魔王に捧ぐ硝子の花 | ナノ


前編のあらすじ
 ナズナを抱きかかえたまま平原を馬で疾走していたガノンドロフは、その道中に思わぬ襲撃を受ける。奇襲をかけてきたのは前日に全滅させたはずの反抗勢力の生き残り達だった。
 最後の一人になるまで追い詰められた襲撃者は、不意に魔王の腕の中にいるナズナに気づき驚きと怒りの声を上げる。どうやらその青年は彼女にただならぬ想いを抱いているようだ。激情に任せて立ち向かってくる彼をなんなく倒したガノンドロフは、運命の皮肉に歪んだ笑みを浮かべたのだった。




 魔物で溢れ返った城下町の跡地で馬から降りると、ガノンドロフは馬を手下の魔物に任せてすぐさま転移魔法を作動させた。闇の魔力に覆われた本拠地であるだけあって、この辺りでは転移程度の術ならば特に意識を集中せずとも使うことができる。
 瞬時にして城の最上部のとある部屋に姿を現した彼は、抱えたままの女に簡単な浄化魔法を施して体の汚れを取り去る。そしてマントごとそっと寝台の上に下ろすと、彼女の額にもう一度手を当てた。――熱は相変わらず高い。少なくとも下がってはいないようだ。ガノンドロフとしてはこのまま放置したいところだったが、仮にそうしたとして彼女の容態がさらに悪化しないとは言い切れない。

「……世話のかかる女だ」

 いつだったか、乳母たちに持たされていた薬があったはずだ。ガノンドロフはかすかな記憶を頼りに地下倉庫へと転移する。視界の利かない暗闇であったのはほんのわずかな間のこと。直後、壁に取り付けられた燭台が彼の魔力に反応し、一斉に火が灯った。
 それぞれの種族に合わせた魔物用の鎧やビーモスの予備の部品、多種多様な武器防具――雑多に置かれたそれらの脇を通りすぎ、薬類をまとめて並べてある棚へと向かう。
 棚にはビン詰めにされた赤い薬といった一般的なものからゲルド族に代々伝わる劇薬まで、ありとあらゆる薬が揃っている。ガノンドロフはその中から、一服の薬包を選び取る。昔から解熱剤として広く用いられている粉末だ。彼自身全く世話にならないお陰で少しばかり古くはあるが、恐らく問題はないだろう。
 寝台の側に戻った彼は、横たわる女を覗き込んでふと眉を上げた。

「目が覚めたか」

 ナズナがこくりと頷く。ぼんやりとした表情ではあるが、意識ははっきりしているようだ。彼女は何か言いたげに唇を動かしたが、言葉を発する前に顔をしかめて喉元を押さえる。痛むらしい。ずっと口で呼吸していて、喉の奥が乾ききっているのだろう。
 意識があるのなら、薬は自分で飲めるはずだ。ガノンドロフはサイドテーブルに空のままで置いていたワイングラスを取ると、魔力でそれに水を満たす。

「解熱剤だ。飲んでおけ」

 薬包と共にグラスをサイドテーブルに戻し、それ以上何も言わずに身を翻す。そのまま部屋を出ていこうとした彼の耳に、酷くかすれた小さな声が届いた。

「すいません、お手数を――」

 足を止めたガノンドロフが顔を半分だけそちらに向けると、ナズナは枕に預けていた頭を動かしてこちらを見ていた。熱に潤んだ彼女の眼差しは何かを求めているかのようで、彼は腹の奥底で黒い炎が燃え上がるのを感じた。その炎の正体を正確に知っていたガノンドロフは、熱が全身に回る前にそれを踏みにじって抑え込む。
 ――平原で虐殺した時の昂りがまだ尾を引いているらしい。ガノンドロフは彼女の吸い寄せるような瞳から視線を引き剥がすと、乱暴に扉を開けて部屋を後にした。




 城に搬入された物資の確認、視察へ向かわせる魔物の選出、ゲルド族から届いた活動報告に対しての指示。一日の業務を終えたガノンドロフは、魔鏡を通して水の神殿の様子を確認していた。
 神殿の奥に捕らえてある覚醒前の賢者はおとなしく眠っている。封印に使用した術は、魔力を補充せずとも当分は問題なく稼働し続けるだろう。それよりも気がかりなのは、神殿全体を覆う異様な静けさである。水位を利用した大掛かりな仕掛けは全く動かず、各所の魔物も殺気立っている様子がない。まるで、闇を祓いに訪れた勇者など存在しないかのようだ。
 ――その通りだった。神殿を攻略していたはずの勇者はどうしたかというと、謎解きに行きづまったらしく釣り堀へ気分転換をしに行っていたのだ。

「……何をやっているのだ、あの小僧は」

 経営者の帽子に釣り針を引っかけて遊んでいる勇者の姿にガノンドロフは額を押さえた。あのバカが自分の唯一の障害となりうる退魔の剣の持ち主だと思うと、毎度のことだが頭が痛くなってくる。
 とにかく、今日中に水の神殿がどうにかなることはなさそうだ。ガノンドロフは魔鏡を布で覆うと燭台の炎を消し、妙に疲れた気分である部屋へ向かう。
 扉を開けると、寝台に控えめな膨らみが見えた。音を立てぬよう歩み寄って寝台を覗き込むと、燭台のかすかな明かりに浮かぶ安らかな寝顔があった。ガノンドロフは呆れて口元を歪める。

「勇者ともども、緊張感の欠片もないな」

 枕元にはガノンドロフが貸し与えた深緋色のマントが綺麗に畳んで置いてある。サイドテーブルに視線を移せば、開かれた薬包紙と空になったグラスがあった。よくもまあ、与えられた薬を疑いもなく飲んだものだ。こうしたところを見ると、警戒心という点に限れば勇者の方が少しはマシであるのかもしれない。
 彼は身をかがめて穏やかに眠るナズナの耳の下に触れる。今すぐにでも殺せる距離に、改めて彼女が自分の手中にあることを実感する。
 ――そう、その気になれば好きにできるのだ。ナズナの耳元に触れていた指がするりと滑り、華奢な首筋をなぞる。この首筋に軽く歯を立てれば、彼女はどのような顔をするだろうか。やわらかな腹に指を沈ませ、白くなめらかな太ももに舌を這わせ、ぬかるんだ中心を穿ったとすれぱ、どのような声で許しを乞うだろうか。

「……ふん」

 そこまで考えて、ガノンドロフは馬鹿らしいと鼻を鳴らした。そのようなことをしても、せいぜい勇者に対する見せしめ程度にしかならない。
 姉のように慕う女が敵の手に堕ちたと知った時の勇者の顔はさぞ見ものだろう。しかし、必要以上に追い詰めて彼の歩みを止めるのはガノンドロフの望むところではなかった。いまだ行方も知れぬ王女をおびき出す餌として、勇者にはこのまま順調に神殿を解放していってもらわねばならない。
 下らない思い付きに時間を費やしてしまった。ガノンドロフはため息をつくと寝台に背を向け、部屋の中央に据えてある長椅子にどっかりと腰かけて瞑目する。何かあれば反応できるよう手を短剣の柄にかけておくのも怠らない。
 ――それにしても静かな夜だ。ナズナの安らかな寝息しか聞こえない静寂の中、彼はやがて浅い眠りに落ちていった。





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