納得していない顔で夢野は頭を下げると「あれですー」と少し離れた場所に見えるマンションを指差して歩き始めた。
南が自身のものらしい自転車を手で押していくのを眺めながら、橘の真横を歩く。
先ほど……
夢野の体を支えた時、無意識に彼女を抱き寄せていた。
それは何故だろうかと考える前に、夢野の「美味しそう」発言に思考が停止する。
気の利いた返しなんていつも通り叶わず、ただ「そうか」とだけ受け答えた。
離れていく彼女が名残惜しく、咄嗟にでたのは送ろうという言葉。
不可解なのは己自身だ。
自分自身への行動原理を探ろうとすれば、ふと行き着くのは越前だ。
二日前に、ちょっとしたあれで、越前の携帯電話の待受を覗いてしまった。
たった一瞬だったため、はっきりとは見えなかったが、あれは越前と夢野だったように思う。
「…………はぁ」
目の錯覚だろうか。
一瞬見えたそれは、二人が口付けを交わしているように見えたのだ。
漏れ出た溜息は橘には気付かれたのだろう。
「……夢野はいつも予想がつかないからな」
彼女の自由な雰囲気に対しての溜息だと思われたらしい。軽く笑ってから橘はさらに続けた。
「うちの部員たちも、だいぶ彼女の天真爛漫さに振り回されているみたいだぞ」
「……そうか」
確かに彼女は人を振り回している。
合宿だけでも十分にわかった。
そして、俺自身も……
「はいっ!着きました!こちらです!ね?私、ちゃんと帰れるんですよ?!」
「道に迷わなくて偉いぞ」
赤澤が小さい子供に対するようにぐしゃぐしゃと夢野の頭を撫でる。
それに対して夢野は「ちょ、赤澤アニキ、私の妹分はどこまで幼女なの?!」と嘆いていた。
「んー、幼女というか……夢野さんはなんとなくトラブルメイカー……」
「ええ?!一郎くん、ひどい!」
「いや、俺は実際酷い目にあってるから!」
いつの間にか下の名前で呼ばれている金田を見る。
金田が唯一の同学年だからか、夢野の口調はどこか楽しそうだった。
「はは、うちの部員らが言っていたが、この間二年生だけが集まって交流会したらしいな」
「あー、室町も言ってた。夢野の家ですき焼きとかなんとか。その時に二年生は全員あだ名か下の名前で呼ばれることになったとか」
「……そうか」
それは知らなかった。
桃城も海堂も何も言っていなかった。いや、何やら不二が二人がそんなことを言っていたとかいっていたような気もする。
「……手塚さん?」
「……っ」
不意に声をかけられて、顔を上げれば夢野は目の前に立っていた。他の四人から訝しげな目で見られている。
「……み、眉間の皺が物凄いですが大丈夫ですか?頭が痛いのであれば、バファリン取ってきましょうか?!半分は大石さんの優しさで出来ているので、きっと効きますよっ」
「……そうか」
「え、いや、大石さんのとこ、ツッコミくれても……いや、手塚さんはしないか……」
器用なことが出来ないため、うまい返しが出来なかったが、夢野は一人唸ってから「取ってくるので!ちょっと待ってくださいねっ」とマンションの中に消えていった。
「……んー、きちんとしたお別れの挨拶言えてないし、俺らも待つか」
南が苦笑してそういってから、少し他愛もない話をしていたら夢野が戻ってきた。
頭痛がするわけではなかったが、急ぎ足で取りに行ってくれた夢野の息切れを見ると何も言えず、仕方が無いので薬を飲むことにしたのだった。
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