任務中の張りつめた空気は、いつから変わってしまったのか。 生と死を行き来する透明な風はいやらしく肌を撫でつける。 静かすぎる森の中。 己の足音が鳴らないよう慎重に三つの影は一軒の壊れかかった家屋に近づいた。 今この場での物音は命取りになる。 サスケの合図を息をひそめて待つ。 サクラは人知れず小さく深呼吸をした。 任務で気が張るなんていつぶりだろう。 冷たい面を今一度かぶりなおす。 木々の隙間からちらちらと覗く朧月。 心臓が呼応するのはもはや条件反射というべきか。 息がしにくいのは面のせいにしておいた。 「――……」 いつもとは明らかに違うサクラの様子をサスケは逃さなかった。 それに気づいていないであろう隣の青年に合図を送る。 『己の持ち場で待機』 サスケの指先の動作にうなずいた青年の姿が夜の暗闇に紛れた。 サクラは青年だけを配置につかせた彼に、怪訝そうに空気を震わした。 するとサスケの指先が今度はサクラへ合図を出した。 『撤退』 (え?) 面の奥でサクラの顔が歪んだのがわかった。 この場に、この状況に相応しくないサスケの合図を見間違いと思ったのか、動こうとしないサクラにサスケはもう一度指示をだす。 (……) ――次こそ、見間違いじゃない。 躊躇ったままのサクラの足が地面を踏みつけた。 事前に打ち合わせをした場所まで身を退けた。 目的の所からだいぶ遠くなった場所。 面を取ったサクラが少し上がった息で尋ねた。 「どうしたっていうの?」 「それはこっちの台詞だ」 間をいれずサスケが返す。 露わになったサスケの瞳がサクラを見据える。 刃のような眼。 思わずサクラが息をのんだ。 「どういうつもりだ。あの場においてお前のチャクラの乱れが一番目立つ」 あの状態で切り込みに行ったところで、サクラが危険に晒されるのが眼に見えて分かった。 だから一時撤退させた。 サスケの口調はいつになく厳しい。 そして。 ――誤魔化せないと思った。 「……ごめん」 観念したようにため息をついて小さくサクラが謝った。 夜風にさっと揺られた木々が葉を鳴らす。 サクラを庇うかのように風は強くなる。 静かに、サクラの唇が動いた。 「私、嘘ついた」 先ほどの武具庫で、らしくないサスケに放ったサクラの精一杯の強がり。 『気にしないで。もう――昔のこと』 いつまでも割りきれないことは自分が一番知っていた癖に。 すっとサクラの長い指が、夜空の朧月を指差した。 サスケの視線がそれを追う。 「あれ、いつまでたっても私を蝕むの」 笑おうとして歪んだ顔をサクラは伏せた。 朧月。 男の汗と精液の臭いが、身体から消えない。 「子どもみたいだよね」 いつになっても克服できない、自分の弱点。 この戦いの場において晒すことは許されなかったはずなのに。 涙だけは必死に堪えた。 この状況に相応しくない。 「サクラ」 サスケの声が静かに耳を震わせた。 「お前は女だ」 その真摯な目は射抜くようにサクラを捉える。 「女なんだ」 一瞬。 サスケの眼が哀しそうな色を浮かべた。 似合わない、そんな瞳。 あなたはもっと冷酷で、残忍で、それでいて酷く優しい人なの。 ――今でも私の心を離してはくれないのに。 サスケの手が伸びて、サクラの頭を、髪を撫でつけた。 その動作はゆっくりと、ゆっくりと、サクラの中にある感情の湖に波紋を立てる。 触れないで、この汚い私に。 あなたまで穢れてしまう。 けれど、その大きくて温かい手を振り払うことなどサクラには出来なかった。 醜い私に差し伸べられた手。 どれほど大きな安心感なのか、あなたは知らないでしょう? 無理をする必要はないんだという様に、サクラの緊張がするすると紐解くかのように解けていくのがわかった。 「――もう、大丈夫」 やがてサクラが一つ深呼吸をした。 そっとサスケの掌を離す。 「早く任務戻らなきゃ」 面をして立ちあがったサクラの手をサスケは思わず引いた。 細くて、力を入れたら折れてしまいそうな腕。 サクラが、首を傾げた。 「どうしたの?」 そう問われて、どう答えればいいのかサスケはわからなくなった。 無難な言葉を探し、声にする。 「お前…――、」 ――忍を辞めたいと思うか。 刹那。 「!」 二人のチャクラが無意識に、異常と感じた元来た道に集中する。 人影が見える。 気がつけば蒼い霧があたりに立ち込めていた。 (――油断した…!) 二人はクナイを構えた。 「へぇ、やっぱりお前らデキてたんだな」 影が喋った。 そこに、立っていたのは――。 「――…お前…!」 声の主を捉えて、サスケが奥歯を噛みしめる。 そいつは、自分たちと全く同じ装いをした男であった。 先ほどまで行動を共にしていたのに。 「――裏切ったのね!」 サクラの顔が歪んだ。 「裏切ったなんて人聞きの悪い。任務はちゃんと完遂してきたぜ」 よく見ると、男の面には無数の赤い血飛沫が跳んでいるようだった。 「……」 ――奴らの仲間じゃない…? (じゃあ何故?) 「俺の狙いは、サスケ隊長よォ、おめぇだ」 サクラの心を読んだかのよう返答をした男は右手に持っていた刀をすっとサスケに向けた。 暗くて気付かなかったが、刀からは血が滴り落ち、地面に染みる。 「お前さんの眼、高く買うって奴がいてな」 サスケの写輪眼が男を射抜くようにじっと見据える。 おお、怖ぇと男がおどけてみせた。 「ちょうど俺はお前が目ざわりだったし、ちょうどよかったぜ」 余裕に男は笑って見せる。 「お前さえ消せば、俺は暗部を率いることができる。それでいて金も稼げるなんて一石二鳥だぜ」 似たような実力のものが三人。 一対二のこの状況で、こうも男が笑える理由。 (幻術かしら…) サクラは神経を尖らせて幻術の解き方を探る。 「よそ見はしねぇほうが身のためだぜ、お譲ちゃん」 「!サクラ…!」 サスケの声を耳殻で捉えた時には遅かった。 「!」 サクラは、自分の身体が宙に浮き、近くの大木に叩きつけられる感覚を痛みを伴って知った。 サクラの足元から急に何かが飛び出してきたのである。 木とともに縛り付けられて、思わずむせた。 腕を這うこの冷たい感覚。 (蛇?) よく見ると、蛇が縄のように絡まりあって、サクラの自由を拘束していた。 「こんなもの…!なめんじゃないわよ!」 サクラは力の限り、蛇と身体との距離を離そうとした。 が、上手く力が入らない。 「悪いな、サクラ。お前の馬鹿力が俺にとっての強敵なんだ。大人しくなったところ殺されてもらうぜ」 どうやらこの蛇はチャクラを奪っているようで、急激に体力が消耗していることが自分自身よくわかる。 身体に力が入らない。 知らぬ顔で蛇はチョロチョロと舌を出し、サクラの身体を這いまわった。 まるでこの状況を楽しんでいるかのように。 「お前、此処で俺たちを殺して、どうやって里に帰るつもりだ。ばれずに済むとでも思ってんのか」 「敵とやりやって死んだとか言って、俺も負傷して帰ればいいだけのことだ。お前らには名誉の殉死を与えてやるよ。それよりお前、あんまり人の心配ばっかりしてんなよ」 男はどこか笑いだしそうに、肩を竦めた。 そうして持っていた刀を空に掲げる。 その瞬間。 「!」 「サスケくん!」 赤い閃光のようなものが真正面から、突き刺さったかと思うと、サスケの身体を後方弾いた。 彼の身体は一瞬で、霧の中に隠れてしまう。 「サスケくん!!」 サクラの泣き叫ぶような声があたりに響き渡った。 |