音駒 | ナノ


▽ もう背伸びしないので


多分、世の中の作りがおかしいんだと思う。
黒板消しを片手に、日直の仕事を恨んだのはこれで何度目か。生徒の半数がこの黒板の上の方に手が届かないというのに、黒板を消す係は必ず生徒がやることになっているし、かといって黒板が低くなってくれるわけでもない。むむ、と背伸びをしてみるけれども、あと少し、ほんの少しが届かずに足を震わすのみ。一度、体勢を立て直して「はぁ、」と息を吐く。それからもう一度。

「あれ?またそんな所で背伸びしてるんデスカ?」

ぐい、と背伸びをした、その瞬間にその声はあたしに降りかかってきた。とてもよく聞く声に、顔を見ずともその声の主がわかって「うるさい」と零す。声の主、黒尾鉄郎はあたしの彼氏であり、バレー部に所属している長身の持ち主でもある。それがつまりこの暴言を生み出した原因でもあるのだけれど。背伸びをせずとも黒板を全て消せるこの野郎には、背が低いあたしの気持ちなんてわかるまい。恨みの全てを込めて鉄朗を睨むけれど「おー、こわいこわい」なんて全く怯む様子がないから尚更悔しい。

「……で、何の用?部活は?」
「今日ミーティングだけ、って言ってなかったっけ?」
「あー、言ってたね。忘れてた。」

この黒板消しが憂鬱すぎてね、とは口に出さない。どうやら彼はあたしと帰宅するために、わざわざ教室まで迎えに来てくれたらしい。なんて素晴らしい彼氏なんだ。あの暴言さえなかったら最高なのに。これも口には出さない。
「あーあ、まだかな」なんてわざとらしく口を尖らせる彼をもう一睨みして、それから再び足先に力を入れた。本当にあともう少し、なのに。ジャンプをすれば届くけれど、そうすると黒板が汚れてしまうし、あたしのプライドが椅子を使うことを拒んでいるから、やっぱりあたしに残された選択肢は背伸び一択。
彼女がこんなにも頑張っているというのに、隣に居る彼氏様は腹を抱えて笑ってるんだから質が悪い。素晴らしい彼氏というあたしの過去の思考は、このまま黒板消しで消してしまおう。と、思ったのに。

「で、いつになったら頼ってくれんの?」

するり。あたしの手から離れた黒板消しは彼の手の中に収められていて。あたしを背中から抱きしめるような体勢で、そのまま上の方の文字をいとも簡単に消していく彼。表情は全く見えないけれど、声色は随分ムスッとしていたように思う。頼ってほしかったなら最初からそう言えばいいのに、そういう素直じゃない所があたしにそっくり。
黒板消しを綺麗にするところまであたしの代わりにやってくれた彼に「ありがとう」と感謝の気持ちを述べると、ニコリと笑って。

「名無しさんが俺の身長を超すまで、いつでもどーぞ。」

また嫌味ばっかり、と愚痴が零れそうになった所で、不意にその言葉をごくりと飲み込んだ。これってもしかして、すごく遠回しなプロポーズなのでは、なんて。気付いた時には既にあたしの頬の筋肉は仕事を放棄していた。



(170507)リクエスト...りく様(Twitterより)


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