肆・蟲柱、胡蝶しのぶ様



ふわりと、蝶が舞うように現れたその人を見た瞬間、胡蝶カナエ様は亡くなられたのだとはっきりとわかった。





その日、夜が明けたばかりの早朝から慌ただしい来客があった。
鬼狩り様の中でも、祖父から噂に聞いていた隠の方々の訪問だった。

数人の隠の方が何かの毒にやられている。

「くっそ、嘘だろ……まだ鬼がいたなんて」
「すまん!俺らのせいだ!」
「痛い、痛い……っ」

黒い隊服の鬼狩り様たちがボロボロの隠の方々に謝っていた。
ぼんやりと、状況を理解する。

「こんな大勢ですみません!」

「いえ、しかし鬼の毒となると……普通のお医者様に診てもらってもわかるかどうか」

ボコボコと皮膚が膨張し始めている。
まるで膿のようなものが、果実のように育って、今にも破裂してしまいそうだった。

「……このお庭の藤の花を少し頂いても宜しいですか?」
「っ!」

驚いた。
音もなくその人は私の真横に降り立っている。
ふわりと蝶の羽の模様を描いた美しい羽織が、不思議な香りを落とした。

「胡蝶様!」
「柱が!」

わぁっと中庭に溢れていた鬼狩り様の口から歓声が上がる。

「……宜しいですか?お嬢さん」

「……はい、構いません。どうぞお役立てくださいませ」

ニコリと柔らかく微笑んだ女性はとても美しい反面、危うげにも見えた。

そして、はっきりとわかったのだ。
私はこの方を知っていると。
それから同時に、胡蝶カナエ様が亡くなったことを理解した。





「…………ふぅ。解毒が間に合って良かったです」

「それは安心致しました」

暫くして、彼女が作った解毒薬が隠の方たちの命を救った。
状態が酷い方は暫く我が家に滞在して、回復してもらう予定となる。

「……蟲柱、胡蝶しのぶ様」
「あらあら?私、きちんと名乗れずじまいかと……」

蟲柱、というのは他の鬼狩り様たちから聞いた情報だった。
穏やかに首を傾げるしのぶ様に「昔……」と口を開けば、その瞳が「あぁ……」と頷く。

「お嬢さんとは、初めまして、じゃ、ないんですね」

「はい。もう少し小さい頃にお会いしております。……カナエ様が生きていらした時に」

「……そうですか」

微笑んでいるはずの彼女から、ふっと悲しみの色が濃くなる。

まるでカナエ様に生き写しのような彼女を見た時、無理にカナエ様になろうとしているかのように見えた。だからこそ、カナエ様がもういらっしゃらないのだと悟ったのだ。

「しのぶ様……」

それに記憶の中のしのぶ様は、もっとテキパキと動く方で、雰囲気も違ったはず。

「……お、おてらのおしょうさん、という手遊び歌を知っていらっしゃいますか?」

「……はい?」

首を傾げてきょとんとされたしのぶ様の前に進んで正座した。

「もし、もしお時間あったら、私の遊び相手になって頂けないでしょうか!ほんの少しでいいので!」

どうしてそのような恐れ多いお願いごとができたのかは、あとから考えてもわからない。
だけど、しのぶ様のお姿が物悲しくて。
胸がきゅっと握り潰されそうで。
居てもたってもいられなくなったのだ。

「…………、ふふふっ」

小さくクスクスと笑ったしのぶ様は、とても可愛らしい笑顔で私の手を取ってくれる。

「……夜にはまた発たなければいけませんが、それまでは私と一緒に遊びましょうか」

「は、はいっ!ありがとうございますっ」

しのぶ様の自然な笑顔が見れた。
それだけで、とても心が温かくなった。
それに、しのぶ様は他にも色々な手遊び歌や童謡を教えてくださったのだ。

不意に、またカナエ様のセリフが脳内に蘇る。

ワガママを言ってもいいのよ、と穏やかな優しい声で。

……あぁ、カナエ様。本当ですね。

ワガママと言うのは人を困らせるものだと思っていたけれど、ごく稀に人を笑顔にし幸せを運んでくれるものもあるのかもしれない。

それがほんの一瞬であっても……。


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