魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ


 リンクはゼルダ姫の話を聞き終わって神妙な顔をした。神話の辺りは正直に言ってちょっぴり眠くなってしまったが、概ね理解はできている。

「つまり、時の神殿の中にトライフォースっていうすげーのがあって、それをガノンドロフに渡さないように頑張ればいいんだよな?」
「え、ええ、まあ。大雑把に言えばそんなところです」

 ゼルダは苦笑を浮かべて頷いた。正確に言えばトライフォースがあるのは光の神殿だし、仮にもハイラルの象徴でもある神聖なるトライフォースを『すげーの』の一言で片付けられたのだ。そりゃあ微妙な気分にもなる。

「それで、えーっと……どうすんだっけ」
「私は時のオカリナを守るので、あなたは残る二つの精霊石を探してきてください」
「そう、それ!」

 ゼルダは微笑みながら不安そうに眉根を下げる。溌剌とした子供らしい表情からは欠片も邪気が感じられない。妖精も連れていれば森の精霊石だって持っている。
 しかし、本当にこの少年がハイラルを救うことなどできるのだろうか。彼女はちょっとだけ、自分の予知能力を疑いそうになった。
 一方、リンクはこれからも続く冒険に胸を踊らせると同時に、あるひとつの決意を固めていた。
 ――ゼルダと一緒にガノンドロフを倒す。自分を育ててくれたデクの樹サマの仇だから、という理由だけではない。先程窓から覗き見たあの大男は、目の前のこの女の子を――そしてハイラルに住むみんなを苦しめようとしているのだ。そんなことが許されていいはずがない。
 森に帰るのは少し遅くなってしまうが、それを後回しにしてでもガノンドロフは倒すべき敵だ。故郷の仲間たちの顔が思い浮かんだのを打ち消して、リンクは力強い笑みを隣の少女に向ける。

「ゼルダ。おれ、頑張るよ」

 その眼差しにゼルダは驚いたように軽く目を見開き、次いで頬をほんのりと赤らめた。

「――ええ」
「さーって! そうと決まれば、早速出発だな!」
「あ、待ってください。こちらの手紙を……」

 こうしてゼルダの手紙を持たされたリンクは、彼女の乳母であるインパに連れられて城下町の外まで送られたのだったが――。
 門の外に出たところで、それまで黙っていた妖精のナビィがおずおずと話を振る。

『……あのサ、リンク。きっとそのうち思い出すだろうって、ナビィずっと黙ってたんだけど……』
「なに?」

 ふわふわと飛ぶ光の玉が言葉を喋ったことにインパが一瞬だけ身を固くするが、斜め後ろを歩くリンクはそれに全く気づかない。ナビィは色々と鈍い彼に呆れたように軽くため息を吐くと、ぼそりと答えを返した。

『ナズナのこと、忘れてるでしょ』

 リンクははたと足を止める。何事かと振り返ったインパはその直後、城下町中に響き渡るほどの大声に襲われて耳を塞ぐ羽目になった。




 ガノンドロフは城の回廊を歩きながら、先程見たものについて考えを巡らせていた。
 ――どうやら、姫君は何かを企んでいるらしい。
 謁見の間から垣間見えた中庭で、ゼルダと共にこちらを覗いていた緑の服の少年。背格好からして恐らくはコキリ族なのだろうが、コキリ族が森から出て生きていられるなど聞いたことがない。とすると、ハイリア人の子供だろうか。
 いや、そんなことはどうでもいい。彼はわずかに顎を引く。問題は、あの幼い姫がその少年を協力者に仕立てて何かをやろうとしているということだ。具体的な内容は不明だが、どちらにせよこちらの計画の妨げになるであろうことは間違いない。
 ――監視を強めるか、それとも泳がせておくか。いっそ、手っ取り早く姫もろとも潰してしまう手もある。何にせよ、もう少し探ってから今後の対策を練った方がいい。場合によっては計画を早めることも視野に入れなければ。
 彼は目に留まった窓の側で足を止め、光に満ちたハイラルの風景を眺める。豊かな美しさを持つ城の庭、日差しに白く霞む城下町、緑の溢れるハイラル平原、遥か彼方に聳えるデスマウンテン。――じきだ。もうじき、ここから見えるものすべてがが自分のものになる。それまで、もうしばしの辛抱だ。

「……ん?」

 視線を窓から外そうとした時、ふと下の方に何かが見えた。身を乗り出してみると、城の堀の脇、ロンロン牧場から届いた牛乳箱の影から足がのびている。眠っているのか息を潜めているのか、それはぴくりとも動かない。

「なんだあれは」

 ロンロン牧場の配達人か、それともサボって昼寝している見張りの兵士か。城に忍び込んだ侵入者かとも思ったが、それにしてはあまりにも間抜けすぎる。あれでは見つかるのも時間の問題だろう。
 ガノンドロフはしばらく呆れたような眼差しをその足に向けていたが、とりあえず見るだけ見に行ってみようと通用口に向かった。城の者ならばそれでよし、もし不審者なら引っ捕らえてハイラル王への土産にでもしてやろう。偽りの忠誠とはいえ、王からの信頼は自分の野心を隠す盾となってくれる。いずれ裏切るその時まで、積み上げておくに越したことはない。
 通用口の扉を開けたガノンドロフは、そこにいた予想外の人物に思わず動きを止める。
 ――女だった。ひとりの年若い女が、積み上げられた牛乳箱に背を預け、無防備な寝顔をさらしている。簡素な緑のワンピースに同系色のシャツ、丈夫そうな生地のズボンに腰のベルトに挟んだ短剣。
 見覚えのあるその姿が、ガノンドロフを驚かせた。

「この女は――確か、コキリの森の」

 つい数日前、彼は森の精霊石を手に入れるためにコキリの森へと足を踏み入れた。そうして石を守るデクの樹に体を蝕む呪いをかけ、森から出ようとした矢先に彼女と鉢合わせしたのだ。
 コキリ族でないことは、その体つきで一目瞭然だった。一方でハイリア人でないこともその丸い耳が証明している。かと言って、赤毛で褐色の肌を持つゲルド族とは似ても似つかない。
 このハイラルではまず見ることのない珍しい風貌に盗賊としての性が疼いたのか、ガノンドロフは少しだけ彼女に興味を持った。髪を纏めて印象の変わった彼女を一目で見抜くことができたのもそのお陰だろう。
 森といえば、と彼はゼルダ姫の隣にいた子供を思い浮かべる。コキリ風の服装をした子供と森にいた女。両者が共にハイラル城にいることが無関係であるとは思えない。
 ――この女ならばゼルダの目的を知っているかもしれない。
 ガノンドロフは女を不審者として引っ立てず、自ら尋問することに決めた。

「おい、女。起きろ」

 彼は女の膝の辺りを足で小突く。すると元々眠りが浅かったのか、そう時を置かずに彼女の目がぼんやりと開いた。二、三度瞬きをして目を擦ると、重たげに頭をめぐらせて高い位置から見下ろすガノンドロフの顔を見つける。

「あら」

 半分寝ぼけたような声に少々気を削がれたものの、彼は表情を変えずに問いを投げる。

「貴様、森にいた女だな?」
「……ええ」

 女は驚いたように瞬いた。その表情は緊張からか幾分か強ばっている。

「何をしにここに来た」

 重ねて問うと、女は「リンク君の付き添いです」とゆっくり立ち上がりながら答える。彼はほんの一瞬警戒したが、女の腕が腰の短剣にのびる気配はない。

「リンク?」
「緑の服に――金の髪の、男の子です。ここのお姫様に用事があって。それで、私はこれ以上中に入れないのでここで待っていたんですが……」

 女は腹の前で両手の指を絡めた。その視線は居心地悪そうに牛乳箱に向けられている。さしずめ、待ちくたびれて寝てしまったのだろう。
 なるほど、とガノンドロフは納得する。彼女の言っていることが本当だとすると、ゼルダの目的はリンクとかいう少年であってこの女ではない。でなければ、わざわざ少年だけ城の中に招く意味がない。とすると、女はゼルダの企みに関して何も知らないはずだ。少なくとも、いまの段階では。
 実のところ、その推測は間違っていた。彼女は『許可を貰っていないので中に入れなかった』のではなく『侵入口が狭くて中に入れなかった』だけであり、その場で機転を働かせて彼が勘違いするよう仕向けていたのだ。加えて、彼女が何も知らないというのも大きな間違いだったのである。
 そんなことなど知る由もなく、ガノンドロフは三度問いかける。

「それで、その小僧は王女にどのような用事があったのだ」
「それは――」
「ナズナどの」

 背後から聞こえた凛とした声に、ナズナと呼ばれた女が驚き振り返る。ガノンドロフは体を動かさず、目線だけちらりとそちらに向けた。
 ――ゼルダの乳母、インパ。ハイラル王すら信じなかったゼルダの夢のお告げに従っていちいちガノンドロフの邪魔をしてくる、いま現在彼が最も疎ましく思っている人物である。
 インパはゆったりとした足取りでこちらに歩いてくると、ガノンドロフを一切視界に入れずにナズナへと話しかける。

「迎えに来た。リンクが心配していたぞ」
「それは……ご迷惑をおかけしました」

 あからさまに無視されていることに若干むかっ腹の立ったガノンドロフは、ナズナの薄い肩を無造作に掴んで自分の方へと引き寄せた。バランスを崩した彼女は小さな悲鳴と共にぽすんと彼の胸元に収まる。その瞬間、小柄なその体が思いきり強張ったのが分かった。
 激しい嫌悪の眼差しを向けるインパに、彼はふんと鼻を鳴らして嘲りの笑みを返す。

「インパどの。人が話をしている最中に割り込んでくるとは、いくら王女の乳母とはいえいささか礼儀がなっていないのではないか?」
「おまえこそ、このような人気のない場所で何をしていた。私にはおまえがいたいけな娘を脅しつけているようにしか見えなかったが?」
「ほう、その目は節穴だったか。オレはただ不審者を詰問していただけなのだがな」

 頭上でぶつかる険悪な雰囲気に怯えているのか、ナズナは固まったまま動かない。そんな彼女の様子を知ってか知らずか、二人の緊迫感溢れるやり取りは途切れることなく続いていく。

「詰問だと? ならばこのような場所でせずとも城内に尋問室があるだろう。その程度のことも考え付かなかったのか。それともまさか、兵士の耳に入れられないようないかがわしいことを聞いていたのではあるまいな?」
「言いがかりも甚だしい。そう邪推する貴様の頭の方がいかがわしいのではないか」
「何を言う。おまえのその面構えがいかがわしさ満載なのだ。勘違いするのも無理はなかろう」
「人のことを言えた義理か? 貴様、この間城下町で子供に泣かれていたではないか」
「凡百の子供に嫌われようとも一向に構わん。私にはゼルダ様がいらっしゃるからな。そういうおまえも幼子の間で『怖い顔したおじちゃん』と呼ばれていると聞いたぞ」

 徐々に間違った方向へとヒートアップしていく舌戦の真っ只中に、不意におずおずとした声が割り込んだ。

「あ、あの、お二方とも……」

 二人はたと口を閉じて目線を下げる。そこではガノンドロフの胸に囚われたまますっかり忘れ去られていたナズナが引きつった笑みを浮かべて立っていた。
 気まずい沈黙がその場に流れる。本来の目的を思い出したインパは三秒で呼吸を整えると、先程とは打って変わって冷静な表情と声色でガノンドロフに向き合う。

「そうであったな。その手を離せ、ガノンドロフ。私はその娘を城下町の外まで送らねばならん」
「……ふん」

 これ以上口論しても無駄だ。そう判断したガノンドロフは、それまで無意識に捕らえたままだった女の肩を手放す。するとインパが引ったくるようにナズナの腰に手を回し、すばやくガノンドロフから引き離した。そのまま挨拶もなしにその場から立ち去ろうとしていたが、そこで不意にナズナがインパの手からするりと逃れた。
 くるりと体を反転させた彼女はガノンドロフに向かって小さく微笑む。初めて見た彼女の笑みに、彼は一瞬面食らった。

「それでは、また」

 そう言って会釈すると、今度こそ彼女はインパに連れられてその場を後にした。
 その姿が城壁の影に隠れて見えなくなると、ガノンドロフはふと自分の手のひらを見下ろした。やわらかい肩に小さな体、指に触れた艶やかな髪。向けられた笑みはどこまでも穏やかで、陰謀と暴虐の道を歩む自分とは異なる世界に生きていることを感じさせる。
 春風に揺れる花のように優しく、陽だまりのように暖かで――そして、あまりにも脆い。
 彼は彼女に触れたその手を力の限り握りしめた。甘くやわらかな残滓を握りつぶすように。





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