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  02.気に食わない



その日は確かに、そういう気分だったのだ。たこ焼きの気分だとか焼肉の気分だとか、そういう類でシュークリーム気分というものが俺の中にもある。そして正しくその日はシュークリーム気分の日だった。作戦はいたって簡単。少し早く終わる理科の授業を受けている部活仲間の松川に頼み込んで、シュークリームを買ってもらう。勿論俺も後から向かうが、協力を仰いでおくのは常套手段だ。今までのほんの数か月、この作戦で失敗したことは一度もない。否、一度もなかった。
授業が終わり、勿論急いで購買に向かうけれど、既にシュークリームが手の中にあるような気持ちで浮ついた気持ちを隠せずに購買に向かう。「ありがとう、松川!」そう言おうと口を開いて、そこでふと気が付いた。

「ごめん、花巻。」
「え、」
「今日、買えなかった。」

先に声を出したのは松川だった。俺の気持ちを知ってか知らずか、心底申し訳なさそうにそう言うのだから八つ当たりすらできない。そんな俺を見て、松川はもう一度「ごめん」と繰り替えすが、それに答える気力を俺は持ち合わせていなかった。騒がしい購買の中、二人の間に沈黙が流れる。松川は決して悪くない。俺のために走ってくれたんだから、寧ろ感謝しないといけないのに、どうしてか言葉が出なかった。
ふと、沈黙を破るような大きな声が聞こえ、そちらを見れば部活仲間である及川と岩泉の幼馴染コンビがいつもの如く喧嘩をしているのが見えた。相変わらずあいつらは元気だ、俺の気持ちなんか知りもしないで。荒んだ心が俺の心を濁らせていくのがわかる。

「あ、マッキー、まっつん!そんなところに突っ立ってどうしたの?」
「あー、いや、その。」
「どうした、松川。喧嘩でもしたのか?」
「そうじゃないんだけど、」

何となく歯切れの悪い松川と何も喋らない俺を交互に見て、それから何かを察したように「あぁ、」と岩泉が呟いた。けれど、掛ける言葉を模索しているらしく、岩泉も同じように黙り込んでしまって。収拾がつかなくなりそうな雰囲気の中、及川が一言「そういえば、今日のシュークリームは村やんだったらしいね。」そう零した。岩泉と松川が、目を見開いて及川を見た、かと思えば俺を見て明らかに眉を下げる。村やん、というのは、さっきまで松川が授業を受けていた理科の教師のことだった。教師となれば職員室に忘れ物しただとか言い訳をして教室を出ることなんて容易いし、そんなことをしなくても村やんは若くて体育会系だから、生徒に負けず劣らずの実力者だ。
忘れていた、これは戦争なのだ。絶対なんて言葉は存在しない、それを手に取ったやつが勝ち。

「マッキー、どこ行くの?」
「そっとしといてやれ。」

岩泉の言う通り、今はそっとしてほしかった。戦いに負けたことも、自分が勝てると確信していたことも、松川に何も言ってやれなかったことも、そしてシュークリームを食べられなかったことも。すべてが悔しくて、どうしようもなくて。あぁ、シュークリーム食べたいな、なんて言葉が浮かんでしまう自分に舌打ちを零した。
教室に戻ればいつもの平和な空間がそこにあったが、俺はさっきの今で立ち直れるほど強い人間じゃないのだ。特に、今日は立ち直れそうにない。俺が席に着くなりいつものように茶化してくる友達も、ふと俺の様子に気が付いて「大丈夫か?」と心配そうな声を出した。

「今日は村やんが取ったって廊下で女子たちが言ってたけど。」
「マジで?」
「それは悔しいわ。」

項垂れる俺の頭上で繰り広げられる会話は、今さっき及川から聞いたものだった。そんなにも早く噂が広まるのかと思えば、やっぱりこの戦争は怖い。遠くの方では、女子たちが駅前にあるスイーツ屋でシュークリームを買ってきたとかで盛り上がっている声が聞こえた。俺も今日は大人しくコンビニシュークリームにすればよかったと、今更ながら後悔する。はぁ、と深い溜息を吐けば、頭上の会話も途絶えて再び俺の周りに沈黙が訪れた。
けれど、今回もまた、それは人の声によって破られたのだ。「ねぇ花巻、」そう声を掛けてきたのは、今年になって同じクラスになった名無しさん。普段は女子を下の名前で呼んだりしないけれど、彼女もまたシュークリーム戦争の上位者であり、シュークリームをこよなく愛するという点では仲間であることを知って、親しく下の名前で呼んでいる。そんなのはどうでも良いとして、自分を呼んでくれている相手を無視することも出来ずに顔だけそちらへ向ければ、名無しさんは俺の気持ちを何もかもわかっているかのように「残念だったね」と。他の奴らに言われた時ほど気持ちが落ちないのは、きっとこいつがこっち側の人間だからなんだろう。
「あぁ、」と溜息にも似た返事を返せば、少し照れたように彼女は笑って「なんかそんな感じしたからさ、」なんて。それがどういうことかわからずに次の言葉を考えていれば、カサリ、と頭に何かを乗せられて。

「……紙袋?」
「んー、まぁ紙袋なんだけど。」
「ゴミ?」
「真逆かな。」

まるでクイズのように頭に乗せられた重さと音だけでそれが何かを判断しようとするが、それだけでわかるほどの能力を持ち合わせていなくて。「降参」と素直にそれを手に取れば、その袋の文字に心が躍った。「一人休みだから余っちゃって。」そう言った彼女は「食べるでしょ?」と付け加えたのだ。
瞬間に口角が自然と上がるし、頬は緩むし、男らしからぬ顔をしてるんだろうけど、この際そんなことを気にしていられない。さっきまでのうつ状態は、目の前の女神によって晴らされた。


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