青葉城西 | ナノ


▽ 好きすぎて辛い






 教室。窓際でもなければ、一番後ろでもなく、位置取りだけで言うなら別段「良い席」とは言えないその場所が俺の座る席だ。当たり前のようだが、前方には黒板が見えているし、その黒板から手前に広げるノートや教科書へ視線を行き来させる生徒の背中も見えている。勿論、俺の目の前にだって、自らの勉強道具が広げられているのだけれど。
 授業中の大半以上、俺の視界に映るのは黒板やノートといったそれらの勉強道具ではない。だからといって、授業を寝て過ごすほど不真面目な行動をとっているわけではない。授業を真面目に受けていない時点で不真面目である、という正論は置いておいた場合の話であり、つまり、授業を聞かずよそ見をしていることに他ならないのである。
 彼女との距離は、ほんの数センチ。奇跡的に隣の席になった俺は―――隣であろうとなかろうと変わりはないけれど―――授業中にも関わらず彼女のことを見つめては、うっとりと溜息を零す。だらりと机に上半身の体重を預けている俺とは正反対に、ピンと背筋を伸ばして座る彼女。授業の時だけ前髪が耳にかけられて、普段と違った色っぽさが俺を煽る。かといってずっと真剣に授業を聞いているわけでもなく、たまにひそひそとお喋りをしていたり、バレないように仮眠をしていたり。それらの全てが可愛くて、俺は寝る魔も惜しんで彼女を観察しているのだ。
「あ、」
 不意に、彼女が消しゴムを落として小さく声を漏らした。ころころと机から転がり落ちたそれは、床でもころころと移動を続け、俺の足元で身を顰めようと動きを止める。そういう彼女への迷惑行為は俺が許さん、とばかりに消しゴムを拾って「はい」と手渡せば、彼女は「ありがと」と笑って、また手元へと視線を戻した。そんなに真剣にノートを取ってないで俺に構って欲しいなぁ、なんて、先程の消しゴムよりよっぽど迷惑なことを考えている自分に呆れてしまう。
 なぁ、と思わず声を掛けようとしたところで「じゃあ、さっきから彼女しか見てない花巻に、ここの現代語訳答えてもらうかな」と聞こえ、それに連なるようにクラスメイトの笑い声が俺へと向けられた。この学年では生徒にも教師にも公認であるが故の弊害が、まさかこんなところで出てきてしまうなんて。唯一仲間であるはずの彼女ですら、俺の隣で腹を抱えて笑ってるんだから、愈々俺の味方はゼロ。
 結局、前回の授業を覚えていた自分を褒め称えたいくらいにスムーズに答えられた俺に、教科担任も「カッコいい所見せられてよかったな」と褒めてくれたし、彼女も嬉しそうだったから大満足である。所詮、単純思考な俺は、結果が良ければ全てよしなのだ。
「ねぇ、」
 一仕事終えて、再び先程の体勢に戻ろうとしたところで、今度は隣の席から小さな声で呼び出しを食らった。因みに、どうでも良いかもしれないけれど、俺は未だに彼女に声を掛けられるとドキドキするし、理性はいつでも崩壊寸前である。俺にとっては全然どうでも良くなんかなくて、正直言って毎日辛いのだけれど、それを部活仲間に相談したところ「幸せそうで良かったな」の一言で一蹴されてしまった。どうにも腑に落ちない。
 そんなことは置いておいて。
 俺の腕をつんつん、と突いた彼女は、それからそっと俺の机に一枚の紙を滑らせた。小さな白い紙には何も書いていなくて、どういうことだろうと思ったけれど、それを裏返して状況は一変。何がどうなったのかは分からないけれど、自分の体が大きく跳ねて、静かな授業中にも関わらず、机と椅子がガタガタと大きな音を立てた。
 あまりにも突然の出来事に「大丈夫か?」と本気で心配する教科担任に、慌てて「だ、大丈夫!」と返したけれど、はっきり言って何一つ大丈夫ではない。隣で必死に笑い声を我慢している彼女に「どういうことだよ!」と小声で聞いてみたけれど、彼女の呼吸が整うまでは答えを貰えないだろう。
 俺の机にある小さな紙には、俺の苗字。それから、彼女の名前。
「……ふう、笑わせないでよ」
「いや、だって、これは普通に驚くだろ」
「ちょっと書いてみたら文字のバランス良かったから」
 確かにバランスは良い。と、納得しかけて、いやいやそういうことじゃない、と脳内の冷静な俺が大きく首を左右に振った。俺の苗字に、彼女の名前。それがつまり何を意味しているのか、分からないほど俺はバカじゃないつもりだ。
 俺の苗字を彼女が使うってことは、つまり結婚するってことで、それを今書いてみたってことは、冗談半分だとしても少なからず俺との将来を考えてくれてるってことで。
 ―――それはつまり、幸せってことなのでは。
 思わずにやける口元を手で隠せば「何にやけてんの?」と彼女から冷静なツッコミを入れられてしまったけれど、これは百パーセント彼女が悪いと思う。前述の通り、俺の理性はいつでも崩壊寸前。健全な現役男子高校生なんて、いくら大人ぶってカッコつけていたところで、所詮彼女を前にしたらそんなもんなのだ。

「好きすぎて辛い」

 タイミングが良いのか悪いのか。静まり返った教室に、俺の声がぽつりと浮かび上がったのが自分でもよく分かった。一瞬の間をおいて、クラス中の笑い声。「幸せそうで良かったな」と、どこかで聞いたような担当教師の台詞に、顔が熱くなっていく。チラリと隣の席に目をやれば、今度は彼女も真っ赤に染まっていて。そんな姿すら可愛くて大好きなのだから、やっぱり俺は救いようのない程、彼女に溺れているらしい。
 けれどその後「あぁいうのは嬉しいけど恥ずかしい」と彼女が少し膨れていたので、今後はもう少し気を付けて過ごそうと思う。



(180405)


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