転入してきた頃のことをふっと思い出して、色々と口許が緩んだ。
それからこの数ヵ月の出来事の濃さに目眩を覚えつつ、胸がほかほかと温かくなる。
わぁわぁと騒がしすぎる人たちを見回しながら席を立ち、台所についてから小さくため息をついた。
「何ため息ついてんだ?」
台所の流し台の前で、ビクリと肩が跳ねる。
食べ終わった皿を重ねて持ってきてくれたらしい宍戸先輩だった。
「あ、いや……洗い物すごいなぁと」
「はは、確かに。手伝うぜ」
誤魔化そうとしたら違うスイッチを押してしまった。
爽やかそうに笑った宍戸先輩は、もう既に洗剤を握ってスポンジを泡立たせている。
これは確実に女子が恋する。なんて男前なんだ。誰に対しても男前であることを知っているから、うっかり惚れてしまうことはないが、いや正直に言えばうっかりドッキリしてしまった。宍戸先輩、ちょっとこのときめきの責任とってもらえないだろうか。
「〜っ、ば、バカ野郎っ!!」
気付いたときには手遅れだった。
真っ赤になった宍戸先輩が私を信じられないものでも見るかのように目を見開いたまま見下ろしている。
宍戸先輩の大声で気づかれてしまったのか、はたまたその前の私の独り言が大きかったのか、ぞろぞろと背後に気配を感じた。
「聞き捨てならんわぁ、詩織ちゃん、そこ代わり。俺が洗い物終わらせたる」
「いや俺がするぜよ。任せんしゃい」
恐る恐る振り向いたら、予想通り忍足先輩と仁王さんである。
「いやいいです。私と宍戸先輩の二人っきりの癒しの時間を邪魔しないでください。あと、仁王さんはパンダ66号を勝手に触らないで下さい」
仁王さんの手にはまったパンダパペットを取り上げてから、しっしっと追い払うように手を動かしたら、何故か二人ともしょんぼりしていた。
「さっ、宍戸先輩やっちゃいましょう!」
「な、何をだ?!」
「へ?洗い物ですけど?」
「っ?!そ、そうだな!!そうだよな!!!」
すごい大声で頷いた宍戸先輩は何度も頷いて見せてから一心不乱に皿洗いを始めた。
何故か後ろで滝先輩が大笑いしていたけど、一体なんなんだろうか。相変わらず読めない人である。
「じゃあな、騒がしくしてすまなかったな」
「いやいいですよー。なんかもう慣れました」
玄関で跡部様の台詞に首を振る。
「でもでも、本当に忍足になにもされてなくてよかったCー!」
「ウス」
「まさか仁王さんがいるとは露程も思いませんでしたけど」
「プリ」
ジロー先輩と崇弘くんはどれだけ心配してくれていたんだろうか。そして長太郎くんは相変わらず宍戸先輩以外には辛辣だと思う。
「もう抜け駆けすんなよ!クソクソ侑士!」
「悪かったって言うてるやん」
「……反省しているようには見えませんけどね」
忍足先輩は、岳人先輩と若くんに睨まれて肩を竦めた。でも確かに練習サボっちゃいけませんよ。うん。
「……ま、まぁ。それじゃあな」
「ふふー、まだ顔が赤いねー?宍戸♪」
「う、うるせー!」
宍戸先輩が滝先輩の肩をばしっと叩いて、それを見た跡部様は長いため息をついていた。
「……おやすみなさい!みなさん!」
「あぁ」とか「おやすみー」とか同時に皆から返事がきて、笑ってしまう。
手を大きく振って見送って、部屋に戻ったら誰もいない、がらんとした空間に寂しくなった。
だけど部屋に残った温もりにまた自然と笑っていた。
「……たこ焼きくさいし」
パンダくんたちの体臭が変わっていたけど、それが何故だか嬉しい。
音楽以外の居場所を、私はその時きっと確信したのだ。
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