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  03.殴って済むのなら


あの日以来、俺と名無しさんの距離は急接近した。お互いに今までより自分の本性を明かすようになったし、時と場合によっては協力して二人で一つを食べるなんてこともあった。シュークリームを買ってくるなんて余裕があった時には、惜しまず二人分買ってきてくれるし、俺も買うようにしてる。それと同時に、仲間としてではなく女として名無しさんに惹かれていってる自分に気付いたのは、まだそんなに遠い昔の話じゃない。昨日も、体育でシュークリーム戦争に一人勝ちした俺を見て、素直に「悔しい!」と漏らす彼女が可愛くて。シュークリームのこととなると人格が変わる、なんていう話をしながらも、名無しさんの目がシュークリームに向いているのを俺は見逃さなかった。

「ほい。」
「え、なに?」
「お裾分け。」
「えっ!ホントに!?」

食べかけのシュークリームを差し出せば、遠慮なくかぶりつく名無しさん。そういえば間接キスだな、なんて顔を赤くするのは俺だけのようで、名無しさんはといえば絶品激レアシューに感覚という感覚全てを支配されているらしかった。俺の邪な考えがバレなかったから、結果オーライってことで。猫にマタタビ、とでも言うのだろうか。飲酒でもしたかのように蕩けた表情で「美味しいね」と笑う名無しさん、と、そんな名無しさんを見て蕩けそうになる俺。いつもよりシュークリームが甘く感じるとか、そんな漫画みたいなことが本当にあるなんて思ってもみなかった。
とどのつまり、俺は名無しさんに惚れているのだが、けれどもそれを誰かに話すようなことは決してしたくなかった。仲の良い部活仲間、及川、岩泉、松川は去年までのクラスだったり委員会だったりで名無しさんとの関わりが少なからずある。そんな奴らにおちおちと話してしまったら、今後の俺の生活が危うくなるのは目に見えているし、そもそも好きな子の話とか恥ずかしくて俺にはできない。

「……あ?」
「あ、マッキー!」
「何で及川がソレ持ってんの?」
「なんか買えちゃった!」

翌日。今日は移動教室でシュークリームを買いに行けそうにないと腹を括って廊下を歩いていれば、偶然廊下ですれ違ったそいつは確かにそれを持っていて。思わず零れた言葉に気付いたらしく、いつもの元気な調子でそいつ、及川は俺を呼んだ。なんか買えちゃった、なんて言うけれど、及川のことだからファンの女子が道を作ってくれたりしちゃうんだろう。これだからモテる男は腹立つ。そんなことを考えながらも視線は諦めたはずのシュークリームに向いていた様で、それに気付いた及川は「欲しい?」と一言付け足した。

「欲しい。」
「やっぱりね。」
「バレてた?」
「バレバレだよ。」

素直な気持ちだった。諦めたつもりだったけれど貰えるなら勿論欲しい。そしたらまた名無しさんと半分こにしようか、そんなことを考えていれば、ふと脳裏に浮かんだ名無しさんは嬉しそうにふわりと笑って。いつの間にかその笑顔を見たいと望んでいる自分がいた。
こういう時、及川は俺に甘いのを知っていた。「仕方ないなぁ」とか「特別だよ」とか、女子にモテそうなセリフを言いながら、それでも嫌な顔一つせずに恵んでくれる。そんな及川が好きだし、甘えている自覚もあった。だから、今回も当たり前のようにくれるのだと思っていたけれど。ふと渡しかけていた手を止めた及川は、少し考える表情を向けて。

「これあげたら、俺も名無しさんちゃんの笑顔が見れるってこと?」

その言葉も、悪い顔でニヤリと笑うのも、全てが及川の演技だということはすぐにわかった。これでも高校に入ってから長い時間一緒にいる仲間なのだ、こんなにもわかりやすい演技に気付かないはずがない。けれど、どうしてこの場で名無しさんの名を出すのか、どうして俺にそんな話を吹っ掛けるのか、理解できないことも沢山浮かんでくる。名無しさんとのことは誰にも話してないし、ましてや俺の気持ちなんて知らないと思っていたのに。
焦りの所為か「は?」と軽い気持ちで聞き返そうとした声が思いの外低い声で返事をしてしまって、及川は苦笑いを零した。

「この間、名無しさんちゃんと仲良くシュークリーム食べてるところ見ちゃってさ、そういえば最近なんか調子良いなーと思ってたんだよね!」
「で、鎌かけたってわけね。」
「ごめんごめん、そんな怒んないでよ!」

別段怒っていたつもりはないけれど、それはそれで都合が良かった俺は「じゃあ殴らせて」と。勿論冗談のつもりなのだが、俺が怒ってると思っている及川にこんな冗談が通じるはずもなく、引きつった笑顔を向けられた。ついでに俺の悪戯心が加わり、ニッコリと笑顔を向ければまるで貢物のように差し出されたシュークリームを素直に受け取る。「殴って忘れてもらおうと思ったのにな」とそれらしい理由を付け加えた俺に、及川は「絶対誰にも言わないから!」と念をおしてまで謝罪してきて、何だか少しだけ勝ち誇った気持ちになった。
結局、名無しさんの元にシュークリームを持って行って、それからふと、及川の思い通りにされたのだと気付くのは数分後。



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