陸・水柱、冨岡義勇という人
しのぶ様が作られた解毒剤で、うちに運ばれてきた隠の方々全員が回復され、かなり仲良くなった後藤様ともお別れすることとなった。
別れ際に「また来るからなぁ!用がなくてもお土産持って来るからなぁ!」とわんわん泣いていた後藤様は、まるで小さい子供のように大粒の涙をポロポロ零されていた。
私を妹のように思ってくださったみたいで、とても心が温かく、そしてきゅっと切なくなる。
「はい、いつでも……お待ちしてます」
これは本当の気持ちだ。
鬼狩り様たちに僅かな休息と癒しを差し上げたい。
いつだって門を叩いてくださっていいのだ。
静かになった屋敷の中を見回してから、ぼんやりと中庭へと視線を動かす。
そうしてから、やっと、あの藤の木の下に誰かが立っていることに気づいた。
その人はただ静かに藤の花を見上げている。
感情の読み取れない瞳がじっと花房を捉えていて、彼の肩にはひらひらと舞散った藤の花びらが少し積もっていた。
つまり、この方はだいぶ長い間そこに立っておられるのだと理解する。
「……鬼狩り様」
独特の空気感。
そして腰に帯刀されている刀。
刻まれた文字。
それらから、この方は柱の方なのだと分かった。
「柱の方ですね」
「俺は柱じゃない」
「……え?」
いやだが、その悪鬼滅殺と刻まれた刀は……。
きっぱりと柱を否定する彼を見上げながら、ふとしのぶ様が遊んでくださっていた時に、少しお話してくださった現在の柱の方々の話を思い出した。
『俺は柱じゃない、とか空気の読めないことを真顔で口に出す隊士がいましたら〜それは間違いなく、水柱のーー』
「ーー冨岡義勇様では?」
私の問いに彼の表情が僅かに変化する。
「……あぁ、俺は冨岡義勇だ」
私をまじまじと見つめながら、こくりと頷いた彼はどうも疑問が浮かんでいるらしい。
「やはり。胡蝶しのぶ様からお聞きしていた特徴と一致しましたので、もしやと思いまして……」
「……そうか」
無口な人なのだろう。
しのぶ様の話を出せば、合点がいったように大きく頷いて納得してくださったようだ。
「……それで、藤の花がどうかしましたか?」
「いや……」
沈黙が走る。
「…………ただ、藤襲山を思い出した」
「あぁ……同じ遺伝子の木ですよ。大昔に始まりの剣士の方から頂きました」
「……そう、か」
少し見開いた瞳で、僅かでも驚いてくださったのだと理解する。
夕暮れに夜の闇が徐々に重なり侵していく。
また藤の花を見上げる彼の横顔を眺めていたら、あたりは暗くなっていた。
「……冨岡様」
「…………」
呼び掛けても反応はない。
寝ているわけではなさそうだし、何か考え事だろうかと考え、邪魔になるだろうからとその場を去ろうとした。
その時だ。
ぐうきゅるるうぅっと、お腹の虫が鳴る音が静寂の中に落ちたのは。
「…………?」
あまりの大きさに私は首を傾げてしまう。
それから振り返れば、冨岡様が今度は下に俯いていた。
よくよく表情を見れば、どことなく紅潮しているようにも見てる。
「…………何か、召し上がられますか?」
「……鮭大根……」
ぽつりと呟かれた言葉にふっと表情が和らいでしまった。
だが、なんて可愛らしい人なんだろう。
「すぐにご用意致しますね」
私が微笑んで頷いたら、冨岡様は「藤埜家のお孫さんはしっかりしている……」と呟かれた。
「…………今、私がここの当主をしています」
「……それは……、そうか」
残念だと冨岡様が悲しそうな表情を浮かべる。
頭の中で蘇った祖父の元気な姿に、そっと涙を拭いながら、冨岡様を奥の客間へと案内したのだった。