光くんと観覧車
「……詩織、ダッシュや」
「へ?!」

海遊館の出口にあったお土産屋さんで、千歳さんを始め、皆がヌイグルミを眺めていたタイミングで、光くんが私の手を掴んで引っ張った。

いきなり駆け足で、だなんて意味がわからない。だけど、ぐっと力強く握られた手に逆らえなかった。

「ちょ、財前、待て!」

「誰が待つかアホ」

流夏ちゃんの声が聞こえるが、前を走ってる光くんが後ろを振り返ってほんの少し舌を出す。後ろを振り向けなかったけど、怒りが溢れ出したような流夏ちゃんの声が聞こえたので、これは絶対怒ってるなと身震いした。

「あ!観覧車か!」
「え、観覧車って……」

さらに後ろで小石川さんと十次くんのそんな声が聞こえて、階段登って向かっているのは、観覧車なのかーと理解する。
海遊館に入る前にチラリと見えた大きい観覧車。

光くんはチケット売り場も目もくれず、スルッと乗り場に並んだ。
手元を見たらもう既にチケットを持ってて、二度見してしまう。

「いつの間に……」
「到着した時」

従業員さんの「シースルーゴンドラ、お二人様ですね〜」と声を流し聞きしながら、成り行きのまま観覧車に乗り込んで心臓がヒヤッとした。

この観覧車、全部透けてる……!!

「そりゃシースルーゴンドラやからな」

扉が閉まって、ゆっくり上昇しているゴンドラの中で、光くんがクッと喉を鳴らして笑った。
意地悪そうな笑みなのに、細められた瞳がどこか優しい。

「……は、八人乗りなのに、なんで二人で乗っちゃったの?」

せっかくなら、十次くんとかにも乗せてあげたかったって声に出したら、光くんの顔が間近まで迫ってて思わず空いていた方に後ずさった。
ゴンドラがガタンって斜めに揺れる。
海の真上にいるような錯覚になる透明な箱の中、心臓が軽くパニックになってきた。

「……室町とはじゅーぶん二人っきりやったやろ……ちっ」

縮こまった私を見て舌打ちしながら、光くんが正反対側の椅子に腰掛ける。ゴンドラのバランスが平行になった。

それっきり暫く何も会話がない。
不機嫌そうな光くんの横顔を眺めることしか出来なかった。

その間も周りの景色が変化していく。
海の向こうに太陽が沈みそうになっていた。

「あ、もう頂上じゃ……」

頭からつま先まで、全身が夕陽に溶けて消えてしまいそうなほど眩しい。
頂上だ、と口にした時、その差し込む光に翳りが出来た。
座っていた私の世界が平行ではなくなる。

差し込む夕陽が熱かった。
座っている私に合わせるように、屈んだ光くんの顔がもう間近で。
鼻と鼻が僅かに触れ合う。
これは……キスなのでは……

「っ、……やっ!!」
「〜っ!」

ガツンっと、思いっきり頭を揺らした私の額を光くんの顔面に当てた。
ぐらりと額に衝撃が走る。
その時、ガチッと何か音がした。

ハッと額を抑えながら顔を上げて、後ろに倒れ込むように座席に着席した光くんに恐る恐る視線を向ける。

「…………ちっ」

つぅっと光くんの唇から赤い血が垂れる。
唇を噛んで切ってしまった傷を拭うと、光くんが私を見た。
瞳の中に夕陽が映っていて、それが陽炎のように揺れている。少し怖い。

「で、でも、い、今のは、ひ、光くんがわ、悪いんだもん、私は、あ、謝んないんだからっ」

いきなりあんな事しようとする方が悪いんだ。
これで私の顔に何かゴミが付いていて、それを取ろうとしただけだったらどうしようかと。
後から思いついた瞬間、頭の中が真っ白になった。いやでも、それでもあの距離感はおかしい!
だって、唇、触れそうなぐらい──……

「……っ」

光くんの目が何かを見つけて細められた。

「……悪かったな、詩織」

意地悪そうに笑った光くんは満足そうで。

唇を軽く拭った自身の手の甲に、ほんの少しだけ赤い染みが出来るのをぼんやり見つめる。
唇は痛くないし。どこにも傷がない。
だから、私の唇についていたこの赤い血は、光くんの唇の傷のもので。

カァッ……と一気に顔面中に熱が集まった。
もう沸騰してしまいそうになるぐらい熱くて、全身が茹で上がりそうだ。

「……っ、明後日、あそこ行きたいっ!」

「は?」

もう下降して、降り口が近付いてきていたけれど、まだ見える対岸のテーマパークを指さす。

「全部光くん持ちだからねっ!じゃないと許さないからねっ!」

光くんが何を考えてるのかもう本当にわからないが。
私はこんなことで動揺なんかしないんだ。だって、動揺したら光くんの思う壷みたいな気がするし、悔しい。
なぜ明後日かというと、明日は流夏ちゃんの大会応援と夕方からは流夏ちゃんと街散策という予定だったからだ。
帰るのは明後日の夜だったし。


「……ええで」

ぽつりと耳元で囁かれるように紡がれた言葉が異様に擽ったくて、もう頭の中で何考えてるのか分かんない光くんなんか破裂してしまえと呪う。


ゴンドラの扉が開いて、出口通路の奥には流夏ちゃんたちが待っていた。
流夏ちゃんの手には海遊館の出口のお土産屋さんで売っていた手持ちの望遠鏡。

「シースルーゴンドラ、わざとだなっ!」
「どうやろーか」

首を絞める勢いで、流夏ちゃんが光くんに詰め寄っていたけど、私は心配そうな顔をしている十次くんにいつも通りへらっと笑って見せた。
千歳さんが可愛いペンギンのヌイグルミを「あげるばい」と頭の上に乗せてくれる。
それから小石川さんが時計を見て、皆で十次くんを見送りに新大阪駅まで向かうことになったのだった。

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