たがため | ナノ


  2.


「ちょっとだけお別れしませんか。」

どくり。大きく心臓が鳴ったのを境に、まるで空中にでも放り出されたかのように全身の感覚を失った。俺は今、立っているらしくて、これは夢ではないらしくて、ただ、名無しさんを見ることは出来ない。

「……わかった。」

気付けばそう口にしていた。どうしてか、なんて自分でもわからない。ただわかるのは、名無しさんが俺を思って別れを告げたこと。バレーの練習で自分を追い込んでいるのも、知らない女の子でも愛想良くしなきゃって笑顔振りまいてたのも、全部気付かれてた。
本当は今すぐにでも追いかけて、名無しさんを抱きしめたいのに。溢れ出す涙で前が見えなくて、待っての一言も出てこない。痛くて苦しくて。声をあげて泣くのなんて、いつ振りだろう。

思えば、名無しさんはいつも俺の支えだった。俺が名無しさんに一目惚れして片想いしていた頃から、ずっとそう。姿を見るだけで、声を聴くだけで、傍に居てくれるって思うだけで。それだけで心が満たされていた。

「名無しさん、」

やっぱり嘘、とか、そんな幸せな話ならよかったのに。本気にしたんだからってちょっと怒って、でも可愛い顔でごめんねって言われたら許しちゃうんだろうな。それから、思いっきり抱き締めて、もうそんな嘘つかないでって泣いちゃうんだろうな、俺。
そんなのも全部、ただの妄想に過ぎない。

名無しさんと一緒にいられない生活を頭では理解しているつもりなのに、体がそこから動こうとしなくて。気付いた時には下校時刻になってて、俺はバレーをやり出してから初めて無断欠席をした。頭の中は名無しさんのことで一杯で、部屋に飾った名無しさんの写真が俺を苦しめる。名無しさんが泊まりに来る時に愛用していた枕を抱きしめれば、鼻を掠める名無しさんの匂いにまたも涙が溢れ出した。
優しい彼女が俺を思って別れを決めたことは、重々わかってる。わかってるからこそ、もっともっと名無しさんを好きになってしまうのに。

「名無しさんのバカ。大好き。」

次の日は目が腫れすぎてたから仮病を使って休んだけど、その次の日からは普通に学校に行った。そうでもしないと、名無しさんのことを考えてしまってもっと苦しいから。

名無しさん、俺は世界で一番名無しさんが好きだよ。


(20150831)


prev / next

[ back to top ]