魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ

 盛大な二対のため息が広い客間の中にこだました。長椅子に腰かけた向かいにいるナズナは、愛想笑いを浮かべつつさりげなくその視線を二人の老女から外す。呆れられる心当たりがありすぎて、さすがに気まずい。目をそらした先にあった陶器の花瓶の模様を目でなぞって気をまぎらわそうとした彼女だったが、コツンコツンと彼女達がその長い爪先でテーブルを叩くのを聞いてしまっては注意を戻さざるを得ない。ナズナが視線を二人に戻すと、ツインローバの二人は目を剣呑に細めてこちらを睨んでいた。

「結局、なんにも進展しちゃいないってことだね」
「何やってんだい。せっかくアタシらが後押ししてやったってのにさ」
「オマケに舞踏会の後に絶好の機会がありながら、それを見逃すと来たもんだ」
「しかも一緒に食事にまで行ったんだろう? だってのに本当に食事だけしてそのまま帰ってくるだなんて、アタシゃ信じられないよ!」

 コウメとコタケが交互に発する言葉にちくちくとした棘を感じながら、ナズナはただただ苦笑を浮かべた。申し訳ございません、と反射的に口から出そうになったが、それはぐっと堪えておく。この老獪な魔女達のことだ、一度謝ればここぞとばかりにつけ込んでくるだろう。……だが、つけ込む隙を作らないよう気を付けていたとしても無駄な足掻きである。人を思い通りに動かすために彼女達が強引な手段に出ることは珍しくもない。ナズナも先程、身をもってそれを思い知ったばかりだった。
 ――ツインローバの来訪はいつだって突然だ。
 執務室の扉が壊れそうなほど荒々しく開かれたちょうどそのとき、ナズナは心地よい陽気にぼんやりと思考を遊ばせながら書類整理をしていたところだった。不意を突かれたから仕方がないとはいえ、「ぎゃん」と蹴られた犬のような悲鳴を上げてしまったのは手痛い失態である。
 箒にまたがって滑るように入室してきた彼女達は、顔を出すなり「少々お借りしますよ」とガノンドロフに声をかけると、彼の返事も聞かずにナズナに向かってその指を振り下ろした。直後に魔力の渦が自分を取り巻いたかと思えば、いつの間にやらこの客間に立っていたのだ。……実質、拉致である。
 そんな人の都合などお構い無しな二人であるから、彼女達がナズナを連れ出した理由も相応に勝手なものだった。

「アンタがちんたらしてるお陰で、アタシらがガノンドロフ様からお叱りを受けちまったんだよ。ねぇコウメさん」
「ええ、ええ。そうですとも、コタケさん。とんだとばっちりさね」

 何も知らぬナズナに媚香を使わせようとしたいつぞやの件について、彼女らはどうやらガノンドロフにきつく灸を据えられたらしい。その憂さ晴らしとして、今日はナズナの『進捗』を聞くついでに八つ当たりに来たようだった。
 それにしても、理不尽である。確かにこちらの歩みが遅々として全く進展する様子がないのは事実だが、そこに彼女達が叱られた責任を問うのは筋違いだろう。さすがに黙っていられない。体の前で組んだ指に力を込めたナズナは、相手の感情を逆撫でしないよう控えめな表情を保ちながら口を開く。

「あの、それとこれとは話が違うと思うんですが……」

 すると、彼女達はわざとらしいほど大袈裟に大きく目を見開いて頭をのけぞらせた。

「まあぁ! なんだい、未来のお義母様の好意をふいにした挙げ句、口応えまでしようってのかい!」
「まったく、アンタときたら! 信じられないくらい厚かましい子だね!」

 ――やはり胸の内に秘めていればよかった。ナズナは誤魔化すような曖昧な笑みをその顔に浮かべながら、ここぞとばかりに自分を悪者扱いする二人の言葉を聞き流す。彼女らの話をいちいち真剣に聞いていては身が持たない――とは、ガノンドロフの言である。最初に聞いたときは彼の意外な不真面目さにしか目がいかなかったものだが、こうしていざひたすら愚痴をぶつけてくる二人を前にすると、彼の言葉の正しさがしみじみと心に染みてくる。真理である。
 きっと彼も自分と同じように、幾度となく口やかましい乳母達の長話を聞き流していたのだろう。そんなことを考えると、なんとなく微笑ましい気分になってくる。

「本当にアンタって子は――なんだい、ニヤニヤして。ちゃんと聞いてるんだろうね?」
「いえ、全く」

 正直に答えると、数秒間の沈黙がその場に流れた。さしものツインローバも、ここまで開き直った相手には打つ手が見つからないらしい。しばらく四つの大きな目玉をかっと見開いてナズナを見つめていたが、やがて毒気を抜かれたように長々とため息をついた。

「この娘も随分ずけずけと言うようになったもんだ。ねぇ、コウメさん」
「まったくですよ、コタケさん。性根がひん曲がってるったらありゃしない」
「それは今更でしょう?」

 くすくすと笑えば、コウメとコタケは揃ってふんと鼻を鳴らした。さすがは双子、文字通り息がぴったりである。
 ――だが、少々茶目っ気を出してからかうくらいは許してほしい。彼女達には自分の心の内を洗いざらい、底の底にある願望までさらけ出したのだ。普段は穏やかかつ控えめな女性で通しているナズナが遠慮呵責もなしに思ったことを口にするのは、彼女達に少なからず心を開いている証なのである。決して自白薬を盛られたり、持たされた媚香のせいであらぬ疑いをかけられたりと散々な目に遭わせられた仕返しなどではない。決して。
 そう、仕返しなどではない。むしろ、ツインローバの二人には恩さえ感じているのだ。彼女達は自分の本心を吐露するきっかけをくれた。ガノンドロフの内心を理解するための一歩を踏み出させてくれた。二人がいなければ、きっと自分は疑心暗鬼に駆られたまま彼を拒絶し続けていたことだろう。
 だから、ナズナは居住まいを正して二人を交互に見つめた。

「コウメさん、コタケさん」
「なんだい、改まって」

 名を呼ばれた彼女らはそのぎょろりとこぼれ落ちそうな大きな目をすがめてナズナを見上げる。初めは嫌悪感と恐怖しか覚えなかったその異相も、今となっては奇妙に愛嬌が感じられる。

「お二人のお陰で、ようやく前に進めそうです。――ありがとうございます」

 ナズナはゆるりと微笑み、深々と頭を下げた。本心からの感謝の言葉であったが、顔を上げてみればそこにあったのは胡散臭いものでも見るような眼差しだった。

「おやまあ、恩知らずの代名詞みたいなアンタがねぇ」
「まったくさね。本当に感謝してるかどうか分かったもんじゃない」

 ……実に辛辣である。だが実際に手放してしまって振り返りもしない恩が多々ある身として、二人の言葉は耳に痛い。
 でも、とナズナは唇を尖らせる。こちらにもきちんとした言い分はあるのだ。もう二度と手の届かない相手にずっと返せない恩を抱えていても、ただただ不毛なだけでしかない。それならば、目の前に確かにいる相手を大事にする方がまだ建設的ではないか。――そういった考えが『冷淡』だと言われる所以だということは、自覚しているつもりである。

「失礼ですね。私にも感謝の気持ちくらいはありますよ。ちゃんと恩返しだってしますし」
「アンタの望みに沿う形で、だろう?」
「やっぱり性悪な女だよ、アンタは」

 ヒッヒッヒ、ホッホッホ、と二人は交互に笑う。――さすがに、分かっていらっしゃる。図星を刺されて否定する言葉さえなくしたナズナは、降参だとばかりに肩をすくめると眉根を下げて微笑んだ。

「そういえば、お茶がまだでしたね。今さらですけど、淹れてきましょうか」

 場の空気がやわらかなものになったのを見て取ったナズナは、ゆったりとした仕草で立ち上がろうとする。本来なら客間に連れ込まれたときに運んでくるべきだったのだが、半ば強制的に長椅子に座らされ、間髪入れず双子の魔女による尋問が始まってしまっては席を外すわけにもいかなかったのだ。温かい紅茶があれば客人の気を宥めることももう少し容易だったのだろうが、今となっては過ぎた話である。
 ともあれ、彼女達との話もようやく一段落した。そろそろ仕事の進み具合も気にかかるし、あまり遅くなってガノンドロフの嫌味を聞くのも面倒だ。彼の乳母二人には少々申し訳ないが、紅茶を飲んだら上機嫌なうちにご退場願いたいところである。

「ああ、ちょいとお待ちよ。今日はこっちを淹れてくれないかい?」

 中途半端に腰を浮かせたところで、コウメから待てがかかった。そこでいったん静止したナズナは、瞬きをして彼女を見つめる。普段こちらに任せてくれている彼女達から注文とは珍しい。
 コウメは袂に手を突っ込むと、そこからひとつの小さな袋を取り出してナズナの前に差し出した。
 枯れて節くれだった枝のような指からそれを受け取ったナズナは、座り直してその口を開く。すると、ふわりと広がる甘い匂いが鼻をくすぐった。中を覗けば、からからに乾燥した赤い花弁が幾重にも重なっているのが見て取れる。

「お花、ですか?」

 顔を上げるナズナに、コタケがくくっと喉を鳴らして笑う。

「ああ、そうさ。こいつは砂漠のど真ん中に咲く珍しい薔薇だよ」
「なんだかんだ言って、騙しちまったのは事実だからね。ちょっとした詫び代わりに、アンタにも味わわせてやろうと思ったのさ」

 二人は互いに目配せをすると、袂に口を隠してくすくすと笑った。いかにも何か企んでいそうな魔女らしい怪しさだが、この二人がそのような雰囲気を醸し出しているのはいつものことだ。別段気にかけるほどのことでもない。
 だが、その怪しさを抜きにしても彼女達の好意を素直に受け取るわけにはいかない。何せ、この二人にはもう何度も煮え湯を飲まされているのだ。それに加えて――。ナズナは曖昧な笑みをその顔に浮かべた。

「その、お気持ちは大変ありがたいのですが――でも私、もうお二方から物を受け取るなとガノンドロフ様から厳命を受けていまして」

 ツインローバの贈り物に悪意がこもっているかどうかはこの際脇に置いておく。それより何より、ガノンドロフに言いつけを破ったと知られたら――。金色の瞳に燃える冷たい怒りを思い出したナズナの手元で、かさ、と袋が乾いた音を立てた。
 二人には少々申し訳ないが、ガノンドロフの怒りを買わぬためにも引き下がってもらわねば。さらに言葉を重ねようと口を開きかけたところで、ツインローバは思いきり目を剥いてここぞとばかりに捲し立てだした。

「おやまあ、なんて失礼な子だこと!」
「お前さんはこの気の毒な年寄りに恥をかかせる気かい?」
「せっかくアンタのためを思って貴重なものを持ってきてやったってのに――」

 困り果てた笑みの裏側で、ナズナはげんなりとため息をついた。――やはり、不可能だ。こうなってしまったこの二人は、もう自分一人の手には負えない。
 きっとナズナが何を言おうと、彼女達はなんだかんだ言って花茶を飲ませようとするに違いない。自分の意を押し通すことにかけては、つくづく右に出るもののいない二人である。

「分かりました、分かりました。もう、今回だけですよ」

 ナズナは諦めて立ち上がった。たかが紅茶一杯だ。いくら相手が獣並みに勘のよいガノンドロフでも、誰かがうっかり口を滑らせさえしなければバレることはないだろう。……そう信じたい。
 客間を出たナズナは、こっそりと袋に顔を近づける。――砂漠の薔薇。コウメとコタケは珍しい品と言っていたが、きっと相応に高価なものなのだろう。押し切られた形ではあるが、せっかくの機会だ。せめて存分に、香りと味を堪能させてもらうとしよう。ほのかに香るやわらかな甘さに、彼女は頬をほころばせた。





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