虚弱系男子 | ナノ


▽ 喘息


小さい頃から、激しい運動やストレス、埃の影響なんかで喘息の発作が出てしまうことは少なくなかった。それは体が成長してバレー部員として毎日の練習に耐えられている今でも、時と場合によっては出てしまう。それがまさに今。
合同合宿による毎日の練習と、集団で何日も生活するというストレス。それに加え、誰かの「枕投げしようぜ!」なんて一言により開催された枕投げ大会は、俺を苦しめるのには十分で。

「けほっ、けほ、」

呼吸が苦しくて胸元を押さえる。白熱した枕投げ大会の最中だからか、少しくらいの咳は誰も気付かないみたいで好都合。みんなが騒いでいるうちに部屋をそっと抜け出し、誰も使わないような階段の隅でうずくまった。こういう時に限ってクロは主将会議に行ってしまうんだからタイミングが悪い。
咳が酷くなるにつれ、このまま一人で死んでしまうんじゃないかという恐怖が脳裏を過ぎる。助けて、助けて。心の中で祈りながら、震える手で着信履歴の一番上にある名前をタップした。

「もしもし、どうしたの?」
「はっ、はぁっ……はっ、けほっこほっ、はぁっ……、」

幼馴染であり彼女である名無しさんは電話に出るなり、俺の異変に気付いてくれたらしい。助けて、と言葉を出せない代わりに懸命に祈れば「すぐ行く」とだけ言われて電話は切れて。それから本当にすぐ来てくれた彼女は、来る途中に薬も取って来てくれたらしい。

「これ吸って、落ち着こう?」
「はぁっ、けほっけほっ、はぁ、はぁっ……けほっ、」

名無しさんに促されるまま吸入器を口に当て、昔からやっているようにゆっくりと呼吸を繰り返した。それを助けるように名無しさんの手が俺の背中を優しく撫でてくれて、気のせいかもしれないけれど心も落ち着いていくような気がした。
「少し落ち着いたら救護室に行こう」そんな彼女の提案にこくりと首だけで返事をし、苦しいながらも少し回復した体で立ち上がる。名無しさんに体を支えられながら早く着けと念じてみるけれど、生まれたての鹿のような足取りでここから離れた救護室まですぐに着くはずもなく。

「けほっ、はぁっはっ、はぁっ、」

吸入器を使ってもそう簡単に治まらない今回の発作はぶり返すのも早くて、名無しさんの服を掴んでずるずるとしゃがみ込む。手に力が入らなくて、うずくまっているこの状態ですらやっとだ。そんな俺の隣に腰を下ろした名無しさんは「寄りかかれ」とでもいうかのように俺の体を抱き寄せる。たったこれだけのことだけど、彼女の体温と背中を擦る優しい手に安心感を覚えた。
けれど、それも束の間。

「はぁっ、けほけほっ、かはっ……!」

あ、やばいかも。なんて頭の片隅でそう思った時にはすでに遅く。びちゃびちゃ、という音とともに床にまき散らされた吐瀉物に焦燥感が沸き上がった。咳とともに吐いてしまうことなんて今までに何度もあったけれど、まさかこんなところで吐いてしまうなんて思ってもいなくて。あまりにも衝撃的でショックが大きく、息がさらに乱れるのが自分でもわかった。
どうしよう、どうしよう、早く止まって、お願い。

「けんま、大丈夫。ゆっくり息して。」
「げほっ、おぇっ……けほっ、げほっ、はっげほ、……」
「大丈夫だから、落ち着いて。」

名無しさんは相変わらず優しく背中を擦ってくれているのに、それに反してどんどん苦しくなっていくような気がして。辛くて、苦しくて、涙まで溢れ出す。
すると突然、一つの部屋から賑やかな声が聞こえてきて、ガチャリとドアノブが回る音。瞬間、びくり、という言葉が適切なくらいに体が跳ねた。早くどうにかしないと、そう思えば思うほどに息が乱れ、咳も嘔吐も止まらない。お願い、出てこないで。そんな願いも虚しく、開かれたドアから出て来たであろう足音達に恐怖してまた吐いた。

「おい研磨、名無しさん!」

すると、聞こえてきたのはやけに聞きなれた声で。恐る恐る顔を上げれば、心配顔のクロ。それから他校の部長達。そっか、主将会議の部屋だったんだ、なんてほんの少しの安心感でまた嘔吐した。

「やっぱり喘息出たか。」
「一回少しだけ落ち着いたけどぶり返しちゃって、」
「研磨、のれ。とりあえず救護室行くぞ。名無しさんも来てくれ。」

そう言って俺の傍で腰を下ろして背を向けるクロに、今乗ったらクロの服が汚れちゃう、なんて反論したいところだが生憎そんな余裕は無い。素直に背中に乗せられた俺の背中を休むことなく擦ってくれる名無しさんには、これからずっと頭が上がらないかもしれない。

「黒尾、ここは俺達で片付けておくから孤爪くんに付いててやって。」
「悪いな、澤村。」

クロの背中と名無しさんの手。それから心地良い揺れに遠くなっていく意識の中でそんな会話が聞こえて。恵まれてるな、なんて思いながら目を閉じた。

目が覚めると「起きた!」と名無しさんの安心したような声。それから俺を覗き込む二人の顔が見えた。「今日は大人しくしてろ」そう言ってベチンとデコピンをするクロだけど、顔を見れば二人が安堵しているのは一目瞭然で。

「名無しさん、クロ、」
「ん?」
「ありがと。」

言って、布団に顔を隠す俺に二人は笑って。それから「いつでも頼ってね」と。


(151217)


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