魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ


 ガノンドロフは普段通りの真面目くさった仏頂面でハイラル城の謁見の間に向かっていた。いつものように執務に手をつけようとしたところで、ハイラル王に突然の呼び出しを食らったのである。あまりにも唐突なそれに計画の漏洩を疑ったが、今ここであれこれ考えても仕方がない。
 ――歩いている最中、不意に一人の女を思い出す。自分の前に突然現れ、穏やかに微笑みながら自分の心をかき乱していったあの女。彼女から『宣戦布告』を受けたはいいものの、あれから全く音沙汰がない。現実味のない妙な感覚も相まって、そろそろあの出来事は夢だったのではないかと疑い始めているくらいだ。
 恐らく、あの女の行方はインパが知っているはずだ。だが、わざわざ犬猿の仲である彼女に訊ねるのも癪だ。ツインローバに探らせようにも、彼女らに自分が敵でもなんでもない一人の女を気にしていると知られては面倒なことになる。
 そうこうしている内に、あのやわらかな笑みを浮かべる女に関して何も掴めぬまま一週間が経ってしまった。
 ――いや、今そんなことを気にかける必要はない。あの女のことは置いておいて、まずは目の前に集中しなければ。謁見の間の前にたどり着いた彼は、武装を近衛兵に預ける間に気持ちを切り換える。忠臣の仮面を慎重に被り直し、くすぶる野心の火は胸の奥深くに封じ込める。もう十年近くやってきたことだ。今となっては息をするのと同じように自然に切り換えられる。
 兵士の開いた重々しい扉を潜り抜ければ、玉座に腰かけた壮年の男が、こちらに微笑を向けているのが見えた。ガノンドロフは躊躇なく前に進み出ると、流れるように膝をつく。

「よくぞ来てくれた。急に呼び立ててすまなかったな」
「いえ。このガノンドロフ、陛下のお召しならばたとえ地の果てからでも喜び勇んで馳せ参じましょう」

 心ない世辞の言葉に、ハイラル王は鷹揚に頷いてみせた。

「言われずとも、お主の忠誠の高さは身に染みて分かっておる。他の者にも見習ってほしいものよ」

 そこを見習われれば、ハイラルは瞬く間に混沌と絶望の渦に叩き込まれるだろう。そうは思ったものの、ガノンドロフはただ黙して深く頭を下げた。ハイラル王は彼に顔を上げるよう命じると、その眼差しを和ませる。

「時にガノンドロフよ。お主、近頃は夜更けまで執務に励んでいるそうだな」
「はっ。しかし御身のためを思えば、かほどの苦痛もございませぬ」
「はは、まこと頼もしきことよ。だが、過ぎた労苦は知らぬ間に体を蝕むものだ。何かと頼りにしてしまう余も余だが、お主も少々加減を覚えよ。体を壊してからでは遅すぎる」
「そのような勿体ないお言葉をいただけるとは……身に余る光栄にございます。今後益々、ハイラルと御身の繁栄のために力を尽くさせていただく所存です」

 恐れ入ったように頭を下げれば、上から温かい苦笑が降ってきた。

「そういうところが気がかりだと言うておるのだ。お主は実に真面目な男だな」

 そう見せているのだから当然だ。
 与えられた職務を忠実にこなし、時に期待以上の成果を上げること。自分の能力の高さを示しながらも驕ることなく、相手を不快にさせないくらいに適度に謙虚であること。そして、自らの持てる全てを王に捧げること。それさえ意識すれば、ハイラル王の信頼を得るのは簡単だった。
 王の理想とする臣下を演じるのは実に容易い。――何せ、自分もまた王なのだから。
 ガノンドロフの態度に気を良くしたハイラル王は、蓄えた髭を撫でながら目を細める。

「――さて。そこで本題なのだが、ガノンドロフよ」
「はっ」

 ガノンドロフは再び畏まってハイラル王の言葉を待った。王は軽く咳払いをすると、落ち着いた声音で告げる。

「お主に補佐をつけることにした」

 その言葉に、ガノンドロフは思わず顔をしかめた。忠臣の仮面が剥がれてほんの一瞬本性が顔を覗かせるが、幸いにも顔を伏せていたお陰で誰にも見咎められることはなかった。
 ――しかし、面倒なことになった。補佐など、助けになるどころか邪魔でしかない。
 常にハイラル王側の人間がついて回ることになれば、それだけ隠れて動くことが難しくなる。かと言って無闇に遠ざければ、その態度を不審に思われることとなるだろう。ともすると、そこから謀反の計略に綻びが生じかねない。……障害となる可能性は十分にある。
 彼は神妙な表情を作って顔を上げる。

「陛下。前々から申し上げていたかと存じますが、私めに補佐など必要ございませぬ。現に――」
「分かっておる。お主の実力は疑うまでもない」

 ハイラル王は、理由を言い募ろうとしたガノンドロフを遮って首を縦に振る。ガノンドロフが怪訝そうな顔をすると、ハイラル王は目尻にシワを作って人好きのする笑みを浮かべた。

「あれやこれやと言う前に、まず本人と会う方がよかろう。――こちらに来なさい」
「はい」

 控えめな女の声が左手から聞こえてきた。どうやら、立ち並ぶ近衛兵達の背後に控えていたらしい。そちらを見やったガノンドロフは、猫を被ることも忘れて大きく目を見開いた。

「貴様は……!」

 そこにいたのは、一週間前に城の通用口付近で会った女――ナズナだった。
 きっちりとした文官服に装いを変えて薄く化粧を施したナズナが、近衛兵の間を縫って進み出る。優雅に一礼してみせた彼女の表情はあくまでも穏やかだが、緊張のためか頬が少し紅潮している。
 この女が何故ここに。ガノンドロフは思わぬ展開に軽く衝撃を受けながらも現状を冷静に分析しようとした。
 ――あの日、相対していた自分と彼女の間に割って入ったのは、ゼルダ姫の乳母であるインパだった。その後彼女達がどうしたのかは把握していないが……まさか彼女は、王女が自分を見張るために用意した駒だったというのか。
 明らかに初対面とは言えないガノンドロフの反応を目にして、ハイラル王は顎を撫でる。

「ほう、すでに知り合っておったか。隅に置けぬな、ナズナよ」
「いえ。インパどのをお待ちしていたところに、たまさか通りかかられただけでございます。ほんの、名前を交換した程度でして……」

 ナズナは控えめに首を振る。軽くうつ向いてはにかむその様子は、どこにでもいるような内向的でおっとりとした女だ。どう見ても脅威でないにも関わらず、ガノンドロフは彼女に対して警戒心が沸き起こるのを抑えきれなかった。

「では紹介は必要だな。――ガノンドロフよ。彼女はこう見えて異国の学者でな、ハイラルの法や文化を学びに遠路遙々旅をして来てくれたそうだ。その成果を故国に持ち帰り、発展に役立てたいのだと。まだ若いのに、健気なことだと思わんかね?」
「……はあ、そうですね」

 ガノンドロフは曖昧に頷きながらも眉を寄せた。ハイラル王の言葉は間違っている。この女が学者であるはずがない。自分の中にある『記憶』が、そう訴えかけてきているのだ。では、彼女は一体何者なのか。……そこを考えようとすると、どうにも霞がかったように思い出せない。
 だが、これだけは言える。このいかにも無害な微笑みを浮かべている女は、断じて『国のために尽力する健気な娘』などではない。もっと得体の知れない何かだ。

「各方面に通じておるお主の元ならば、ハイラルについて多くを学ぶことができよう。彼女に補佐としての仕事を任せるも任せないもお主の自由だ。ガノンドロフよ、お主はただ仕事中常に彼女を随行させさえすればよい」

 それが一番困るのだ。ガノンドロフは内心でハイラル王を罵倒しつつ、国の行く末を憂う忠臣に見えるよう意識しながら眉を潜める。

「陛下。私の実力を買っていただけていることは、大変恐縮に存じます。しかしお言葉ですが、そのようなどこの馬の骨かも分からぬ者を城に招き入れ――ましてや、機密に触れさせるなど。国を思えばこそ、私は賛成しかねます」
「はは、案ずるな。彼女の父親がインパの知己だったらしくてな。その身元も人柄もインパが保証してくれておる。……それとも、お主を見出だした余の目を信じられぬか?」

 ――それは今この場で最も信用してはならないものではなかろうか。
 それはともかく、ハイラル王の言葉でこの茶番にはやはりインパが一枚噛んでいるらしいことが分かった。これはますます警戒せねばなるまい。
 だが、ここまでハイラル王がここまで強く推している話に渋い顔をし続けるのも印象に悪い。ガノンドロフは不承不承といった様子で膝をついた。

「承知致しました、我が君」

 深々と頭を下げながら、ガノンドロフは今後とるべき行動について頭脳を総動員させる。こうなってはもう仕方がない。まずは適当に探りを入れるとして、口を割らないようならば頃合いを見てツインローバに洗脳させるとしよう。情報を引き出し尽くした後は、逆にゼルダ側への刺客にしてやるのも悪くない。
 ハイラル王はそんなガノンドロフの心の内など知る由もなく、上機嫌で頷いた。

「お主ならきっと受けてくれると信じていたぞ。さあナズナ、ガノンドロフに挨拶をしなさい」
「はい」

 ナズナは薄く笑みを浮かべて返事をすると、こちらに向かって頭を下げた。

「本日よりお世話になります、ガノンドロフ様」

 ――この女が何者だろうが知ったことか。せいぜい利用し尽くして、最終的には使い潰してやる。
 女は自分の喉元に差し迫るガノンドロフの悪意に全く気づかない様子で、ただおっとりと微笑んでいた。




 執務室に向かう間、互いに口を利くことは一切なかった。ガノンドロフは歩調を一切緩めることなく大股で廊下を歩き、ナズナはそんな彼に置いていかれぬよう小走りで追いすがる。その様子を遠巻きに眺める衛兵達の眼差しが、この日は妙に背に刺さるように感じた。
 ――ガノンドロフの執務室は、人の往来が少ない閑静な一角にある。集中のできる静かな環境で与えられた職務を全うしたい、というのは表向きの弁である。実際は、時たま城を訪れる乳母や族長代理との密談を他人に聞かれる可能性を鑑みてのことだ。そのため、彼は重鎮であるにも関わらず執務室の前に衛兵すら置いていなかった。
 ガノンドロフに続いて執務室に入ったナズナは、扉を閉めるや否やぐるりと室内を見渡して唐突に口を開いた。

「ガノンドロフ様。この部屋の周辺には今、誰もいませんよね?」

 その問いかけに、ガノンドロフは疑わしげに眉を寄せる。

「何故そのようなことを訊く?」
「いくつか、お話ししたいことがありまして。私のことと――それから『七年後』について」

 ――先手を取られた。ガノンドロフは内心舌打ちをする。油断していた。まさか、向こうから話を切り出してくるとは。彼はざっと意識を巡らせて人の気配がないことを確認すると、女の澄ました微笑を睨み付ける。

「どういうつもりだ、貴様」
「だって」

 彼女は苦笑混じりに肩を竦めてみせる。先程までの堅苦しさはどこへやら、その瞳にはやわらかで明け透けな光が踊っている。

「あらかじめ言っとかないと、何されるか分かったもんじゃありませんし」

 穏やかな声音で告げられたその言葉は、彼女がガノンドロフの本性を知っているのだということを示唆していた。だが、そうであるにも関わらず彼女はあくまで無防備だ。奇妙なことに、その表情や態度からは悪意や敵意の類が一切感じられない。
 裏表がないのか、それともガノンドロフでさえ見抜けないほど内心を隠す術に長けているのか。もし後者ならば、この女は人畜無害な顔をしてとんでもない食わせ者ということになる。
 ともすると薄らいでしまいそうな警戒心を意識して維持しながら、ガノンドロフは彼女をひたと見据える。

「ナズナといったな。貴様はオレの何を知っている?」
「それも、これからお話しします。あ、長くなりますのでどうぞ座っていてください。なんでしたら、お仕事しながらで構いませんので」

 ナズナは呆れるほどにこやかな表情でガノンドロフに椅子を勧める。まだ話を聞くとは言っていないのだが、彼女はすでにその気でいるようだ。
 しかし、それはそれで好都合だ。会話の主導権を握られたのは気に入らないが、自らこちらの求める情報を提供してくれるというのだ。仮に彼女の語るのが作り話だったとしても、聞き役に徹していれば話の粗を見つけ出すのも容易い。
 そんなことを考えながらじっとナズナを見下ろしていると、その視線の意味するところをどう取ったのか、彼女はきょとんと瞬きをして首を傾ける。

「……お茶、淹れた方がよろしいですか?」
「いらん」
「あら残念」

 練習したんですけどね、と拗ねたように彼女は呟く。その声色はどこか楽しげで、気を悪くした様子がないどころかむしろ会話を面白がっているようにさえ感じ取れる。つくづく何を考えているか読めない女だ。
 ガノンドロフは気難しげにため息をつくと、勧められた椅子にゆっくりと腰を下ろす。決してナズナの無防備な笑みに絆されたわけではない。身のこなしから見て、彼女はさほど武芸に優れているとは言えない。この女程度の腕ならば、たとえ不意を打たれたとしても座ったまま対処できる――そう判断したまでのことだ。
 椅子の背もたれに身を預けたガノンドロフが視線で話を促すと、ナズナは軽く咳払いをする。

「これからお話しするのは『一度目の世界』とその結末、それから私が今ここにいる理由についてです。ちょっと荒唐無稽なお話になっちゃいますけど……」

 困ったように微笑んで、彼女は一度目蓋を下ろす。一拍置いてゆっくりと開いた瞳の奥に、ほんの一瞬、凝縮された感情の塊を垣間見たような気がした。

「そう、ですね。まずは私達が森で出会ったところから、順を追って説明しましょうか――」

 ナズナはガノンドロフの前にある執務机にそっと指を置くと、ゆるやかな抑揚を持たせた声音で静かに語り始めた。





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