『……もしもし……流夏ちゃんだよね?……わかってるよぉ……だって、いつも……悩んでる、とき……電話くれる……る……かちゃ』
「……すまん。もう寝とったんやな。俺や、光やけど」
『ん……?…………、っ!!』
電話の向こうで何や慌ててるんがわかるような物音が響いた。それから詩織の小さな悲鳴。
時間はまだ十時半回ったくらいやったから、起きとる思ったけど、どうも声の様子から寝とったらしい。
俺を流夏とかいうあの性格悪そうな女子と間違えるくらいやから、かなり眠りは深かったんやろう。
『……ひ、光くん!ご、ごめんねっ!寝惚けてたっ!!』
「いやこっちこそすまんな。自分のことやからまだヴァイオリン弾いとる思って電話してん」
『きょ、今日はその、すごく眠くて!』
さっき寝惚けながら悩んでるときとか言うてたやろ。そう頭の中でつっこみをいれつつ、詩織の声がどこか元気がないことに気づく。
「……何かあったん?」
『な、なん、なななんもないよ?!』
「嘘つけ。アホか。そんなどもって何言うとんねん」
今のは表情もどんなんやったか想像すらつくわ。と毒を吐きつつ、電話をかけようと思ったときの胸騒ぎがまた襲ってきた。
「正直に洗いざらい吐かんか」
『な、なにも、ないってば!やだなぁ、光くんはー!もう私、眠いから寝るねぇ』
「……わかった。詩織が正直に吐かんみたいやし、俺、今から夜行バス乗ってそっち行くわ」
『え?!も、もう十時半過ぎてるよ?!』
「最終やったらまだあるっちゅーねん。朝にはつくからな」
問答無用で通話終了を押したあと、斜めかけのボディバッグに財布と携帯電話とタオルと飲みかけの水が入ったペットボトル、それからイヤホンを放り込んだ。
それから机の上に置いてあった鍵束をつかんで、玄関を急いで出る。
自転車に鍵さしてペダルを勢いよく回した。
迷ってる暇なんてない。
ただ、この胸騒ぎにぎゅっと唇を噛み締める。
胸ぐらをどんどんっと叩いて、焦る気持ちを抑えようとした。
冷静になれと俺の中の誰かが叫ぶが、そんなん言うて誰かに盗られたらどうすんねんとまた別の誰かが怒鳴る。
「あー……っ、やっぱこのリアル距離ムカつくわぁ……っ」
触れたいときに触れられへん。
側にいたいときに側にいかれへん。
「くそったれ、ほんまふざけんなや!」
たちこぎして、イライラを全部スピードに変えた。
あのふにゃっと笑う詩織の顔が浮かんでは、それが俺やない誰かに向けている絵に変わる。それだけは嫌や。
「待っとれや、詩織……っ」
口から漏れた台詞は夜の闇に溶けていった。
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