青葉城西 | ナノ


▽ imagine




 きっかけは友達の一言。
 ―――岩泉くんと結婚したんだってね。
 SNSで呟いたのを見つけて、わざわざ連絡してくれたのだろう。おめでとう、と言う友達に、ありがとう、と返し、それから少しだけお喋り。そうして二時間も話し込んでしまったあたし達は、今度は会って話そう、と約束を取り決めて電話を切ったのだ。
 仲の良かった友達と話したことによる喜びに加え、岩泉くんと結婚した、という言葉が気恥ずかしくてふわふわと気持ちが浮かび上がる。未だに「岩泉」という苗字を書くのは慣れなくて、ちょっとした時に元の苗字が出てきてしまうけれど、あたしはもう「岩泉」なのだ。
 そう言えば、出会った頃はお互いに名字で呼び合っていた気がする。彼はあたしのことを苗字の呼び捨てで、あたしは苗字にくん付けで。それから、及川(その時は及川くんと呼んでいた)と仲良くなったあたしは、及川の真似をして「岩ちゃん」なんて呼ぶようになったのだ。
 今と同じ、お互いに名前で呼ぶようになったのは、彼との関係が友達から恋人へと進展してから二か月ほど後のこと。「ちゃんと名前で呼んであげれば?岩ちゃんならきっと喜ぶよ」と及川にそそのかされたあたしは、彼のことを初めて「はじめ」と呼んだのだ。それに合わせて、彼もあたしのことを名前で呼んでくれて、やっと本当の恋人になれたみたいで嬉しかったのを覚えている。
「岩泉くん」
 ふと、口に出してそう呼んでみれば、彼のことをそう呼んでいた時期もあったのに、どこかむず痒くて顔が熱くなった。けど、たまにはこういうのもアリかもしれない。彼の反応を想像して、あたしはニヤニヤと口角が上がるのを堪えられないでいた。

 彼が仕事から帰宅するなり、あたしは玄関まで彼のお出迎えをする。彼は決して亭主関白なタイプではない。あたしが、早く彼に会いたいが故に、居てもたってもいられず玄関まで飛び出してしまうのだ。その話を彼にしたら「犬か」なんて笑われたことがあるけれど、この際、犬でも構わない。
 さて、忘れかけていたけれど、本日のミッションは、彼を「岩泉くん」と呼ぶこと。そしてあわよくば、彼に旧姓で呼んでもらいたい。あの頃はこれが青春だなんて思ってもいなかったけれど、過ぎてみて思えば、確かにあの頃のあたし達はちゃんと青春を過ごしていた。
「……岩泉くん、」
 結論から言えば、勇気を出して紡いだその言葉だけど、どうやら彼には効力がないらしい。首を傾げて、少し笑いながら「何かおねだりかよ?」なんて、そんなつもりじゃないのに。
「そうじゃなくて、苗字で呼ぶの、懐かしい気がして」
「お前はおねだりする時、いっつも苗字で呼んでくるだろ」
「え、あー、そうだけど、」
 あたしが勝手に必殺技だと思っていたおねだり作戦が、彼にバレバレだったなんて。それに追い打ちをかけるように「昨日も聞いたから懐かしい感じはしねぇな」なんてまた笑うから、あたしのライフが一気に減っていく。
 くそ、懐かしい気持ちになるのはあたしだけか。あからさまに不貞腐れてみせるあたしに、彼は溜息を一つ。それから「でもまぁ、おねだりは叶えてやんねぇとな」と。
 彼の言葉の意味が分からず首を傾げるあたしに向かって、彼はこほん、と咳ばらいを一つ零す。ほんの少し赤い顔と、泳ぐ視線。そして、あたしの旧姓。
「俺は、お前が好きだ」
 付け加えられた愛の言葉は、あたしと彼を結んだ大切な言葉で。
「……覚えてたの?」
「……忘れるわけねぇだろ。名前も、告白の言葉も。」
 嬉しくて、鼻の下は伸びるし、口角は上がりっぱなしだし、自分の思うように表情筋を動かせないで居れば、顔を真っ赤に染めた彼が「おら、さっさと晩飯食うぞ」と顔を逸らす。あたしはもうお腹いっぱいだよ、って笑ったら、軽く拳骨をして「うるせぇ」なんて。あの日から可愛い所は何一つ変わってない彼に、あたしはまた愛おしさを積み重ねていくのだ。

 ―――と、ここまで脳内で勝手な妄想を繰り広げたところで、あたしは手に持っていた掃除機のスイッチを切った。彼が帰宅するまで、あと一時間。友達と電話していた分、急いで夕ご飯の支度をしなければならない。
 一人きりの空間に、あたしの鼻歌が響く。「岩泉くん」のシュミレーションは完璧だ。あとは、彼の帰宅を待つだけ。



しさちゃんより(180420)



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