権利はない。
今まで見たことのない私服に身を包んだ彼は慣れた様子でウイスキーを喉に流した。
ちなみに、未成年の飲酒は法律で禁止されている。
ということは流石にサクラは言わないでおいた。
また揚げ足を取られてしまうことが目に見えたからだ。
氷だけになったグラスを割と長い彼の指がからからとわざとらしく音を立てる。
恐らく給仕を求めているのだろうが、あえてサクラは気付かぬふりをした。
声を潜め、彼の耳に少しだけ唇を寄せる。

「どうしてここに」

抱くべき疑問を口にした。
相変わらずグラスを弄んだまま、彼は目を閉ざす。

「お前の髪」

ちらりとサスケが一瞥する。

「目立ちすぎるんだ」

もはや返す言葉などない。
言われて、咄嗟に己の髪をくしゃっと掴んでしまった。
話題の中心になってしまったような妙な恥ずかしさがサクラの口を噤ませた。
今更ながら己のこの遺伝色素を忌む。
どんなに隠した生活を送ったところで、この髪色が露見にする。
今目の前にいる招かれざる客を招いたように。
誤魔化しきることはできない。
目立つことなくひっそりと、でも細々と生きていきたいというサクラの贅沢でない願いすら、聞き届けられることはないのだ。

「それとあんたに忠告だ」

サスケの目がロックグラスから外れたかと思うと、俯いたサクラを覗き込んだ。

「こんなあばずれ女の真似なんざとっとと辞めろ。身を滅ぼすだけだ」

あばずれ女か、なるほど。 間違ってなどいない。 サクラ自身、この仕事は誇りあるどころか血反吐が出そうなくらいの嫌悪感がある。
しかし、彼の人を見下すような言い方はサクラの神経を逆撫でた。
が、辛うじて残っていた冷静さが、気持ちの沈静化をはかろうとする。

「どうして」

言葉をひとつずつ絞り出した。

「あなたにそんなこといわれなきゃならないの」

視線を切り結んで、思い切り睨みつけてやった。

「あんたらしくないからだ」

きっぱり即答される。
なんなんだ、この男は。
一体私の何を知ってるというのだ。

「私には私の理由があるの。余計なお世話よ、ほっといて」

きっとこんな不良男と話していても埒が開かない。
あんたのほうが、社会の爪弾き者でしょうが。
仲間と連まないと何も出来ない、くだらない人間はそっちでしょう。
次から次へと湧き上がってくる彼を罵倒する言葉を音にすることだけは堪えた。
こんなつまらない挑発にのって、もう少しで手に入りそうな自由を手放したくなかった。
しかし。

「慰謝料はあといくら残ってんだ」

あくまでも冷静に繰り出される言葉にとうとうサクラの心臓は震え上がった。
恐らく、泣きそうな顔をしていたと思う。
なぜ、彼が知っているのだ。
その視線の意味を読み取って、サスケは何食わぬ顔で答える。

「あんたの事件の担当刑事は俺の兄貴だ」

湧き上がって止まらないこの感情は怒りなのだろうか。
はたまた恐怖。
この男が知る己はどんな存在なのだろう。
知りたいようで知りたくなかった。

「俺が出してやる。いくらだ」

サクラは全身から湧き上がる震えを抑えることなどできなかった。
声が出ない。
この男の姿がただただ恐ろしかった。

「…そんなこと、あなたにされる義理はない」

辛うじて出した声で拒絶を意味する。
私のことを知っている男。
知りすぎている男。
けれど私は一切知らない。
サスケはじっとサクラを見つめたまま動かない。
彼女の翡翠の瞳は、サスケを拒絶するように睨んでいる。

「…あんたに話がある」

やがて、ため息混じりに吐き捨てられた台詞は、聞き分けのない幼子を宥めるようだった。
気に食わないと思ったが、サクラが返答をするよりもはやく、サスケがある一枚の紙切れを差し出した。

「何」
「終わったらここに来い。駅前だからすぐにわかるはずだ」

紙には、某ホテルの名前が荒い字で書かれていた。
そのホテルが所謂ラブホテルであることをサクラは知っていた。
眉を潜めて訝しげに顔を上げた。

「どういうつもり」
「話をする以上のことはない」

表情一つ変えず彼は言う。
嘘は吐いていないのだろうが、話をする場所としてラブホテルを選ぶ彼のセンスは到底理解出来るものじゃない。

「行かないっていったら」

どんな大層な話かは知らないが、これ以上得体の知れないこの男との関わりを持ちたくないというのが本音だ。
此処に彼が来なければ知り得なかったことだと割り切って、今日という日を抹消したいくらいだった。

「行かないって言うのか、お前が」

言えるはずないだろうと続きそうなほど、半分脅しである言葉は狡い。
サクラにしてみれば今自分が置かれているこの状況は、まるまる太った兎がうっかりお腹を空かせた狼と出会ってしまったのとなんら変わりない。
サスケの前でサクラは、弱みしか握られていないあばずれ優等生で、サクラの前でサスケは勝手きままに生きる不良少年なのだ。
こっちが脅される危険は十分にあっても、奴を脅せるネタなど彼の前では無力だ。

サスケはとうとう給仕されることのなかったロックグラスをテーブルに起き、その隣に厚みをもった封筒を置いた。

「やっぱり眼鏡、ないほうがいいな」

より春野サクラに似ていると思う。
ともあれ、にこりともしないこの女に春野サクラを重ね合わすことは出来なかったが。

何かの呪縛から解放されるように身体から力が抜けたのは、サスケが店を出たあとに聞こえた従業員のお礼を耳が捉えてからだった。
気疲れもあってか、どっと汗が出る。

彼の残した封筒から、支払いをするには十分すぎる大金が現れたことに気付いたのは、閉店してからのことである。





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