重症な恋煩い
「……あっ」

短く発した音に電車内の乗客数名が俺をちらりと見る。ごほんごほんっと咳き込んで口元を手で押さえた。
窓の外を眺めれば、景色が早いスピードで移り変わっていく。

(……何しとるんじゃ、俺は)

気づいたら東京行きの電車に乗っていたなんて、俺はだいぶ疲れとるじゃなかろうか。
いや確かに朝から昼過ぎまでの部活練習はきつかったぜよ。夏の暑さも厳しく、水分補給をこまめに取った。
だが何故その疲れた体で一人東京行きの電車に乗っているかというと、たぶん理由は明白だ。
耳の奥で繰り返し流れるヴァイオリンの音色と、脳裏に浮かぶ彼女の笑顔に胸の奥が切なくなる。

「……せめて一目だけでも会えたらいいんじゃが」

プールではまともに会話できなかったし、そのあとメッセージを送ってみたものの、スタンプ押したら会話が途切れた。いやメールの時からやり取りは続かなかったから、そうなることは予想の範疇じゃ。

電車を乗り替え、夢野さんの自宅近くの最寄り駅に向かう。
夢野さんの今の自宅を何故知っているかというと、合宿中に集めた情報と本人に鎌をかけたからだ。その時にぽろりと自宅の住所を喋った夢野さんは慌てて話を変えていたが、俺は脳内で繰り返し記憶した。
もちろん、彼女はうまく話を誤魔化せたと思っていただろうが。

「……ここじゃな」

顔をあげれば父親が唸りそうな高層マンションが立っていた。
神奈川の頃の自宅も庭付きですごく大きかったし、やはり夢野さんはいいとこのお嬢さんなのだろう。まぁ本人はかなり庶民的だが。無自覚なんだろうなと息を吐いた。

ここの最上階の角で右手に端の部屋の窓からバス停が見えることもわかっている。なので番号はすぐにわかった。

ふうっと深呼吸してから震える手を少し落ち着かせる。
時計の針はちょうど三時半を示していて、番号を打ち込んだあと呼び出しというボタンを押したときには、秒針の音が心音と妙に重なったような錯覚に陥った。

長い呼び出しのあと、ふいに空気の音が変わる。

『……なんで仁王やねん。今、取り込み中やから帰ってくれるか?』

機械を通した音声でもはっきりとわかる声音にドキドキしていた胸が凍りつくのがわかった。
なぜ氷帝の忍足が夢野さんの自宅の中にいるんじゃ。

「ちょ、待ちんしゃい。なぜお前さんがそこにいるんじゃ?!」
『むしろなんで自分が詩織ちゃんち知っとるん?ほんま本格的にストーカーやないか』
『んんっ、ほひはひへんばひっ!!に、仁王さっ……んー!!』
『詩織ちゃんは今取り込み中やから。ほな……って開けたらあかんって!』

俺の名前が呼ばれて夢野さんと忍足の声が重なったあと、ピピッとホールへの入口が開かれる。俺は何を考える間もなく走った。
エレベーターがちょうど一階に止まっていて、ボタンを押せば扉が開いたので急いで階を押す。

無意識に電車に乗り込んでいたのは、このことを感じ取ったんじゃなかろうかと思った。
他に誰かいたかもしれないが、でもさっきの雰囲気からだと、二人っきりのような気がしたのだ。

「あぁもうこれだから不安なんじゃ」

じわりとかいた汗に気持ち悪くなってがりがりと髪の毛をかく。
扉を開けてくれたのは夢野さんだ。
きっと俺に来てほしいということで、間違いない。つまりは、忍足が何かしらアクションをとっていたに違いないのだ。
確かプールのとき、忍足も相当ダメージを受けていたし、あいつもだいぶ夢野さんに執着し始めたのだろう。
同じ学校というだけでも忍足に分があるというのに、まさか自宅にまでおしかけているとは。

「……プリッ」

また深呼吸してから、部屋の前のインターホンを鳴らすのだった。

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