大混乱の夜
「……それじゃあまた、ね」

「う、うん……」

去っていくリョーマくんに向かって目線を外して俯くしか出来なかった。
心臓がドクンドクンと無意味にでかい音をたてている。うるさい、どうしよう、なんだこれ。

「おい、お前、アイツの猫を撫でるんじゃなかったのか」

「え、あ!ほ、本当だっ、ちくしょうリョーマくんめ!約束を反故にするなんて!」

若くんに言われて精一杯声を張り上げてみたが、どうにも空回っている気しかしなかった。

「……そ、それにしても、若くん、猫を捕まえるのうまいねっ」

「あぁ、猫はよく追いかけてるからな。……いやそんなことは今どうでもいい。夢野、お前何か変だぞ」

猫を追いかけてるってなんで?って言おうとしたのに若くんはそれを遮って、私の体を若くんにくるんっと向けさせる。
ダメだ。今、リョーマくんにキスの悪戯なんてされて顔が真っ赤なのに。

「…………お前、越前に何かされただろ」

「え?いやその、な、何もされてないよ?あははっ」

「嘘が下手だな、お前は。……唇のやつ、取れてる」

心臓がまたびくんっとなった。
なんで若くんにバレるんだろう。
ただでさえ恥ずかしいのに、余計目も当てられなくなっちゃうじゃないか。

「いや、これは夕食をご馳走になったときに!」

「そのあと、またつけてただろ」

その台詞に驚いて顔をあげれば、さらに私は驚く羽目になった。
若くんの手が左右それぞれがっしりと私の両肩を掴んでいて。
そして若くんの整った顔が目の前で。
もう気付いたときには、私の唇は若くんの唇で塞がれてしまっていた。

「ん、んー……っ!」

若くんの胸を手のひらで押して離してもらおうとしても、運動部の男の子の力になんて敵わない。
どうして若くんにキスをされてるんだろうかとかリョーマくんのすぐ後にまたキスされるなんてとか、もう頭の中はパニック状態である。
しかもリョーマくんの時とは違って、一瞬じゃない。全然離してくれない。こういうときどうしたらいいんだろうか。息ってどうすればいいんだっけ。少女漫画の展開を思い出そうとか無駄なことを思考しているうちに、肩を掴んでいた若くんの手がするりとそのまま私を抱き締めるように背中に回った。

「……んっ」

若くんの舌が唇の隙間から少しだけ侵入して私の歯を軽くなぞる。

「っ、はぁ……夢野、その、悪か──」
「ぷはっ!……うぅう息できなくて死んじゃうかと思った……っ」
「──ばっ、なんで呼吸を止めてるんだ!鼻で息できるだろ」

やっと離してくれた若くんの胸元を軽く叩いてそう言ったら、彼は真っ赤な顔で私を心配そうに見ていた。
怒った口調なのに、いつもより優しい気がする。

「……悪かった。いきなり、こんなことを」

「……なんで、こんなこと……」

唇を離してもらったとはいえ、私はいまだ若くんの腕の中で。
静かな公園の中という状況に、そわそわと落ち着かなくなる。いやうるさい街中でもたぶんもっと落ち着かないと思うけども。

「……越前にされたことを、消したかっただけだ」

ぽつりと漏らした若くんは、私の額に屈みながら自分の額をくっつけてくる。瞼を閉じていて、眉尻は少し下がっていた。

「すまない、キスなんてするつもりはなかった。ただ、お前が越前にキスされたんだとわかって、……腹が立った。動揺してるお前も、越前にも」

「……腹が立ったって、なんで……?」

「それは……わかるだろ。……お前にとって俺はどう映ってる?」

背中に触れている手が少し震えた気がする。

私にとって若くんは──……

「そ、そうか!大切な友達が悪戯されて腹が立ってて、今後その悪戯でからかってくるであろうリョーマくんの思惑を意味のないものにするために?!」

「………………は?」

若くんが私を女の子として意識してないことは、もう今日の宿題の最中で十分にわかった。私は同じ轍は踏まない。穴にも入らない。

「だから大丈夫だよ!私、すぐに忘れるから!寝て起きたらもう忘れてるから!」

「いや、ちょっと待て」

「……ねぇ、若くん!!私のこと、大切な友達だって言って」

額を離した若くんの胸元に今度は私が顔を埋めた。
トクントクンッと若くんの心臓の音が耳に心地いい。

「……夢野……、……お前は、俺の大切な……そして特別な友人だ……」

その台詞にじわりと胸の奥が熱くなった。

「ありが、と……!私、ここからもうダッシュで帰るね!!送ってくれて、それからっ変なことに付き合わせて、ごめんなさい!おやすみ!!」

「待て、夢野!」

若くんの制止を無視して全速力で駆け出す。
本気を出した若くんに勝てるはずはないし、すぐに追い付かれてしまうかもしれない。だけど、きっと若くんは追いかけてこない。
でも歩いてたんじゃ気が変わるかもしれない。だから精一杯走った。
マンションについた頃は息切れが激しかったし、エレベーターの中で踞ってしまったけれど、それでも安堵していた。


ゆーし<今から風呂入るわ。詩織ちゃんはもう入ったん?


幸村精市<……ごめん。ただ返信がなかったから。何かあったんじゃないかと思って。何もなければいいんだ。すまない。


表示されるメッセージに返信する気が起きない。


日吉若<無事に帰れたか?……それだけ教えろよ。友達なんだろ。


「……どうしよう」

忍足先輩や幸村さんのメッセージも、若くんやリョーマくんのことも。
全部が全部、私に意識させる。
彼らは男子で、私は女子なんだって。

きっと彼らはそんなつもりまったくないんだ。
いや女子だとは思われてるから、からかわれたりするけど、たぶん私がこんなにもドキドキしてパニックになってるなんて思わないんだろう。

≪詩織センパイ、怒ってる?帰ってから反省してみたんだけど……面白がってごめん。……ちゃんといってなかったけど、違うから≫

リョーマくんからのメールに、違うからの意味を考えた。
やっぱりこれは、勘違いするなってことだろうか。面白そうだからしたわけであって、意識するなよと。
だとしたら無理難題過ぎる。
悪戯でキスされてドキドキ意識するなとか悪魔だ。

「もうやだ。……シャワー浴びよう」

ぺしんっと頬を左右から叩いて気合いをいれた。
明日はめちゃくちゃヴァイオリンの練習をしよう。

そして今日はシャワーを浴びたら寝ようと思った。
面倒な考えは、寝て忘れるのが一番に決まってる。

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