音駒 | ナノ


▽ 相合傘


「傘、一緒に入りませんか?」
 
 その日、初めて黒尾くんと会話をした。
 あたしは黒尾くんのことを詳しく知らない。同じクラスになったことも無ければ、部活も違うし、選択授業も違う。強いて言うなら、三年間同じクラスの夜久くんが、黒尾くんと同じ部活だということくらい。つまり、見たことはあるけれど、話したことは無いのだ。
 そんな彼が、どうして今まさにあたしの目の前で傘を傾けているのかは分からない。部活が休み、という話は夜久くんから聞いていたけれど、それとこれとは全くの別問題である。
「えっと、あの?」
「俺、黒尾っていうんだけど」
「それは知ってる、けど、」
 そういうことじゃなくて。すれ違う会話文を気にも留めず、黒尾くんは「マジか、俺って有名人?」と笑う。有名人かどうかは兎も角、人気者であることは普段の様子を見ていればわかる。だからこそ、だ。彼があたしを傘に入れてくれる理由が見当たらない。
 無慈悲に困っている人を助けてくれるような優しい人だというのなら、それはそれで有難いけれど、どうにも彼には裏があるような気がして仕方がない。何より、どうして今さっき下駄箱に来たばかりのあたしが、傘がなくて困っているということを知っているのだろう。
 まるで、あたしのことを待ち構えていたみたい。
「とりあえず帰ろうぜ」
 考えれば考える程に、目の前の男が怪しい人に思えて仕方が無くなる。夜久くんと友達なのだから、悪い人ではない、はず。それは分かっているんだけど。
「……大丈夫です、さようなら」
 くるりと踵を返し、黒尾くんに背を向けたあたしは、教室へ戻ろうとする。が、こういう時に限って、雨だから、という理由でいつものローファーではなく、しっかり靴紐を結んでスニーカーを履いていて。ちょっと待てって、と腕を掴まれてしまえば、もう逃げ道は無い。
 そろり、と彼の方へ向き直り、真っ先に顔色を確認するが、どうやら怒っている様子は無いので一安心。けれど、さすが運動部、というべきだろうか、がっしりと掴まれた腕は簡単に解けそうにない。
「わりぃ、急でびっくりしたよな」
「……あたし、黒尾くんと接点無いと思うんだけど、」
「いや、まぁ、そうだけど、」
 歯切れの悪い言い方に、あたしは「じゃあどうして」と首を傾げる。そんなに答えにくい質問をしているつもりはないけれど、返答に迷っているのだろう、黒尾くんはガシガシと頭を掻いて視線を逸らした。
 困ったように眉を下げて、たまに真剣な表情をして、けれどまたすぐに眉を下げる。こんなにコロコロと表情を変えたところで、あたしには一言も届いていないのだからおもしろい。
黒尾くんは、もっと物事をスマートに進める人だと思っていたのに。あたしの知っていた黒尾くんと、今、目の前に居る黒尾くんがあまりにも違いすぎて、思わず笑いが零れた。
「な、何笑ってんの?」
「黒尾くんが面白くて」
「それ褒めてないよね?」
「うん」
 今度は唇を尖らせる黒尾くん。こんなにも面白い人間だったのなら、もっと早くから関わっていればよかった、なんてほんの少しだけ後悔していれば、黒尾くんも同じことを考えていたのだろうか「俺、お前ともっと早く話したかった」と。
それから「お前のこと、ずっと気になってた」なんて。
 どうやら、同じことを考えていたわけではなかったらしい。黒尾くんの方が、もっとずっと大切なことを胸に秘めていたのだ。
「あたしが?」
 思わず聞き返してしまったあたしに、こくりと頷いて「あぁ」と答える彼。
 そんな、まさか。
 どこのクラスにでもいるような、あたしなんかのことを知って、気になっていてくれただなんて。しかも、人気者の黒尾くんが、だ。
 もう一度、念を押して「あたしが?」と聞き返しそうになったが、真っ赤になった彼の顔を見れば、その必要はなくなってしまって。開いた口は咄嗟に「ありがとう」と零す。ここから一気に進展する、なんてことはないけれど、これを機に彼と仲良くしてみるのも悪くないような気がして。
 あたしの返事にニコリと口角を上げた彼は「それじゃあ」と零して、傘を差し出した。

「傘、一緒に入りませんか?」




(170914)#夢書ワンライ「相合傘」


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