ぴーーーーーす | ナノ


  06.


彼女は女優だ。生活の一部を切り取ってそんなことを思ったのは初めてだったけれど、彼女、名無しさんは確かに女優だった。俺のことを気遣って幸せそうに笑う名無しさんだけど、ほんの少しだけその笑顔がいつもと違うように見えて。そうだ、名無しさんは女優だけれど、彼氏である俺だって青城バレー部のセッターであり主将であり、名無しさんの幼馴染なのだ。それなりの観察眼を持ち合わせている俺が、彼女の見せる小さな綻びを見逃すはずがない。
もとより、彼女の悲しむ顔は苦手なのだ。どんな名無しさんでも大好きだし愛しているとは言うけれど、好きな人の悲しむ顔はやっぱりあまり見たくない。

「じゃあ、今から行こうよ。」
「えっ、どこに?」
「どこでも良いよ。好きなところに行こう。」
「でも、授業と部活は?」
「全部俺が何とかするから、ね?」

素直に驚いた表情をする名無しさんが可愛くて、それと同時にとても嬉しくて。少し心配そうな顔をする名無しさんだけど、胸を張って「何とかする」と言い切ってしまえば、不安はどこへやら。キラキラと瞳を輝かせる彼女は宛ら子犬のようだ。まぁ、何とかする当てなど何もなく、きっと頭を下げることになるだろうけれど。

「あ、駅前のケーキ屋さんの新作シュークリームが美味しいってマッキーが言ってたから行ってみようか。」
「マッキーくん、ってシュークリーム好きだって人?」
「そうそう、甘いものに関しては詳しいから。マッキーのおススメは信用できるよ!」
「じゃあ、そこに行ってみたい!」

部活仲間の好物がこんなところで役に立つなんて思ってもいなかった。今度、シュークリーム買ってあげよう、なんて心の中でマッキーに感謝しつつ、名無しさんとの会話を続ける。二人して行く気満々で、さっきまでチビチビと飲んでいたジュースを一気に飲み干して、鞄を手に取った。混雑している昼休みに抜け出すのはいとも簡単で、出口付近に置かれたゴミ箱にジュースの空を捨てれば、なんだか優越感に満たされる。

「ドキドキするね、こういうの。」
「抜け出して正解だったでしょ?」
「うん、大正解!」

名無しさんのこんなに幸せそうな顔を見られたのだから、俺にとっても大正解。ウキウキしながら歩く彼女が可愛くて、思わず手を繋いでしまえば「恥ずかしい……、」と顔を真っ赤にしながら、名無しさんははにかんだ。
明日、ちゃんとみんなに謝るから、今日だけは許して。



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