好きや、それが理由 | ナノ


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握手会らしきものを適当なところで切り上げて教室に行くと、またしてもあたしは人混みに飲みこまれかけた。と言っても、机とイスがある分、さっきと違って支えがあるという安心感がある。しかも、丁度いいタイミングで予冷が鳴ったために、教室が遠い人たちや、先生方はいなくなった。

「あたし、いつか学校来るのが嫌になりそう。」
「毎日毎日そうやって言うとるくせに、結局楽しそうにしとるんは名無しさんやろ。俺は別に強制してへんし。何やったら俺が家庭教師してもえぇて言うとるやろ。」
「同い年なのに家庭教師として教えてもらうのって、何か悔しいんだもん。」

そう言い返せば、光は大きく溜息を吐いて。それから「アホ」という言葉を添えた。一体、今日で何回目の「アホ」なのか、自分でもわからない。それなのに「心配しとるだけや。執事やから護っとるわけやないっちゅーねん。」なんてサラッと言うもんだから、あたしは熱くなって光から目を反らした。が、またしてもぐい、と顔を強制的に方向転換させられて。

「顔、赤いで。」
「う、うるさ、」
「俺は顔赤いて言うただけやけど。」
「っ、なんでそうやって、」

言い返したいことは沢山あった、けど、口を塞がれたら何も言えない。ましてや、口と口で、公衆の面前で、こんなにみんなが見てるのに。可愛いリップ音がしんとした教室に響き、あたしの顔はさらに赤みを増したと思う。
数秒静まった後に、歓声のような悲鳴のような声が教室中に飛び交った。きっと意図的に冷やかすつもりはないんだろうけど、みんなの声が冷やかしに聞こえて、尚更恥ずかしい。

「さーて、授業始めるぞー。」

そんな先生の声が神様の声に聞こえたのは、強ち間違いじゃないと思う。


1時間目:数学

今日はテスト前のため、自習をしながらわからないところを先生に聞くという授業形式だった。普通の授業じゃなくてよかった、と一番に考えてるのは絶対にあたしだと思う。
それにしても、さっぱりわからない。あたしが溜息を吐けば、斜め後ろからあたしが問題を解いているのを見ている光からも、小さな溜息が聞こえた。そんなに壊滅的だろうか。

「y=2axで、点Aが(16.8)を通るときのグラフ……」
「xとyに代入。」
「8=32aだからaは4分の1?」
「出来るんやったら初めから自分でやれ、アホ。……ま、もうえぇわ。名無しさんが生きていくうえでこないなもん使わへんやろうし、もし使うとなれば俺が答えればえぇ話やし。っちゅーわけで、こんなんやらんでえぇわ。」

思わず拍手をしてしまった。光の言うことはもっともだと思う。
例えば、買い物に行くとき、一体このグラフは何処で使われるんだろうか。あまり買い物に行かない私が言うのもアレだけど、絶対に使わない。買い物じゃなくても、生きているうちに学校以外で使うとは思えない。というか、こんなよくわからないグラフを使わないと生きていけない世界なら、あたしは今すぐ死にたい。

「光、流石“あたしの”執事だね。」
「それ、褒められてる気せぇへんのやけど。」
「なんで!褒めてるのに!」
「……ま、どーも。」

折角「良いこと言うね!」って意味で褒めたのに、どこか納得いかないような顔をする光。
まぁいい。とにかくあたしは、暇になったから寝ます。おやすみなさい。


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