魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ

 体調が優れない、とナズナが仮眠室に引っ込んでからどれほどの時間が経っただろうか。ガノンドロフはひとつ息をつくと、ペン先のインクを拭ってペン立てに戻す。燭台の火を消せば、ほの暗い闇が静かに執務室に忍び込んだ。
 窓の外には夕日の名残すらなく、ただ月に照らされた青白い闇が広がっている。執務を片付けるのにこんな時刻までかかったのは、舞踏会の前日以来だ。原因は諸々あるが、ナズナがツインローバの元から戻ってきて早々に調子を崩してしまったのもそのうちのひとつだろう。それほどまでに、彼女の助力はガノンドロフの仕事に欠かせないものになっていた。――不本意なことに。
 苛立たしげに舌打ちをして、彼は仮眠室へと足を向ける。何はともあれ、終業時まで出てこないナズナの身がいささか気がかりだ。場合によっては、彼女を下宿先まで送り届けることも考えなければ。
 仮眠室の扉を開けたガノンドロフは、そこにあった予想外の光景にほんの一瞬動きを止めた。

「――ナズナ?」

 彼女は寝台の縁にすがりつくように、その上半身をしなだれかからせていた。恐らく寝台にたどり着く前に力尽きたものの、なんとかそこまで這っていったのだろう。
 切羽詰まった荒い呼吸が詰まるように途切れ、その身が何かに耐えるように大きく震える。シーツを掴んだ手に力が入れば、固い衣擦れの音が生々しくガノンドロフの耳に届いた。
 ガノンドロフの存在に気づいたナズナが、うなだれていた頭を緩慢に上げる。こちらを振り返ろうとしてか、その首がかすかに動いた。

「ガノンさん……?」

 普段の落ち着いた声音からは考えられないほどか細い声で、彼女はガノンドロフの名を呼ぶ。ただならぬ事態への気配に面倒そうに眉を寄せたガノンドロフは、だが足早に彼女に歩み寄った。その鋭い足音に怯えたのか大きく肩を跳ね上げたナズナは、再び顔を俯けて首を横に振る。

「だ――ダメです。来ないで。見ちゃダメ、いや……」

 弱々しいその拒絶を振り切って、彼は寝台脇にへたり込む彼女の傍らに膝をつく。シーツに額を強く押し付けながら、彼女は「やめて、見ないで、触らないで」とうわごとめいて繰り返している。その声を無視して、頑なに顔を見せようとしないナズナの細い肩を掴み――びくりと大きく跳ねたその腰の動きに、彼は目つきを険しくした。

「何を盛られた?」

 厳しく問い詰めるその言葉で、ガノンドロフに全てを悟られたと理解したのだろう。ナズナは情けなく呻くと、ゆっくりと息を吸ってそれに答える。

「お二人は、『砂漠に咲く薔薇』だと」

 ――なんということをしてくれたのだ、あの魔女どもめが。ガノンドロフは顔をしかめて大きく舌打ちをした。あの二人のことだ、恐らくただの花茶だと偽ってナズナに飲ませたのだろう。警戒を解くために自分達にも淹れさせたのかもしれない。……無論自分達用に、砂糖に見せかけた解毒剤をあらかじめ用意して。
 とはいえ、とガノンドロフは苛立ちも露にナズナを見下ろす。この女にも落ち度がないとは言えない。

「彼奴らからものを受け取るなと命じたのを忘れたか」
「あはは……反省は、してます」

 冷たく非を責めるガノンドロフに、彼女は顔を伏せたまま力なく苦笑する。どうやら自覚はしているらしいが、すでに事が起こってしまった後では何を言ってももう遅い。
 ナズナはゆっくりと深呼吸をする。うなじに浮かんだ汗の玉が、首筋を伝って服に染み込む。

「大丈夫です。耐えられない、ほどじゃありません。だから――ほっといて、ください」

 震える声は、その言葉が虚勢であるということを雄弁に語っていた。
 ナズナがツインローバに連れて行かれたのはまだ日の高いうちの出来事だった。すると『砂漠の薔薇』を摂取してから、少なくとも数時間は経っていることになる。並の女ならばすでに苦悶にのたうち回っていてもおかしくはないというのに、大した精神力である。
 だが――。

「そう言っていられるのも今のうちだ」

 ガノンドロフはナズナの肩をぐいと力任せに引く。そのわずかな痛みすら過ぎた快楽となって体を苛んだのだろう、引きつった声が彼女の喉奥から漏れる。あるかなきかの抵抗に構うことなく小さな体を強引に自分に向かい合わせれば、ようやくナズナの顔が露になった。
 ――見ないで、と熱と吐息に乾いた唇からかすれた言葉がこぼれた。彼女がそう言いたくなるのも無理はない。体を容赦なく蝕むうずきと何時間も戦っていた彼女の顔は、決して美しいものではなかった。
 今にも泣き出してしまいそうに歪んだその顔は耳まで真っ赤に染まり、頬はすでに幾筋もの涙の跡に濡れている。瞳は不規則に揺れて焦点が定まっていないものの、苦しげに寄せられた眉がいまだ本能に抗っていることを証明していた。
 ……だが。その驚異的な自制心も、もうしばらくも持たないだろう。

「『砂漠の薔薇』は貴様が思うほど生易しいものではない」

 薬も過ぎれば毒となる。いかにも美しい名で呼ばれるそれは、ゲルド族の歴史の中で拷問の――あるいは処刑の一種として長く用いられてきた媚薬である。
 砂漠のただ中に咲いた薔薇を特殊な魔術で傷つけぬよう摘み取り、三日三晩月光にさらして花弁を乾燥させる。それを煎じて飲ませるだけで、ほのかな甘味を帯びたそれは手に負えぬ炎となって犠牲者に牙を剥く。
 これの厄介なところは時が経っても効果が弱まらず、解毒をするか他者の手を借りるまで延々とその身を蝕み続ける点にある。身体を侵す凶悪なその熱は人の思考を、それを守る堅牢な理性ごとたやすく溶解させ、やがて狂奔の果てに死をもたらすのだ。
 ガノンドロフ自身、どうしても口を割らぬ敵の間者から情報を引き出す目的で、実際に『砂漠の薔薇』を用いたことがある。理性の焼き切れたその間者が解放を求めて泣き叫びながら懇願する様はまったく愉快なものであったが、同時に見るに耐えぬほど醜いものでもあった。

「とんでもないものを、し――仕掛けられたものですね」
「まったくだ」

 熱に侵された頭でもなんとか自分の置かれた状況を理解できたらしく、ナズナが表情を強張らせる。ガノンドロフは呆れて低くため息をついた。……格好にこだわる彼女のことだ。恐らく情けない姿を見られるのを厭い、最後の最期まで窮状を訴えず耐え抜くつもりでいたのだろう。死体になる前に気づいたのは僥倖だった。
 苦しげな呼吸を繰り返すナズナを見下ろしながら、彼は表情を消す。……『砂漠の薔薇』の解毒薬を所持しているであろうツインローバはとうに城を去っている。追いかけようにも、ナズナがそれまで持つかどうか。――となると、対処法はひとつしかない。
 ガノンドロフはナズナの体を抱え上げ、鋭く引きつった悲鳴にも構わず無造作に寝台へと放る。
 服のこすれるかすかな感覚ですら鋭敏に感じ取るようになってしまったナズナにとって、いまの衝撃は息の止まるものであったに違いない。小さく呻いて死にかけた虫のように四肢を縮こまらせた彼女を仰向けに転がし、ガノンドロフはその首元に手をかける。するりと飾り紐をほどけば、その手首が白い指に弱々しく掴まれた。
 困惑と焦りの入り混じった眼差しをこちらに投げかけるナズナと、彼は視線を交わらせる。

「何を、してるんですか?」
「見て分からぬとは言わせぬぞ」
「分かるから、聞いてるんです。なんで、どうして――」

 ……何故、そのような顔をする。動揺を露にした表情と震える声に苛立ちをかき立てられて、ガノンドロフは眉を寄せる。

「癒えぬ渇きに焼け死ぬのであれば、人の手でもってその渇きを満たしてやればよい。それが現状唯一、致死の毒を薄める手立てでもあるのだ。――是非もあるまい」

 掴まれた腕もそのままに首元まできっちりと着込まれた彼女の服を引きむしれば、淡く色づいた白い肌が露になった。荒い呼吸に上下するしっとりと汗ばんだ胸元はどこか艶かしく、ガノンドロフの瞳を吸い寄せる。――ようやく、これが自分のものになるのだ。
 腹の奥から上ってくる身を食いちぎらんばかりの荒々しい高揚感に、ほんの一瞬目眩を覚える。……果たして、癒えぬ渇きに喘いでいたのはどちらだったのか。彼は口を引き結んで飢えた獣の吐息を飲み込むと、ナズナの裸身を求めて性急に手を伸ばす。――だがその柔肌に触れる寸前、手首に彼女の爪がわずかに食い込んだ。

「いりません」

 小さく、だがはっきりと囁かれたその言葉に、ガノンドロフの動きが止まる。

「……なんと言った?」

 視線を上げると、熱に浮かされてもなお静かな意志のこもった眼差しにぶつかる。そこに浮かぶ見覚えのある色に、腹の底に降り積もった熱が一瞬にして怒りに転じるのをガノンドロフは感じた。

「それがガノンさんにとってただの慈悲でしかないなら……私はそんなもの、いりません」

 ナズナの瞳にあったのは、あの舞踏会の夜に見たものと同じ、明確な拒絶だった。
 ぎり、と奥歯が軋む音が二人の間に大きく響く。蔦のように手首に絡みつく彼女の指を振り払えば、爪に引っかかれる、かすかな痛みが腕を走った。

「何故だ」

 地を這うような低い唸り声が、食いしばった歯の隙間から漏れ出でた。ナズナはガノンドロフの瞳から噴き出す怒りを、ただじっと思い詰めたような眼差しで眺めている。……何故、何故だ。何故そのような目でこちらを見る。死に至る熱に心身を蝕まれながら、恋い慕う相手と繋がる機会に恵まれながら、何故。

「オレを慕っていると貴様は言った。ならばオレを求めて然るべきだろう。だのに、貴様は――」

 ガノンドロフは深く息を吸い、射殺しかねない鋭さを露にした眼光でナズナを睨みつける。苦悶と悲哀を帯びつつも、強い眼差しでこちらを見つめるナズナを。

「貴様は何故、オレを拒む!」

 吐き捨てるように吠える声が、暗い部屋に虚しく反響する。――ふと、それまで静かだったその瞳が苛立ったようなさざ波を立てた。初めて見る彼女の顔に目を見張るガノンドロフをひたと見据えて、乾いた唇が「だって」と呟く。

「だって体だけなんて、そこらの女と何も変わらないじゃない」

 ゆっくりと口の端を流れる低い声は、侮蔑と怒りを隠そうともしていなかった。負の感情とは無縁だと思っていたナズナが、瞳の奥をどろりと濁らせてガノンドロフを睨みつける。

「好きです。好きなんです。狂いそうなくらい。狂おしいくらい、あなたが欲しいんです」

 積年の怨みを吐き出すように愛を囁きながらガノンドロフに手を伸ばした彼女は、媚薬に体を侵されているとはとは思えぬ力でガノンドロフの胸ぐらを掴む。鼻先がつきそうなほどの距離に顔を寄せた直後、その顔が醜く歪んだ。

「あなたが欲しいの、ガノンさん。その体も、その心も、瞳も舌も、魂の一片まで余すところなく! あなたのすべてを未来永劫、私だけに縛りつけてやりたい!」

 地の底から轟く怨嗟にも似た言葉が、ガノンドロフに叩きつけられる。視界が霞むのか意識が朦朧としているのか、眼差しに宿った力は揺らめく炎のように不安定だ。だが瞳はガノンドロフをまっすぐに捉えて離さず、それが媚薬に言わされている言葉などではないことを証明していた。
 この憎悪じみた剥き出しの執着は、偽らざる彼女の本音なのだ。

「ただのお情けや所有欲で体を与えられても、嬉しくもなんともない。そんなものしか手に入らないなら――あなたが抱いてきた有象無象の女の一人にしかなれないのなら、いっそ……!」

 ナズナは言葉を切ると、力なく息を吐き出して唇を歪めた。目元に浮かんだ嘲笑は、果たして誰に向けてのものなのだろうか。

「ここで死んだ方が、遥かにマシだわ」

 冷たく言い捨てた彼女の呼吸が不意に乱れ、胸ぐらを掴んでいた腕が力を失って落ちていく。シーツに力なく身を沈めた彼女は、瞳に強い光を明滅させてなおもガノンドロフを睨みつける。もう理性を保つのすら困難であるはずだというのに、気丈なことである。
 あくまでも自分に抗するつもりのナズナを前にして、だがガノンドロフは口の端が持ち上がるのを抑えきれなかった。
 ……嫌がる彼女を強引に抱いて、その命を長らえさせることはできよう。だが例えそうしたとしても、ガノンドロフの行為はただの無駄骨に終わるはずだ。体の自由を取り戻し次第、ナズナはその場で自ら命を断つ。もはや届かぬと知った欲望に身を焼かれてか――あるいは『有象無象の女の一人』ではなく『慕いながらも体を許さなかった唯一の女』として、ガノンロフの中に己の存在を刻み込ませるために。
 ――それほどまでに。命すら躊躇なく捨てられるほどに、彼女はガノンドロフを欲しているのだ。
 ガノンドロフの喉奥から低い笑い声が漏れる。水量を増した川のように溢れだしたそれは、哄笑となって薄暗い仮眠室にこだました。
 笑声を喉の奥に押し戻した彼は、自分の体の下に組み敷かれているナズナを見下ろして愉悦に瞳を歪ませる。

「滑稽なことだ。無欲な女とばかり思っていたが、とんだ強突く張りだったか」
「……幻滅、しました?」

 ナズナは乱れる呼吸を整えようと悪戦苦闘しながら、なんとかいつもの穏やかな苦笑をまなじりに浮かべた。諦めの混じったその笑みを、ガノンドロフは鼻で笑い飛ばす。
 幻滅だなどと、馬鹿げたことを言うものだ。どうやら自分はその程度での器であると思われているらしい。……そこはかとなく腹は立つが、今はそれ以上に愉快だった。
 ――ガノンドロフのすべてが欲しい。彼にとってただ一人の不可侵な存在でありたい。それが叶うのであれば、死ですら喜んで迎え入れよう――。どす黒く煮えたぎる憎悪じみた欲望が、これまで不可解だった彼女の意図をするすると紐解いていく。
 温和で理知的な顔の下に隠されていた本性は、貪欲な獣そのものだった。飢えた獣に一粒の飴を与えたとしても、それは渇望をさらに膨れ上がらせることにしか繋がらない。ナズナはそれを恐れ、眼前にちらつかされる甘い餌を頑なに拒絶していたのだ。
 手を伸ばしても決して届かぬ望みを抱いてしまったナズナの苦悩が、手に取るように伝わってくる。その渇きがいかに耐えがたいものか、ガノンドロフはよく知っていた。喉を食い破らんと唸る獣の牙の鋭さも、獰猛なそれの御し方も。――身の内に獣を飼っているのは、彼女だけではないのだ。
 ガノンドロフは顎を持ち上げ、挑発するように彼女を見下ろす。

「仮にオレのすべてを貴様に与えるとしよう。ではナズナ、代わりに貴様は何を差し出す?」

 ナズナの瞳が動揺に揺れる。何かを欲するのであれば、当然ながらそれに見合う対価が必要だ。ナズナが『ガノンドロフ』そのものを手に入れたければ、彼と同等の価値のあるものを――もしくは彼にそうする必要があると思わせるほどの条件を提示しなければならない。――これまで幾度も、彼女自身がそうしてきたように。
 ガノンドロフを睨むナズナの顔が今にも泣き出しそうに歪む。移ろいゆく表情を愉しみながら答えを促せば、彼女は震える唇を薄く開いた。

「私の――私の、すべてを」

 消え入りそうな声に載せられたその答えを、ガノンドロフは頬を歪めて嘲笑う。

「そうとも。貴様にはそれしかない。財も国も持たぬ貴様には、己自身を差し出すことしかできぬだろう」

 彼は冷たく鼻を鳴らした。

「――話にならぬ。このオレ様と貴様程度の価値が同等だなどと、よくぞ思い上がれたものだ」

 刃を潜ませた言葉でなじれば、呼吸を詰まらせたナズナのまなじりに暗い涙がにじんだ。己のすべてをもってしても、ガノンドロフの腕一本の価値にすら遠く及ばない――彼女はそれを嫌と言うほど自覚していた。身の丈を遥かに超えた望みに内腑を焼かれながら、それでもなお未練がましくそれを胸に抱き続けていたのだ。ガノンドロフは喉の奥で低く笑う。――欲にまみれた女の、なんと無様で見苦しい姿だことか。

「だが――その欲深さこそ、このオレに相応しい」

 ナズナの睫毛がかすかに震え、次いで二度瞬いた。ガノンドロフは横たわる彼女のぽかんと見開かれた瞳に詰め寄ると、その奥底によどむ闇をまっすぐに見据える。

「喜べ、ナズナ。貴様の身の程を弁えぬ情欲を、他ならぬこのオレが受け入れてやろう。その全身全霊を賭して、醜く――そして浅ましく、オレを欲し続けるがよい」

 人としての醜い欲、獣のような浅ましい本性――失望を恐れたナズナが必死になって胸の内側に押し込めてきたそれは、確かに目を背けたくなるほどおぞましい。だが建前も何もかもを剥ぎ取られた彼女が見せた生々しいその感情は、闇に生きるガノンドロフをこの上なく沸き立たせるものでもあった。

「それが果たされている限り、オレは貴様に応えよう」

 ――自分を絡め取ろうと伸ばされる茨すら、受け入れてもよいと思えるほどに。
 媚薬に蝕まれた頭では何を言われたのかすぐには理解が及ばなかったらしい。ナズナは呆然と、鼻先にあるガノンドロフの瞳を見つめる。聞き返そうとしたのだろう、その唇が薄く開く。浅く吸った息を吐き出そうとした瞬間、くしゃりとその顔が涙に歪んだ。

「……ガノン、さん」

 か細い声が、かすかに空気を震わせてガノンドロフを呼ぶ。

「後悔しますよ。私、地獄の底まで付き纏います。その時になって嫌だって言っても――きっともう、手を離せない」
「無論だ。そうこなくては貴様の手を取る意味がない」

 彼は鼻を鳴らしてにやりと笑う。その気になればいつでも引きちぎれる拙い拘束に、あえて身を任せてやるのだ。せいぜい振り落とされぬよう、蔓のように頼りないその茨を雁字絡めにしてしがみついていればよい。その代償に――。
 ガノンドロフはその口の端に悪辣な笑みを浮かべ、金に燃え盛る瞳でひたとナズナを見据えた。

「ナズナ。貴様に我が生涯の伴侶となることを許す。オレの傍らに立ち、持てるすべてをこのガノンドロフに捧げよ」

 ――その代償に、根ごと貴様を引き抜いてやろう。

「本当に、イジワルですね」

 自分を覗き込むガノンドロフの瞳から彼の魂胆を見抜いたのだろう、ナズナは眼差しに穏やかな皮肉を混ぜる。
 彼女がどう答えるか、すでにガノンドロフには見えていた。媚薬と彼自身に退路を塞がれた中、自分より遥かに大きな獣の口腔に身を投げるほか彼女に選択肢は残されていない。逃げ道を潰し、望むものを餌として与え、己の利する方向へと相手を導く――彼女の得意とするのと同じやり口で、ガノンドロフがそう仕向けたのだ。
 ナズナの手が緩慢に持ち上がり、躊躇いがちにガノンドロフの耳に触れた。指先から伝わる感覚を確かめるようにその縁をなぞりながら、彼女は乾いた唇をかすかに開く。

「私のすべてを、あなたにあげます。だから――」

 呼吸が乱れ、ほんの数拍言葉が途切れる。やわらかな指が、ガノンドロフの耳の下でその動きを止めた。

「あなたのすべてを、私にください」

 余裕を装ったおっとりとした笑みの中で、瞳が妖しい輝きを帯びる。その魂の奥底に逆巻く黒い情念が、無垢な微笑みを艶やかに彩っている。――ガノンドロフただ一人を求めて、燃え盛っている。彼は獰猛に笑うと、その炎ごと彼女を飲み込むようにナズナの口を塞いだ。





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