大きな栗の木の下で | ナノ


26.


「精市、顔色悪いんじゃない?」
「そうみたい。それで早く帰れって柳が。」
「そう。さっき誰か連れてきたみたいだったけど、お友達?」
「……それは、あとで話すよ。」

そう言えば、昼間に倒れたことをすっかり忘れていた。それほど俺は名無しさんのことで頭が一杯だったし、浮かれていたのかもしれない。今もそう。顔色が悪いと母さんは言うけれど、そんな気はしない。寧ろすごく調子が良い気がするくらいだ。
飲み物を持って自分の部屋に戻れば、名無しさんがきょろきょろと俺の部屋を見回していて、なんだか笑えた。

「そんなに見なくても、何回も来てるのに。」
「でも雰囲気が変わってて、なんか、精市くんみたい。」
「……俺も変わった?」
「精市くんは、男になった。」

言いたいことはわかるけれど、意地悪で「生まれた時から男だよ。」と返せば、名無しさんは必死に説明を付け足す。それがおもしろくて「ふ、」と思わず笑みを溢せば、名無しさんは少しだけ口を尖らせた。同時に、名無しさんの百面相をもう一度こうやって見れることを幸せに思う。

「精市くん、具合悪い?」

ふと、名無しさんの顔をじっと見つめる俺を不安に思ったのか、名無しさんは俺に心配そうな顔を向けてきた。唐突な言葉を理解するのに数秒かかったけれど、「大丈夫だよ。」と返すと名無しさんは柔らかい笑顔で俺を見る。

「それに、今日はまだ名無しさんと話したいんだ。」
「あ……、うん。」
「そんな顔しなきゃいけない話はしなくていいよ。名無しさんが話したいことだけ聞かせて。」
「…………、わかった。」

さっきまでの笑顔はどこへ行ってしまったのか。視線を落とすようなことを言ってしまった自分に後悔した。ただ、名無しさんとお喋りしたいだけなのに、どうして壁はこんなにも高く、溝はこんなにも深いんだろう。こんな時に丸井と仁王を思い出してしまう俺は最低だ。

「あたしね、丸井くんと仁王くんから精市くんのことたくさん聞いたの。」
「うん、」
「テニス部の部長で、少し怖いところもあるけど、頼もしくて優しい。」
「うん、」
「その話聞いた時、ほんとは少し嬉しかった。」

あんなに大声で酷いこと言っておいて、あたし最低だなって思ってる。だから、丸井くんと仁王くんには本当のことを言えなかったけど、好きな人のことを褒めてくれる人がいるのは、やっぱり嬉しい。
顔をほんのり赤くしてそう言ってくれる名無しさんがいてくれるだけで俺は嬉しいのに。ありがとう、と頭を撫でようとした俺の手を掴んで、名無しさんは小さく首を振った。

それから「だから、精市くんには本当の話を聞いてほしい。」と。


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