虚弱系男子 | ナノ


▽ 風邪


部活が終わって、重たい体を引きずるようにして帰ってきた俺は、お風呂に入ってすぐに布団に突っ伏した。いつからだろう、体調が優れない。今日の朝は元気だったし、授業中も何ともなかったのに。部活をしているうちに体が言うことを聞かなくなっていくのがわかったけれど、部長という立場上、弱音を吐くわけにもいかず。誰にも不調がばれない様に頑張った。が、もう限界かも知れない。

「けほっ、けほっこほっ、」

晩御飯を食べることはおろか、起き上がる気力すらない。お風呂に入っただけ褒めてほしいくらいだ。手を伸ばしてスマホの画面を開けば、彼女の名無しさんちゃんとラブラブな待ち受け画面が俺の心を癒す。けれどそれと同時に心が苦しくなった。
土曜日である明日は体育館の点検の日で「せっかく部活休みだしデートしようよ」なんて誘ったのは記憶に新しい。彼女と二人で相談して、駅前のカフェに行って新作ケーキを食べたり、好きな俳優が主演の映画を見に行ったりする予定を立てた。今日も昼食を食べながら明日の話をしていたのに。

「っ、けほ、けほっこほっこほっ、」

止まらない咳に動かない体。寒気がしてきて、もぞもぞと布団の中に身を収めるが、それでも寒けは治まらなくて布団の中で丸くなる。今は、明日には治ると自分に言い聞かせて寝ることしかできない。ぎゅっと目を閉じれば、思ったよりすんなり訪れた睡魔に意識を手放した。

神様は意地悪だと思ったのは、目覚めてすぐのこと。まるで金縛りにでもあったかのように動かない体に、鈍器で殴られているかのように痛む頭。それでもデートに行かなくちゃという使命感が重い体を動かす。

「けほっ、けほっけほっ……うぐっ、」

着替えようと立ち上がり、脱ごうと思った瞬間。急に体を動かした所為か、強い吐き気に襲われてトイレに駆け込んだ。便器を上げればすぐにびちゃびちゃと音を立てて、吐瀉物が落ちていく。最後に取った食事は昨日の昼食のはずなのに、あまり消化されていないことが体の不調を明らかにしていて。一度吐いて少しだけすっきりしたけれど、こんな調子でデートに行けば、名無しさんちゃんに迷惑をかけてしまうのは目に見えている。

「名無しさんちゃ、けほっ、けほっ、」
「徹、風邪ひいたの?」
「ごめ、けほっ、こほっこほっ、」

部屋に戻って泣く泣く名無しさんちゃんに電話をすれば、咳ですぐに察してくれたらしい名無しさんちゃんは「わかった、ちゃんと寝ててね」と。それから電話を切って、言われた通りに布団に入った。そういえば、今日は両親とも仕事だったな、なんてどうでも良いことが頭を過ぎる。高校生にもなって風邪ひいて一人じゃ寂しいだなんて、そんな、まさか。

「名無しさんちゃ、けほっ、こほっ、」

思わず零れてしまった声でさえも咳に阻まれて、そんな少しのことがすべて苦しくて悲しくて心細い。いっそのこと名無しさんちゃんに電話を掛け直して、来てほしいって頼んでみようかとも思ったが、風邪をうつしたら可哀想だ。それに、名無しさんちゃんの前で吐いてしまったら、そう考えたら呼ぶ勇気なんて消え去ってしまった。

「っうぐ、」

やばい、まただ。
唐突に襲ってくる吐き気に飛び起きて、急いでトイレに向かう。けれど、それらは俺の気持ちなんか無視して、びちゃびちゃと廊下に零れ落ちた。そうすれば、一度蓋の外れてしまった吐瀉物は留まることなくせりあがってきて廊下をどんどん汚していく。立っているのも辛くて座り込む体に、気持ちが追いつかなくて、心も体も苦しくて涙が溢れた。

「げぇっ、はぁ、げっ、げぼ、げほっげほっげぇっ、っえ、」

助けて。
その瞬間、誰かの手が背中に触れてびくりと体が跳ねた。家族は誰も居ないはずなのに、どうして。疑問に思いながらも恐る恐る顔を上げれば、そこに居たのは不安そうな顔をした名無しさんちゃんで。「ごめん、びっくりしたよね、」そう言いながら優しく背中を撫でてくれる名無しさんちゃんに安心したのだろうか、俺の意識はそこで途絶えた。

目が覚めると、俺は見慣れた部屋で寝ていた。もしかしてさっきのは夢だったのかもしれない。なんだ、なんて少し落胆しながら体を起こして、ふと気付く。氷枕に冷えピタ。それから来ていた服も変わってる。

「名無しさん、けほっ、けほっ」
「わ、びっくりした!まだ起きちゃダメだってば!」
「名無しさんちゃん!」

飛び起きてドアを開けた瞬間、替えの冷えピタと氷枕らしきものを手に持った名無しさんちゃんに出くわした俺は、倒れ込むように名無しさんちゃんに抱き着いた。体は怠いはずなのに、名無しさんちゃんが傍に居るだけで楽になった気がして。

「デート行けなくてごめんね、」
「いいよ、徹の体の方が心配だから。」
「来てくれてありがとう。」

「カッコ悪いとこ見せちゃったけど、本当は寂しかった。」素直に口から零れた「寂しかった」という言葉に、名無しさんちゃんが優しく笑う。それから「ずっと傍にいるからね」とプロポーズ紛いの言葉を投げかけた名無しさんちゃんは、ちゃんと泊りがけで看病してくれた。


(160111)


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