大きな栗の木の下で | ナノ


22.


大好きな彼女に会うために、走って、走って、走って。何度も転んで、もう体が動かなくなりそうになりながらも、俺はひたすらに走り続けた。彼女に届くまであと一歩のはずなのに、そこから先に進めない。君にどうしても伝えなきゃいけないことがあるんだ、だからお願い。振り向いて、俺の話を聞いて、それからもう一度、俺に好きと言ってくれないか。

自分がどれくらい眠っていたのかわからない。何度か目を覚ましたような気がするけれど、柳が居たことくらいしか記憶にない。本当に目を覚ましたのか定かではないくらいだ。窓を開けているのか、グラウンドの方から賑やかな部活動の声が聞こえる。

「部活、行かなきゃ。」

ふと、呪いのように発せられた自分の言葉に笑みが零れた。こんな時くらい帰ってしまっても誰も怒らないことはわかっているけれど、習慣となってしまったその行為を怠ることを体が嫌がる。寝る前に歯を磨くように、放課後はテニスと決まっているから。部活へ向かうとなれば体を起こさなければならない。
……が、これは一体どういうことだろう。

「なんで、」

体を起こすと同時に視界に入る人物は、どうしてここにいるんだろう。保健室にいるのは俺と彼女、名無しさんだけなのに。誰かを待っているのだとすれば、それは確実に自分であることはわかるけれど、どうして名無しさんが。俺のことを嫌いと言っていた、会いたくないんじゃないかと思っていた。それよりもまず、何で俺が保健室にいることを知っているんだろう。

「名無しさん、」

保健室にあるテーブルに突っ伏して寝息を立てる彼女を起こすのは少し躊躇いがあったが、名無しさんを起こさないと理解できないことが多すぎる。彼女に触れるのは嫌いと言われた日以来で、震える手に自然と力が入った。
何度か揺すって目を覚ました名無しさんは、俺を見るなり目を白黒させて、それから俯く。昔から変わらない、素直な表情の変化。動揺しているのも、何を話そうか迷っているのも、手に取るようにわかる。

「名無しさんは、俺を待ってたの?」
「……そう。」
「俺、これから部活に行くんだけど、どうする?」
「……部活は来るな、って、柳くんが。」
「来るな、か。柳らしい。」

名無しさんと柳に面識があったことは初めて知ったけれど、体も心も回復しろ、という柳の優しさだと受け取って今日は素直に帰るべきかもしれない。「じゃあ帰ろうか。」なんて未だ視線を合わせない名無しさんに声をかけて、彼女の手を引く。つもりだったのに。

あれ、俺の体ってこんなに疲れてたっけ。


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