青葉城西 | ナノ


▽ 砂浜


 彼はまるで、子どもみたいだ。
 白線だけを踏んで信号を渡ったり、花壇の縁に並べられたレンガを一本橋に見立てて渡ったり、影だけを通って家に帰ろうとしたり。そういう類である彼の行動は、傍からすれば頭がおかしいのかもしれないが、本人はいたって真剣に楽しんでいるのだからあたしも彼を止めようとは思わない。
 あたしはただ、彼の前を歩くだけだ。
 簡単に言うと、彼は今、あたしの足跡だけを辿って歩いている。家の近くの砂浜へ遊びに来たあたし達は、さっきまで隣に並んで歩いていたはずなのに、視界から消えたと思えば既にストーカーごっこを始めてしまっていた彼に笑みが零れた。
「この間さ、」
「うん?」
「及川が女の子に告られてるところ見ちゃった」
「うわ、アイツまた告られてたのかよ」
 多分、悔しいような、羨ましいような、そういう表情をしているのだろう。顔は全く見えていないけれど、声から察すれば、彼の表情など容易に想像できた。
 あたしという彼女が居るのに、とも思うが、彼女が居るかどうかは関係なく、純粋に「女の子にモテる」という友人、及川のスキルが羨ましいのだと思う。「バレーも上手いし、モテるし、神様って不公平だよな」なんて呟いた彼にはあたしという彼女が居て、及川はつい最近、彼女に振られたというのだから、そんなに羨ましがる必要は無いと思うが。女であるあたしには理解できない男心というものがきっとあるのだ。
 日が沈んできたせいか、次第に波が足元へと近付いてきて、それから避けるように、あたしも次第に海から遠ざかる。流石に、濡れた足で帰りたくはない。
「貴大は、告白されたらちゃんと教えてね」
「良いけど、聞いてどうすんの」
「嫌いになられる前に、心の準備がしたいから」
「嫌いになると思ってんの?」
「……なってほしくはないけど、ならないとも限らないでしょ?」
 立ち止まって振り返れば「あぶね、」と彼がよろけるのが見えた。あたし達が歩いてきた足跡は、波に攫われてしまったらしい。あたし達の関係だって、そんなもんだ。家族の様に血が繋がっているわけでもなければ、結婚のように誓約書があるわけでもない。好きだから一緒に居るけれど、嫌いになったら簡単に捨てることのできるこの関係は、波打ち際に残る足跡の様に儚くて、不確かなのだ。
 あたしの言葉に、彼は目を見開いて、それから眉を下げた。綺麗な瞳にうっすらと涙の幕が張られていて、泣きそうなのは明らかである。普段はこんなにセンチメンタルな台詞を吐かないあたしだから、尚更怖いのか。
 別れたいわけじゃない。彼が大好きだ。だからこそ、これはあたしなりの予防線ってやつ。彼がモテるという事実を知らないのは、きっと彼だけだ。いつも明るい彼の周りには、男女問わず沢山の友達が居て、女子の間では「花巻くんってかっこいいよね」なんて囁かれている。そんなことでも不安を感じてしまうのは、やっぱり、好きだからなのだろうけど。
「な、んで、そんなこと、言うの、」
 ぽたりと雫が零れた。泣くまいと堪えているのは分かるけれど、どうやら上手くはいかないようで、ぽたぽたと涙が溢れてくる。
「俺、絶対にお前のこと嫌いにならない」
「そんなの、」
「ならない!」
 広い海辺に、彼の大きな声と、波の音だけが響いた。部活の時でも出さないような大きな声に驚いてしまったけれど、彼は至って真剣なようで、真っ直ぐあたしを見つめたまま、その視線を外そうとしない。
「絶対、嫌いにならない、から、お前も俺のこと嫌いにならないで、」
 震えた彼の手が、あたしの手を握り締めた。馬鹿だなぁ、嫌いになれないから、あたしは彼に振られる前の予防線を張ったというのに。本から、あたしが彼を嫌いになるなんて未来は想定していない。
「ならないよ」
「絶対?」
「うん、絶対」
「絶対の絶対?」
「ふはっ、」
 一向に止まらない涙だとか、少しずつ握る力が強くなっていくところだとか、絶対という言葉を信じているところだとか。そういうことを無自覚でするんだから、あたしは「絶対」彼を嫌いになれないのだ。
 何笑ってんの、と戸惑いを隠せない彼に、あたしは「好きだよ」とだけ返して、再び前を向いて歩き出した。ぐずぐず泣きながら付いてくる彼は、まるでピィピィ鳴きながら親鳥のあとを追う雛の様だ。いや、握られた手が離れないのだから、鳥の雛の方がよっぽど優秀かもしれない。
 彼はまるで、子どもみたいだ。



(180418)


prev / next

179519[ back to top ]