エレベーターからおりて、自分のマンションの部屋の玄関扉を開けて中に滑り込むと、私はぐったりと靴箱の横で座り込んだ。
五キロのお米の入ったスーパーのビニール袋はがさっと乱暴に落としていた。
マンション前で皆さんと別れるとき、もうこれでもかというぐらいお礼をのべて。
最後まで送るよ!と頬を膨らませたジロー先輩には、前回のことがあるので今回は遠慮させていただいた。ジロー先輩にってなったら、たぶんスーパーと同じで忍足先輩たち皆で来そうだったからもある。
スーパーでもちょっと、いやけっこうかなり恥ずかしかったし。プールと同じで楽しかったのは楽しかったのだけど、皆さん目立つので変な汗が出るのだ。
「……お米を米びつに入れて、お風呂……は掃除が面倒だからシャワーでいっか。んと、それから……」
お米を洗うのが面倒だったので無洗米を買った。
これで水さえ合わせて炊飯器のスイッチを押せば完成である。文明の利器ってすごい。
今日はプールで疲れてたので、おむすびだけにしようと思った。宍戸先輩に怒られそうだけど、いかんせんもう体力がない。はしゃぎすぎた。
そんな時だった。
ピロリンっとスマホが音を鳴らしながら小さく震えたのは。
「……え?」
画面を見れば、ついさっき別れたばかりの若くんからのメッセージで。
日吉若<下に降りてこい
パンダ詩織<ほわい?
日吉若<忘れ物だ
何か忘れただろうかと、自分の荷物を確認してみるがわからない。なのでひとまず、急いでマンションの下に降りることにした。
玄関ホールを出て、マンションの入り口にいけば、若くんが立っていた。
他の皆さんはいない。
「若くん、ごめんね。忘れ物って何かな?」
「あぁ。先輩らがいたから、さっき言えなかった。明日は朝から晩までテニス練習だが、学校側の都合で明後日は午前中しかテニスコートを外も中も使えない。その為、午後から空いてる」
だから、と若くんが一度こほんと咳き込んだ。
「だから、宿題をしないか。……その、俺の家で」
私を見つめながらそう言った若くんはなんだか眩しかった。
でも真っ直ぐ見つめられているようでどこか視線が噛み合わない。
だから、もう少し若くんに近付いてみる。
その瞬間に勢いよく目線を外された。
「……っ、勉強教えてやってもいいって言ってるんだ」
「うん」
「……な、なんだよ」
「……眼鏡着用?」
「あぁ」
「おやつあり?」
「……あぁ」
「じゃあ行くよ!約束ねっ」
短くあぁとしか答えない若くんが異様に可愛かった。約束っと小指をたてた右手を若くんの右手の前に差し出す。
若くんは「あぁ」とまた短く頷いてから、私の小指に自分の小指を絡ませてくれた。
むずむず背中がかゆくなったので、指を離す。
若くんは絶対に目線を合わせようとしなかったが、バイバイと手を振ろうとしたところで、若くんが私の額を指で小突いて、次の瞬間には走り出していた。
小さくなっていく背中を見送りながら、自分の小指を見つめる。
不思議な感覚だった。
それから忘れ物ってこの約束のことかなって思って、メッセージアプリとかでも言えるのにわざわざ引き返して戻ってきた若くんに口元が緩む。
胸の奥に温かさを感じながら、私は自分の家で鼻唄混じりにおむすびを握った。
具材を三種類ぐらい詰めた巨大おむすびである。
いろいろな味が楽しめるこの巨大おむすびに一人感動していたら、この巨大おむすびがテニス部のみんなみたいだなとか考えた。
個性の強い具材が一つのおむすびに詰まっている様子は、賑やかなテニス部のみんなそのものだ。
食べたらまたヴァイオリンを弾こう。
今ならきっと幸せな音が出る。
今日は何故かそう確信していた。
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