虚弱系男子 | ナノ


▽ 偏頭痛


いつの頃からか、雨が降ればそれは俺の身に降りかかるようになった。こういう時は、普段と同じ生活なんかろくに出来なくて、楽しい会話も素直に楽しめない。朝食も喉を通らなくて、朝練なんて以ての外。バレー部の部長である及川に連絡を入れれば、いつものことですぐに理解してくれたらしく「お大事にね」と返って来た。

それでもとりあえずは出席率の為に学校に行って、出来る限り楽な体勢で机に伏せる。及川から聞いたのか、それとも察してくれたのか、部活の仲間たちが休み時間に様子を伺いに来てくれた。それは彼女である名無しさんも同じようで。誰もが俺に声を掛けるでもなく静かに会話をし、名無しさんはその間ずっと俺の頭を優しく撫でてくれる。そしてチャイムとともに教室に戻っていくのだ。

「ありがとな、」
「うん。」

小さく呟いた俺に優しい声で返事をして、名無しさんも教室を出て行ったのがわかった。そんなみんなの気遣いに心が温かくなるけれど、それとこれとは別問題で。酷くなっていく頭痛に涙が零れそうになる。次の薬は昼食後。それまでは必死に痛みに耐えなければならないし、薬を飲むために少しでも何かを食べないといけない。昼休みまであと一時間だが、その一時間がやけに長く感じた。

「貴大、ご飯食べて薬飲もう?」
「……ん、」

いつの間にか眠っていたらしく、俺は名無しさんの声で目を覚ました。未だに頭痛は治まることを知らないが、眠れてしまえたのはラッキーだったかもしれない。顔を上げれば俺を囲むようにして座っている部活の仲間に、気持ちが和らぐのがわかった。いつもは屋上で食べているのに、これも俺を気遣ってのことだと思えば嬉しくて。

「すげー、顔色悪いな。」
「ご飯食べれんの?」
「少し、食べる、」

とは言ったものの、体を起こしているだけで辛くて。隣に座る名無しさんの膝に頭を乗せれば、またいつものように優しく頭を撫でてくれた。そして、目の前にそっと差し出される卵焼き。食欲なんて全くないけれど、薬を飲むためだと自分に言い聞かせて小さく口を開けた。たった一つの卵焼きに何分もかけながらゆっくりと食べ終えれば、小さい子を「よく頑張ったね」と褒めるように良い子良い子する名無しさんに、ほんの少し口角が上がる。
けれど、上がった口角が下がったのはほんの数秒後。

「……無い、」

手探りで、いつも頭痛薬を入れているポケットに手を伸ばすが、そこに何も入っていなくて。頭痛なんか無視して起き上がってまで慌てながら鞄を漁るが、どう探しても見当たらない。そう言えば、昨日飲んでから鞄に入れてないような。瞬間、頼りにしていたものが無くなったという喪失感のような恐怖のようなものに支配されて、再び名無しさんの膝に頭を乗せて項垂れた。

「なに、薬忘れたの?」
「ちょっとそれヤバいんじゃない?」
「とりあえず保健室行くぞ。もう我慢できるとか言ってられねぇだろ。」
「……わり、」
「無理して喋んな。」

こういう時の岩泉は、やっぱり青城バレー部のオカンだと思う。言うが早いか、俺に肩を貸してくれた岩泉と松川にもたれるようにして歩き出せば、朝ぶりに立ち上がったせいか、さっきまでよりも一層激しく頭に痛みが走った。早くベッドで横になってしまいたいのに、うまく一歩一歩を踏み出すことができない。

「無理そうだな。乗れ、花巻。」
「ん、っふ……」

それをすぐに察してくれたらしい岩泉は、俺に背を向けてしゃがみ込むなりそう言った。もう返事すら出来ずに、松川に支えられながらそっと岩泉の背中に体重を預ける。人の背中の温かさに触れながらもどこか寂しくて。そういえば「担任に連絡してくる」とか言って先に行っちゃったんだっけ、と数分前に交わされた言葉を今更ながらに理解した。寂しいなんて言ったら背中を貸してくれてる岩泉に申し訳ないし、みんなに馬鹿にされるのもわかってるから絶対口にしないけど。

「着いたぞ、花巻。」
「ありがと、みんな。保健の先生には話通してあるから。」
「おう。」
「あともう一つお願いしたいんだけど、」

寝かされて、それから4人が何かを話しているのがわかった。けれど、その内容まではハッキリと聞こえず、また寂しさに襲われる。これはきっと、体調不良のせいで精神がやられてるんだ。きっとただそれだけ、と信じたい。気付けば保健の先生までもが輪に入り、俺が一人でポツンとベッドに居る状態で。
「名無しさん、」思わず零れてしまった声を誰も聞き落とさずに俺を見て、それから小さく笑った。

「出た、寂しがりモード。」
「だから先生、俺らここに残っていいでしょ?」
「はぁ、勉強遅れても知らないわよ。」
「やった、ありがと!」

どうやら保健室に残ってもいいか、という議論が繰り広げられていたらしく。松川に「出た」と言われ、寂しがりモードと名前が付くほどに俺のこの症状は有名だったらしい。俺の元に寄って来た名無しさんはと言えば、優しく笑って俺の目元を優しく拭った。そこでやっと、自分が泣いていたことに気が付いて。毛布で顔を隠せば、またみんなが笑っているのがわかった。

「辛いかもしれないけど寝ててね。」
「俺ら、ここで勉強してるから。」
「なんかあったらすぐ言えよ。」

ポンポンと優しく頭を撫でてくれるみんなの手が心地良くて目を閉じれば、痛みが少し和らいだような気がした。

ふと目が覚めて、トイレにでも行こうかと体を起こせば、未だに治まることのない痛みに襲われて歯を食いしばる。誰か気付け、そう念じてカーテンに手を伸ばしていると、タイミングよく開かれたそれの向こうに及川が見えた。「どうしたの?吐きそう?」いつものウザい及川はどこかに消えたらしく、優しくそう聞いてくる及川に首を横に振って見せる。

「トイレ、」
「わかった、乗って。」
「……、」
「歩けないでしょ?」

一瞬、背中を向けられた意味が分からなかったが、及川の言葉にようやく納得した。カーテンを開けてくれたのが及川で良かった、なんて調子に乗りそうだから言わないけど。正直に頷いて及川に体重を預けながら、本日二人目の背中貸出者に感謝した。
「先生、ちょっとトイレ行ってくる。」保健の先生にそう言う及川の声が聞こえて、それから「うん、頼んだわよ。」と保健の先生の声が聞こえる。松川と岩泉が「大丈夫か?」と小さく声を掛けてくれて、俺はこくりと頷いた。が、そこで気付いたことが一つ。

「……名無しさんは?」
「え?えーっと、」

思ったことをそのまま口に出してしまえば、俺を乗せている及川が口籠ったのがわかった。松川を見れば、そっと目を逸らされて。睨みつけるように岩泉を見れば、小さく溜息を吐いて「教えるから睨むな、頭痛酷くなるぞ。」と眉間の皺を伸ばされた。

「とりあえずトイレ行ってこいよ。」
「うん、いくら及川さんでもこの状態はちょっと辛いかな、」
「……ん、行く。」

戻って来てベッドに座ると同時に「で、名無しさんは?」とまるで尋問のように問えば、全員がやれやれといった顔で俺を見る。「マッキーの寂しがりモードって結構面倒だよね。」なんて笑う及川に、みんなも「それな」なんて笑って。本人目の前にして失礼だし、そんなこと言われたって自覚がないから直せないんだけど。

「なんか溝口くんが午後から空いてるらしくて、車に乗ってどっか行った。」
「は?」
「だから睨むなっつーの。」
「俺らもそれしか聞いてねーんだよ。」

ミゾグチクントドッカイッタ?
まさか名無しさんに限って変なことはしないだろうし、名無しさんを疑うつもりもないけれど。じゃあ何で俺が辛い時にどっか行っちゃうんだよ、その思いが表情に表れていたらしく、また岩泉に眉間の皺を伸ばされた。頭も痛いし、寂しがりモードとか言ってみんなに馬鹿にされるし、おまけに名無しさんもどっかに行っちゃうなんて、今日は厄日か。
目頭が熱くなって視界がぼやける。体調が悪いと心も弱くなる、の典型的な例だ。ガキみたいにぐずったり泣いたりしてれば、そりゃ名無しさんもどっか行っちゃうよな。

「名無しさん、」

まただ。思わず零れてしまった言葉、それにつられて堪えきれずに溢れ出す涙。情緒不安定な俺の背中をみんなが優しく擦ってくれるのがわかって、尚更涙が流れた、その時。ドアの方から声がしたような気がして目線をそちらに向ければ、今まさに俺の心を埋め尽くす彼女が立っていて。

「どうしたの?辛い?」
「……名無しさんっ、」

それから少し泣いて落ち着いたころに話を聞けば、午後の授業をサボって薬を取りに俺の家まで行ってくれたらしい。「貴大の鞄に鍵入ってたから借りちゃった」なんてことより、何で溝口くんなのとか、車で何話したのとか、聞きたいことはたくさんあるんだけど。それは起きたら聞かせてもらうから。
薬を飲んでベッドに横になった俺は、今度はいなくならない様にとしっかり名無しさんの手を握って目を閉じた。


(160129)


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