虚弱系男子 | ナノ


▽ 風邪


おかしい。昨日の夜までは元気だったはずの体が、昨日までのようには動いてくれない。頭が痛くて寝不足かとも思ったけれど、異様な寒さとほんの少しの吐き気に襲われて、やっと自分の状態を理解することができた。風邪ひいたっぽい。
とは言っても、合宿中の今、体調不良だなんて言ったらみんなに迷惑をかけるだろうし、何人かがうるさく騒ぎ立てるのも目に見えている。ダメそうだったらクロに言おう、そう心に決めて朝食に向かった。

「研磨、遅かったな。もうみんな食い終わるぞ。」
「ごめん、先行ってていいよ。」
「あぁ、早く来いよ。」

幸い、いつも通りの寝坊だと思ってくれているらしいクロは、これまたいつも通り一足早く部員達と朝食を終えたらしく。先に練習に向かうみんなの背中を見て、正直ほっとした。が、不意に誰かが視界に入り込んで、それが誰かを理解できるよりも早く、その人は一言「研磨具合悪い?」と。
顔を覗かせた人物、名無しさんは、心配そうに眉を下げた。これがただのマネージャーなら何でもないと誤魔化すところだけど、名無しさんは幼馴染であり俺の彼女。嘘を吐き続ける方が難しいと咄嗟に判断して素直に頷けば、額に彼女の手が触れた。

「熱っぽい。今日は休んだら?」
「ううん、大丈夫。」
「サボり魔の研磨にしては珍しいね。」
「熱あるって言ったらみんなきっとうるさい。」
「あぁ。」

名無しさんの頭の中にも同じメンバーが浮かんだのだろう、妙に納得した様子で頷いた彼女に「だからとりあえず参加する」と付け加える。それに関しては全く納得してない様子の名無しさんだけど、何かあったら絶対言うと約束を交わし「無理はしないから」と言えば、これまた妙に納得した様子で頷かれた。
結局、朝食はあまり喉を通らず、少ししか食べれなかったけど。

「ごめん、遅くなった。」
「ん、いや。まだ来てない奴ら居るから大丈夫だ。」

朝食の後、名無しさんと一緒に救護室に行って熱を測って来たけど、それでも最後にはならなかったみたいで胸を撫で下ろした。遅かったらそれはそれで心配されるから本当に面倒臭い。37度代だった熱も、これより上がらなければいいんだけど。……出来るだけ上手にサボらなきゃ。
けれど、試合を何度も繰り返す中でサボるのは難しい話で。ずっと動き続けているせいか、熱も上がっていっている気がしてならない。動いているのに、どうしようもなく寒い。誰かに助けを求められれば楽なのかもしれないが、クロは他の部員に指示を出して忙しそうだし、名無しさんもマネージャー業でパタパタと走り回っている。

「研磨、次試合だぞー。」
「うん、今行く。」

離れたところから俺を呼ぶクロにそう返事をして、体の内側から込み上げてくるモノを抑えるようにゴクリと唾を飲んだ。頭が痛くて、体育館のライトやみんなの声でさえも鬱陶しく感じられる。この試合だけ頑張って、名無しさんかクロに言おう。そう自分を奮い立たせてコートに向かった。

「ナイッサー!」
「黒尾さん、ナイッサーです!」

試合は至って順調だった。クロがサーブを打って、相手が拾って攻撃に変える。それを拾った俺達が、今度は攻撃する順番。つまり、俺がゲームを采配する瞬間が来るということなのだが、俺の体調は絶不調極まりなかった。さっきまでの緩い不調とは明らかに違うことくらい、自分が一番よく分かっている。もう、これ以上は限界だということも。
「研磨、任せた!」なんていうクロの声も、落ちてくるボールも、全てがどこか遠い別世界のことのように思えた。かと思えば、視界が急に傾いて。衝撃が走るであろうことだけが想像できて咄嗟にぎゅっと目を閉じた。やばい。

「研磨!?」
「研磨さん!」
「研磨!」

何人かの声が聞こえて、瞬間、ふわりと体が支えられた。この感覚は夜久さんかな、なんて思っていたより冷静な俺。そんな俺とは裏腹に、周りの部員たちがあたふたと走り回る足音が聞こえる。だからうるさいメンバーには知られたくなかったんだけど、なんて今更手遅れみたいだ。
「研磨、俺の声、聞こえてるか?」ぼんやりとしか映してくれない視界の向こうで、ゆっくりと一言ずつ紡がれた言葉に、首を縦に振る。きっと、自分が思っている以上に首は動いていないんだろうけれど、声の主は気付いてくれたようで「医務室行くから、もう少し頑張れよ。」と言葉を続けた。

それからすぐに医務室に運ばれたらしい俺は、目を覚まして辺りを見回して。それから、低速化された思考機能を働かすこと数秒、俺は漸く事の重大さに気付くこととなった。
傍で洗濯物を畳んでいるのは紛れもなく、愛しい俺の彼女なのだが、それはつまりマネージャーである彼女を俺が独占してしまっていることになる。結局、うるさく騒ぎ立てられることからは逃れられないようで、小さく溜息が零れた。

「あ、起きてた?」
「今、起きた」
「そっか。体調はどう?」
「さっきより、マシ」
「良かった。」

溜息を零したことで、名無しさんは俺に気付いたらしく、俺の様子を見るなり安心したように息を吐いた。そんな彼女を見ると、今朝の自分の態度が彼女に申し訳なくなって、胸が苦しくなる。「無理はしない」なんて言葉も、倒れてしまった今、嘘になってしまったのだから。心配させてしまった彼女に何か言わなければと考えを巡らすものの、まるでモザイクがかかったかのように言葉が出てこなくて。

「……好き、」

何とか絞り出した言葉は、そのまま俺の意思など関係なく空中に飛び出した。ふわふわと綿毛のような儚さで宙を舞う言葉を見つめているのだろうか、数秒黙った後に口を開いた彼女は、そのまま何を言うでもなく口角を上げる。
「あ、なんか、あたま、回んなくて、その、」しどろもどろになりながら必死に紡いだ言葉も、彼女のツボを刺激するらしく、終いにはお腹を押さえて肩を震わせていた。胸を張って言えたことじゃないけれど、病人の前でそんなに笑わなくても良いじゃないか。そんな思いを込めて少しムッとして見せれば「ごめんごめん」と頭を撫でられた。

「研磨、今度から熱ある時は絶対安静にするって約束してくれる?」
「……わかった。」
「じゃあちょっと仕事してくるから、寝ててね。」
「うん、そうする。」

こくりと頷けば、名無しさんは満足そうに笑って、まるで良い子良い子とでも言いたげにまた俺の頭を撫でた。立ち上がって部屋を出ていこうとする名無しさんの背中にほんの少しの寂しさをおぼえながらも、自然と閉じようとする瞼に、そういえば体調悪いんだった、なんて暢気な言葉が浮かぶ。
すると、不意に名無しさんの足音が止まって「一つ言い忘れたんだけど、」と。何、とは言わないけれど目を開けて名無しさんの言葉を待っていれば、確かに聞こえた言葉に、体温が急上昇したような気がして。言い終えてそそくさと名無しさんが出て行った部屋のドアを見つめながら、名無しさんの言葉を反復して、熱い顔を隠すように頭まで布団を被った。

「大好きな彼氏が、寝込んでたら、心配、だから、その……早く治してよね、バカ研磨!」


(160229)


prev / next

[ back to top ]