魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ


 時の神殿の付近はいつだって静寂に満ちている。
 城下町の繁華街の外れにひっそりと存在するこの神殿は、トライフォースを守るために光の賢者ラウルが建てたものだ。その来歴を知る者は少なく、当然ながら礼拝に訪れる者もいない。美しく手入れされた花壇を見るに管理している者はいるようだが、それらしき人物を見たことはない。
 ただ、外観の美しさとひと気のなさから、告白スポットとしての人気はあるらしい。時を越えるために頻繁にこの神殿に立ち寄っていたナズナ達は、一度だけその場面に出くわしたことがある。その時はナビィと一緒になって、必死でリンクの目を塞いだものだ。
 ――そんな楽しい思い出の時間も、もう『なかったこと』になってしまった。
 城下町の喧騒が遠くに聞こえる中、ナズナとリンクは二人並んで石段に腰かけてぼんやりと空を眺めていた。
 眩しく光る青い空に、ゆったりと雲が流れている。そんな当たり前の風景を久しく見ていなかったことに、ナズナは今更ながらに気がついた。戻ってきたことを実感すると同時に、胸にぽっかりと穴が空いたような虚脱感が全身を襲う。
 それは、どうやらリンクも同じらしい。

「終わっちゃったね」
「……うん、そうだな」

 ナズナの言葉に、彼は心ここにあらずといった声音で返事をする。ちらりと隣に目を向けると、リンクの表情に寂しげな影が落ちているのが見て取れた。
 ――この旅で彼が得たものは多い。だが、それらのほとんどが時を遡ることによって失われてしまった。旅の中で手に入れたアイテム、大妖精に授かった力、道中で出会った心優しくも頼もしい友人達。そして、巨悪を討ち果たしてハイラルを救ったという事実さえ。
 それでも、残されたものは確かにある。ナズナはそれを伝えたくて、リンクの小さな手を握る。リンクはこちらを見上げると照れ臭そうにはにかみ、ぎゅっと手を握り返してくれた。

「リンク君は、これからどうするの?」
「俺は……ゼルダに今までのこと全部伝えたら、また旅に出ようかな」
「ナビィちゃんを捜しに?」

 リンクはこくりと頷く。

「俺はナビィの相棒だ。だから、ちゃんと『さいご』まで傍にいてやんなきゃダメなんだ」

 そっか、と小さく呟いてナズナは空を仰ぐ。
 ――妖精は邪気に弱い。ガノンドロフ、そして魔獣ガノンの発する強い闇の波動は、ナビィの命を確実に蝕んでいた。それでも、彼女はリンクと共に戦い抜いた。自分の命を削ると分かっていながら、彼のために、世界のために力を尽くしたのだ。
 ガノンが空間の狭間に封じられた直後、ナビィがかなり衰弱していることにナズナは気がついていた。……きっと、彼女はもう長くない。ナビィがリンクの元を去ったのは、弱った姿を――ひいては自分の『さいご』を大切な人に見せたくなかったからだろう。
 だから、ナズナは去っていくナビィに手を伸ばさなかった。彼女の気持ちを考えると、引き留めることなどできなかったのだ。
 けれどリンクは違う。彼はそんなナビィの思いや葛藤を全て受け入れて、それでも手を伸ばそうとしている。きっとそれが彼の強さであり、優しさであり、勇気なのだろう。

「大人になったね、リンク君」
「なに言ってんだよ。俺、今こどもなのに」

 ほら、リンクはナズナと繋いでいない方の手を握ったり開いたりしてみせる。小さくてぷっくりとした、まだ幼い手。七年後の武骨な手とは比べ物にならないほど弱々しいそれを、リンクは不満げに眺めている。――その小さな手で、彼は多くのものを救ってきたのだというのに。
 ナズナはくすくすと笑って彼の大きな青い瞳を覗き込んだ。

「成長したってことだよ」

 その言葉に、リンクはきょとんと瞬きをしてナズナを見つめ返す。少し考えて理解が及んだらしく、赤みが差した顔に嬉しそうな笑みが広がった。

「そっか。じゃあさ、ナズナは? ナズナはこれから、どうするんだ?」
「私は、そうねぇ……」

 問い返されて彼女はしばし考え込み、やがてハイラル城の方に目を向けて微笑む。

「ちょっと頑張って、幸せな未来を目指してみようかしらね」
「うへぇ」

 リンクはあからさまに顔をしかめて舌を出した。

「それって、あのガノンドロフとだろ? ホンットナズナって趣味悪いよな。隣にこーんなイケメンがいるってのにさ」
「あはは、言うじゃない」

 ナズナは明るい笑い声を上げる。そういえば、と七年後のゼルダにも同じように指摘されたことを思い出す。本当に、どうして寝食を共にしたイケメンで男前な勇者様でなく極悪非道な悪役面で年を食った魔王に惚れたのか。自分でも不思議で仕方がない。
 恋心を抱いた相手がリンクだったとしたら、もう少し気も楽だっただろうか。そう思いかけたところで、彼の無邪気な褒め言葉に頬を染める数々の女性達を思い出す。……それはそれで、また違った苦労がありそうだ。
 ナズナとリンクはひとしきり笑い合ってから、互いに目を合わせる。

「言っとくけど、応援はしないからな」
「分かってる。でもちょっとくらいは協力してほしいな」
「しょーがねえなぁ。今回だけだぞ」

 二人は悪戯っぽい笑みを交わすと、手を繋いだままどちらからともなく立ち上がった。




 ナズナと向かい合ったガノンドロフは、訝るような表情で彼女を睨み付けている。鋭い視線を受けた彼女は、寂寥感を押し隠してただ微笑んだ。
 ガノンドロフがこちらを怪しむのも無理からぬことだ。『七年後のことを覚えているか』などとおかしな問いかけをしては、狂人と取られてもおかしくはない。目が合った時に見せた彼の奇妙な態度から、もしかしたらとほんの少し期待したのだが。
 しかし、完全に覚えがないわけでもなさそうだ。もし本当に何も残っていないなら、こちらの話など聞く耳も持たず前回のように不審者扱いしているだろう。間違っても、こんな戸惑いの色を浮かべたりはしない。
 ――いや、記憶のあるなしはどうでもいい。どちらにしても、彼女はガノンドロフに伝えなければならないのだ。

「ずっと、言い損ねてたことがあるんです。――今言うのも、 ちょっと変な感じしますけど」

 緊張をごまかすように腹の前で両手の指を組み、ナズナは思いきって顔を上げる。――顔が熱い。呼吸が震える。心臓が喉から飛び出しそうだ。でも、ここで逃げ出すわけにはいかない。

「これは宣戦布告でもありますから、しっかり聞いてください ね」

 ナズナは眉間にシワの寄ったガノンドロフを見上げて笑みを浮かべる。この時代の彼はまだ髪が短く、顔立ちも幾分か若い。瞳には満たされぬ野心に飢えた光が見え隠れしており、風になびくマントはゲルド模様をあしらった短いものだ。
 今自分の目の前にいるガノンドロフと、七年後に魔王となっていたガノンドロフ。この時点では、両者は一本の時間軸で繋がっている同一人物だ。もしナズナ達が前回と寸分違わず同じ行動を取れば、彼もまた同じ道を辿ることになるだろう。トライフォースを得て再び魔王となり、勇者と戦い、空間の狭間に封印されるのだ。――そうはさせない。させてなるものか。
 世界は、たった今から分岐する。

「あなたが好きです」

 相手をまっすぐに見据えて言い切ると、ガノンドロフは軽く目を見張った。
 ――まぎれもない愛の告白だが、彼女は相手の返事を聞くつもりはさらさらなかった。ただ、彼の心にほんの少しでも自分の影を落とすことができればいい。それで現時点での目的は十分達成できる。
 二人の間に降りた沈黙を埋めるように、穏やかな春風が吹く。……言うべきことは言った。さてこの空気をどうしようかと思いを巡らしかけた時、ガノンドロフが不意に動いた。
 彼はゆったりとした足取りでナズナに近づくと、おもむろに片腕を伸ばして彼女の耳の下に触れる。首筋に感じるくすぐったさに、彼女は高い位置にある顔を見上げたまま小さく身じろいだ。だがガノンドロフはそれに構わず、そのまま手を滑らせて彼女の顎に指を添えると、そっと持ち上げる。
 確かめるようなその手付きと魂の奥底まで覗き込もうとする眼差しは、それだけでナズナの身動きを封じるには十分だった。ガノンドロフは硬直した彼女を、何を考え込んでいるのか気難しげな顔でじっと見下ろしている。不意に、彼はその唇を小さく動かした。

「ナズナ――」

 呟かれた自分の名前に、ナズナは思わず目を瞬かせた。――まさか、思い出したのだろうか。確かめようと口を開いたその時、ガノンドロフの背後にあった通用口が音を立てる。

「ガノンドロフ……? ――貴様、何をしている!」

 扉から顔を出したのは、ゼルダの乳母でありシーカー族の長でもあるインパだった。彼女はガノンドロフの影にいるナズナに気づくと緊迫感に満ちた表情で声を荒げた。
 ――ゼルダとの話が終わったら、通用口の外までインパを迎えに来させてほしい。それが、ナズナがリンクにお願いした『協力』だった。少しばかり間が悪かったようだが、そればかりは仕方がない。……いや、むしろガノンドロフが何をしようとしていたかによっては最良のタイミングだったと言えるかもしれない。
 ガノンドロフはナズナの顎から手を離して、不愉快そうに背後のインパを睨み付ける。インパは目にも留まらぬ素早さで二人を引き離すと、姫君を守る騎士のようにナズナをその背に庇った。ガノンドロフがどう出ても対処できるよう、手は腰の短剣の柄に添えている。

「答えろ。この娘に何をしていた、ガノンドロフ?」

 ぴりぴりとした殺気に満ちたインパと相反するように、ガノンドロフは覇気のない無表情でインパとその後ろにいるナズナを見下ろす。そしてつまらなそうに鼻を鳴らすと、無言で二人に背を向けた。

「待て!」

 彼はインパの制止を無視して、通用口から城内へと戻っていった。三秒数えて危険が去ったことを確認したインパは、ゆっくりと構えを解く。なおも険しい目付きで扉を睨んでいる彼女に、ナズナはそっと声をかけた。

「あの――」
「ああ、失礼した。貴殿がナズナどのだな。奴に何もされなかったか?」

 先程の強い語調と打って変わって優しげな声音で問いかけるインパに、微笑みながらナズナは頷く。

「はい。何も」
「そうか、ならば良かった」

 インパは安堵したようにふっと笑みをこぼす。……本音を言うと多少は何かされても構わなかったのだが、今それを言うのは野暮というものだろう。ガノンドロフの中に七年後に関する何らかの残滓があると分かっただけでも大きな収穫だ。

「……さて、それはそうとして」

 インパは周囲に素早く視線を走らせてから、声を低くしてナズナに顔を寄せる。

「ゼルダ様に重大な話をしたいそうだな。大まかな流れは、私もリンクという少年から聞いたのだが――」

 そこでインパは口ごもって微かに眉を寄せた。言いづらそうなその様子に、ナズナは思わず苦笑する。どうやら、リンクはあまり上手に説明できたわけではないらしい。だがそれも納得だ。ただでさえ突拍子もない話である上に、語り手も語り手である。こうなるのはある意味必然だったのかもしれない。
 ――本当の勝負どころは、ここからだ。ナズナは一度瞼を下ろしてゆっくりと呼吸をする。再び開いた視界にインパをまっすぐに捉えると、彼女はもう一度穏やかに微笑んでみせた。

「詳しいお話は、私が。あの子達のところへ、案内していただけますか?」

 今から彼女が行うのは、自分と彼の行く末を賭けた綱渡りだ。一歩でも踏み誤ればそれで終わり。ナズナは愛する者を再び失うどころか、友と呼べる者全てを敵に回してしまうだろう。
 ――それでも、進むと決めたのだ。ナズナは先導するインパに従って、その足を前へと踏み出した。




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