柔らかくて冷たい感触が額に当たって、青空を隠すように私の上に覆い被さるような形になっていた不二さんの顔が綺麗に微笑んでいた。
さっき一瞬だけ綺麗な瞳がはっきりと私の間抜けな顔を映していたが今はいつものように細められている。
「え?」
もう一度同じように一音だけ繰り返して、まじまじと不二さんの整った顔を見つめた。
「っ、兄貴っ!!」
裕太くんの慌てたような声が聞こえて、私が仰向けから上体を起こそうと浮き輪を持つ手に力を込めようとした瞬間「ダメだよ。僕から目を離しちゃ」と不二さんが笑った。
と思ったら、私の体は裕太くんの方向を見ることなく、沈んだのだ。
「ごぼぉっ?!」
いや、沈んだんじゃなくて。沈まされたんだ。この綺麗な天使のような顔した小悪魔さんに!!
浮き輪に体重をかけて私をひっくり返したんだろう。不二さんってこんな悪戯っ子みたいなことする人だっけと思いつつ、たまにする人かもしれないと納得する。
納得したけど、許すまじ。
鼻から大量に水が入ったじゃないか。
「ぐぬぅ不二さん、許さぬっ!」
「わっ?!」
呼吸のために顔を水面から出したあと、不二さんの細めの身体に飛び付いたら、意外と筋肉あってそこでやっと男の子だったとか思い出して恥ずかしくなったけども、もうここまできたら、仕返しに不二さんを沈めないと気がすまぬ。というわけで、そのまま抱き付くような形で不二さんを沈めてみた。
そのあと手を離して顔をあげたら浮き輪が大分流されてて、私と不二さんも流されてて、仕方がないので不二さんと水の掛け合いしながら一周して帰ってきたら、さっきの場所で裕太くんと流夏ちゃんとちーちゃんとタマちゃんがドリンク片手に待っていてくれていた。
「……あのね、不二さんがっ悪いっ!!」
「わ、ひどいね」
「いいのよ、詩織。いい写真が撮れたから」
「あ、それ欲しいな」
ちーちゃんが完全防水のスマホの画面を見せてくれてそれをみたら吹いた。不二さんが私に覆い被さって額にチューしてて吹き出すしか選択肢なかった。
やっぱりあれは不二さんの唇だったのかと今更照れる。そして一体なんでそんなことされたんだろうかとか写真あげないで!っていっても無駄だろうなとか思っていたら、流夏ちゃんが悪そうな顔で口元だけで笑ってたから二度見した。
「る、流夏様?ご機嫌麗しゅう?」
「んー?不二さんには後で話したいことがあるけど、まぁ今は予想以上にダメージ受けたらしいあの人たちが面白かったから良し!」
「ふふ、突撃してこなかったね?」
流夏ちゃんと不二さんは一体なんの話をしているのだろうか。
二人してどこかを見てアイコンタクトをとっていて、私の額じゃなくて流夏ちゃんの額にすればよかったのにとか思った。
「な、なぁ……」
タマちゃんが「そろそろ〜お昼にしましょ〜」とのんびり笑って言ってテラスのフードコートに移動していたら、裕太くんが私の背中をツンツンしてきた。まぁラッシュガードに包まれてるのでくすぐったくないぜ!って思ったら悪戯じゃなかった。振り向いたらすごく真面目な顔だったので、私も表情を取り繕ってみる。
「なんで兄貴と……その」
「あ、ごめんね!置いていったから怒ってるよね?!違うんだよ、置いていきたかったわけじゃなくて!たぶんスライダーに飽きてたんだと思う!不二さん!!たまたま私しか残ってなかったからっ」
さっき置いていったことを謝れば、裕太くんは困ったように笑った。
「……バカだな。お前のこと忘れてた」
「え!忘れられてたの?私?!」
「ち、違う!バカ!!……そうじゃなくて、夢野は……夢野だよなってこと」
「ん?」
首をかしげて大袈裟に手振りでクエスチョンマークを飛ばしたら、裕太くんは「あーもう!」と私の手首をつかんでぐいっと身体を引き寄せる。
驚いたけど、どうやら前を向かずに歩いていた私は男性にぶつかりそうになっていたらしい。
「……はぁ、ほんと、放っておけないんだけど」
「あはは、ごめんね、ありがとう。あと、なんかそれよく言われるかも。流夏ちゃんにも常に言われてるし……」
「氷帝で迷子とかになったり?」
「そうそう、転入してきたときは大変だったー」
話しながら、そういえば裕太くんずっと手首を掴んだままだなとか考えながら、そんなに私ふらふらしてるかなと自分が心配になった。
前を歩いてる流夏ちゃんたちの背中を見ながら、皆に比べたら確かにふらふらしてるかもと反省する。
「俺が一緒の学校だったら……」
「ありがとー。でも大丈夫だよ!ちーちゃんもタマちゃんもいるし!」
「でも、おと──」
「あとね、若くんもいるから」
「──こ、っ……」
だから大丈夫だよ!と私は裕太くんの手を手首から外してもらうことにした。
手首だとなんか連行されてるみたいだよねと笑ったら、外したはずの裕太くんの手が今度は私の手を握っていた。
「い、今……ここにいるのは、俺だから」
「え……」
繋がれた手を見て、前を歩き出した裕太くんの横顔を見たら、すごく赤くなってて。
かぁっと体温が上がって私の視線は繋がれた手で。でも恥ずかしくなったのでぎゅっと瞼を閉じた。
そのせいで振り向いたちーちゃんがまたスマホで私と裕太くんを撮ってたなんて気づけなかった。
でも仕方がない。これは顔をあげられない。
どういうことだ。不二さんといい、裕太くんといい、なんでこの兄弟さんは二人で私なんかを照れさせるのだ。むしろドキドキさせて全部どっきりとかじゃないかなとさえ思う。
「夢野さんは何食べる?」
フードコートのお店の前についたら、不二さんが振り返って、私と裕太くんの手が繋がっていることに気付いたのかクスッと笑われた。
それから隣にやってきて、わざわざ私の耳元でもう一度囁かれる。タマちゃんが興奮したように叫んだから、たぶんこれ横見れないけど、息があたった感じから不二さんの顔は私の耳の真横だ。
「何食べたい?」
「……る」
「ん?」
裕太くんの手を握る力が強まった気もして。
もう限界だった。
「るるる流夏ちゃんっっ!!」
「詩織、私は食べ物じゃない」
涙目で叫んだら、流夏ちゃんが超冷たい目で私にチョップしてきた。
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