虚弱系男子 | ナノ


▽ 風邪


体調を崩してしまった。しかも、梟谷グループの合同合宿中という最悪のタイミングで。普段なら「学校休むのか、暇だな。」くらいにしか思わないけど、今回ばかりはそんな単純な話じゃない。みんながバレーの技術を高めあうために合宿に参加してるっていうのに、練習に参加できないどころか、これじゃまるでお荷物。「部屋でゆっくりしてろよ。」なんてみんなの優しい言葉も、今の俺には重荷にしか感じられなかった。とはいえ、罪悪感の一番の理由はそこではない。

「研磨、寒いとか暑いとかない?」
「ううん、平気。」
「そっか。あたしちょっとだけ体育館の様子見てくるね。」
「うん。」

俺の一番の罪悪は彼女、名無しさんを独占してしまってる事にある。名無しさんは確かに俺の彼女だけれど、今は音駒のマネージャーとして合宿に参加してるのに、俺のせいで名無しさんを独占してしまって。つまり音駒の士気にも影響してるのだ。このタイミングじゃなければ、もっと素直に名無しさんの看病を喜べたかもしれないのに。

「……けほっ、」

とにかく、俺のせいで名無しさんまで体調を崩すなんてことにはなってほしくないから、今日はたくさん寝て、明日は練習に参加できるようにしなければ。そう心の中で意気込み、眠りにつくために目を閉じる。……と言っても、寝なければと思うとそんなに簡単に寝れるものではなく。寝付けずに何度も何度も寝返りを打っていると、ふと体調の変化に気付いた。

「……っ、」

吐きそう、かも。
かも、というのも、そこまで強い吐き気が来てるわけではなく、食べ過ぎた時のようなちょっとしたムカムカだからだ。もしかしたら朝から何となく食べる気分になれなかったから、空腹なだけかもしれない。
とりあえずもぞもぞと楽な体勢を探し、うずくまるように横になることで少し落ち着いた。それとほぼ同時に部屋のドアが開き、冷えピタや氷枕、そして多分作ってきてくれたんだろうスポドリを手にした名無しさんが顔を覗かせる。

「研磨ぁー!調子ど、う……研磨?」
「あ、名無しさん、」
「どうしたの?お腹痛い?」
「いや、大丈夫。」

少しわざとらしく明るい調子で部屋に入ってきたのかもしれないが、それがかえって名無しさんの不安な顔を際立たせて。本当はほんの少し気分が悪いけど、言い出せずに笑顔を作った。「でも顔青いよ?」「なんかあったらすぐ言ってね?」と心配してくれる名無しさんを見れば見るほど心苦しくなっていく。
それに腹痛や頭痛ならまだしも吐き気がするだなんて、名無しさんのことだから心配してついていてくれるに決まってる。けれど、これでも俺は名無しさんの彼氏で、名無しさんを守る側の立場で。だから吐いてる姿なんて絶対に見られたくない。

「名無しさん、みんなの所に行ってて。」
「でも研磨の方が心配だし……。」
「今の名無しさんはマネージャーでしょ。」
「それでも研磨の彼女だし、研磨も選手の一人だよ。」
「…………、」

あぁ言えばこう言う名無しさんに返す言葉が見つからなくなり、小さく溜息を吐いた。確かにこの場合、明らかに名無しさんが正論だし、俺自身もそれをわかってる。でも正論かどうかは問題じゃなくて。
いつの間にか少しづつ強まっている吐き気を押し戻すように、何度も唾を飲み込む。さっきまでは自分を誤魔化して過ごしていたけれど、もうそろそろ本格的に気持ち悪い。

「良いから出てって、」

言いながら布団を頭まで被り、口を押えてうずくまる。もうダメだ。吐きそう、そう思えば思うほどに吐き気が増していくのがわかる。呼吸をするだけで吐きそうで。溢れる涙を拭うことすら怖くて、震える声で「おねがい、」と付け足す。この際ここで吐いてしまってもいい。だけど名無しさんにだけは見られたくない。
お願い、お願い、見ないで。

「……ごぽっ、」

けれど現実はそんなに甘くはない。ごぽり、と胃から流れてきた吐瀉物の音を名無しさんは聞き逃さず、布団をそっとめくった名無しさんは俺の口元に袋を置いた。瞬間、すでに喉元まで来ていた吐瀉物はべちゃべちゃと音を立てながら袋に落ちていく。
嘔吐している苦しみと、名無しさんに見られてしまった悔しさと羞恥心。この涙の成分の半分以上は後者だと思う。

「っおぇ、げぼっ、っうぇ、げぇっ、」
「研磨、頑張れ。」
「っげほ、おぇっ、げっ、げぇっ、おぇ、」

髪が汚れない様に髪の毛を押えてくれてるし、落ち着く強さで背中をさすってくれてるし、名無しさんはこんなにも優しい。俺は合宿で体調崩してみんなの足引っ張るし、彼女の前で吐いちゃうし、本当に情けないのに。

「っ、おぇ、……ごめ、っおぇ、……ごめ、ん、っおぇ、」

胃が空っぽなのか、もう何も出てこない体で何度もえづきながら言葉を絞り出せば、髪を押える手を離され、代わりにその手は震える俺の手を優しく包んで。「何で謝るのかは知らないけど、あたし研磨の彼女だからね?」と。彼女の目の前で嘔吐した俺なんかより断然カッコ良くて、悔しくて。納まりかけてた涙が再び溢れ出した。

「ほら、吐き気落ち着いたならもう泣かないで。」
「……っ、ぐすっ」

俺を宥めるように片手は優しくトントンしてくれて、もう片方の手はずっと握ってくれている。まるで子どものようにぐずぐず涙を流す俺をこんなにも愛してくれるのは、きっとこれから先もずっと名無しさんだけだと思う。
名無しさん、ありがとう。大好き。

「早く良くなってね、研磨。」


(151112)


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