「は?」
問いを読んでもまったく頭になにも浮かばないんだけどと続けたら、アホの子を見るような目で若くんが私を見つめる。眼鏡をかけているからか、なんだかその視線が普段よりも輪をかけてバカにしているように見えた。
「どこのことを言ってるんだ」
面倒そうに若くんが私の隣に座る。それから私の広げているノートと教科書を見て「……あぁ、これか」と呟いた。
若くんの綺麗な顔がすぐそばにあって、普段より大人びて見えるのもやっぱり眼鏡のせいなのかなとか考える。
「……おい。ちゃんと聞いてるのか?」
「はっ!ごめんなさい、聞いてなかった!若くんの横顔に見とれてた!」
「なっ……!」
顔を真っ赤に染めた若くんにニヤリとしてしまう。やっぱりいつもの若くんだ。
「……はぁ、お前……人の気も知らないで……いい加減にしろよ」
頬杖をついて、私の頬をつねった若くんの唇が意地悪そうに弧を描く。
その表情がまた大人っぽく見えて、私は慌てて教科書を立てて壁を作った。
何かおかしい。なにやらバクバク心臓が煩くなってきた。いや、若くんのお家についてからそわそわして落ち着かなかったけども。今はそれだけが理由じゃない気がする。
「何を隠れてるんだ」
「ごめん、ごめんなさい!若くんから何か変な色気が出てる!!忍足先輩みたいっ!!」
「は、……お前はまたっ」
何かがイラッとさせてしまったらしい。
若くんが無理矢理私の教科書を力付くで奪ってきたので、私はその場から立ち上がって逃げようとした。だけど慣れない正座をしていたせいで、足が痺れたのかうまく立ち上がれず、斜め後ろに倒れてしまう。
「いっ……たぁ。足が痺れて……」
「…………っ」
立ち上がって逃げようとしていたのがバレていたのか、それを阻止しようとした若くんは、倒れてしまった私のせいで巻き添えを食らってしまったらしい。
顔をあげたら倒れた私に覆い被さるように若くんが体勢を崩していた。
「ご、ごめ、若く──」
「夢野」
「──ん?」
名前を呼ばれた瞬間、身動きできなくなる。
「いつも、何もつけてないだろ。なんで今日に限ってつけてるんだ」
質問のようでそれは質問じゃなかった。
一瞬何を言っているのかわからなかったが、視線からリップグロスのことだと気づく。
「え、あの、流夏ちゃんがくれたのでせっかくだからと……」
「……そう、か。……どうせお前のことだから本当にそれだけなんだろ」
自嘲気味に鼻で笑ってから、若くんが体勢を戻す。
それから私のことも腕を引いて起こしてくれた。
「……ここはこっちの応用問題だ。この公式さえ覚えていれば解けるはずだ」
私から目線を外して淡々とさっき私が尋ねた問題の解き方を教えてくれる。
何故だかその横顔が悲しそうに見えて、私はどうしたらいいのかわからなかった。
ただすごくもやもやして頭の中がいっぱいで。
「せ、せっかくだからつけてみたいってのもあったけど、若くんの家に行くから!昨日から服も悩んだし、髪型も変えようと思ったのも、リップグロスを塗ったのも、若くんと会うからで!だからうまくいえないけど、若くんの眼鏡姿すごく楽しみにしてて!」
そこまで声に出して、若くんに抱き寄せられたので黙った。
「煩い、馬鹿夢野」
「ご、ごめんなさい」
「……期待するだろ」
何を、と聞けなかった。
ただ若くんの心臓の音がずっと聞こえていて、それが今は心地いい。でもそれに甘えてはいけない気がした。あれだけ必死に言葉を並べてしまった後だが、もしかして若くんの望む形って友情じゃないんじゃないかなって思って。
若くんは大切な友達で、素敵なお隣さんで。
私は今はその距離が好きで。
「……夢野。早くこのページを終わらせろ」
色々なことがぐるぐるして思考回路がショートしそうになっていたら、若くんがシャーペンで私の額を小突いた。
いつのまにか若くんは私を離していて。
いつもの涼しげな表情で教科書をとんとんっと指で叩くもんだから「え!私、ただの自意識過剰?!」と叫んでしまう。
「この距離で叫ぶな。バカ」
「え、あ、ご、ごめん?」
は、恥ずかしい!何を勝手に思い込んだんだろう。若くんがもしかしたら私を女の子として意識してくれてるんじゃないかなんて。
そもそも若くんという素敵な男の子が私を、なんておこがましすぎた。
「穴があったら入りたい〜……」
「いやそんな無駄なことはしなくていいから、早く解け」
両手で顔を覆った私に若くんが軽くチョップしてくる。でも私はあまりうまく反応できなかった。また自分の世界に逃げてブツブツ独り言を繰り出していたからだ。
「……フン。難攻不落の城なんか……いつか俺に無血開城してもらうからな」
だから若くんがポツリと呟いた台詞なんて聞こえなかったのである。
それからちょうど若くんに指定されたところまで宿題を進めたとき、若くんのお母さんがやってきて夕飯をご馳走してくれた。
若くんのお父さんや、お祖父さん、お祖母さんも一緒でかなり緊張して。
自分自身が何を口走ったのかもわからなかった。
残念だったのはお兄さんを見れなかったことだろうか。若くんに似ていたら、数年後の若くんはこういう風に成長するのかとか想像できたのに。
「……煩かっただろ」
「ううん!すっごく楽しかったよ!えへへ、久し振りに家庭って感じだったもん」
「……夢野」
帰り道、私が笑ったら若くんが困ったように眉間にシワを寄せる。
「あ!だ、大丈夫だよ!私は元気だ!!」
若くんが送ってくれると言ってくれて、また自惚れそうになった。でもやっぱり私の境遇で気を使わせてしまっているだけなのかもしれない。
だから精一杯元気だとアピールするために両手を鳥みたいにバタバタさせる。
「……はぁ。まったく……お前は」
気づいたら若くんに頭をポンポンと優しく撫でられていた。
その時の若くんの表情がすごく優しくて、思わず見惚れてしまう。
「な、なんだよう。若くんは私のハートをルパン三世か!!」
「は?何を言ってるんだ」
「じゃなきゃ石川五右衛門か!」
「いやちょっと落ち着け」
深呼吸したら少し落ち着いてきた。
そして若くん家に向かうときにも通った小さな公園に通りかかったときだった。
「……ほぁら」
独特な鳴き声で鳴きながら、ふわふわの毛並みの猫ちゃんが飛び出してきたのは。
「あ」
「ん?」
そしてその猫ちゃんがどこかへ消えたと思ったらリョーマくんと遭遇したのだった。
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