きっと平古場さんを通してウザー王子のことを思い出したのだって、この教訓を忘れるべからずという有り難い神様からのお告げに違いない。
そうだ、そうなのだ。
「畜生、佐伯さんめ!」
このバクバク煩い心臓音をどうしてくれる。
何故か佐伯さんに後ろから抱き止められた時に、前の合宿で若くんに同じような形で抱きしめられたことが一瞬頭の中に浮かんだ。いや、あれは結局首を絞められていただけだった気もするが……。
だからかはわからないが、余計に心臓が煩い。
大体、耳元で囁くのだけは止めて欲しい。私に腰を抜かして欲しいならば正解だが。
「……そういえばウザー王子のちゃんとした名前、忘れてる」
知恵熱が出るんじゃないかってぐらい色んなことを考えた。
その一つを口に出しながら、榊おじさんの部屋のベッドにダイブする。
……船の中だってことを忘れてしまうぐらいの気持ちよさだ。きっと、この羽毛布団高いんだろうな。
「……ん、あれ?」
自分自身のことだが、よくこれほど考えが次から次に移り変わっていくなと感心しながら、不意に手に持っていたヴァイオリンケースに目をやる。それから、パンダリュックの中に入れていた携帯電話を取り出した。
「……おかしいな、榊おじさんや跡部様なら、電波届かないとか考えられなさそうなのに」
部屋の中をぐるぐる歩き回ってみてもいっこうに電波がよくならない。
ずっと圏外なんて、妙な気がした。
その時である。
ドォン……っと低く唸るような雷鳴が轟いたのは。
そして次に雨粒が窓をうち、私が高級そうな絨毯の上に尻餅をついた頃には、ザァザァと大量の雨が音を立てていた。
さらに船体が大きく揺れ、その衝撃は明らかに何かにぶつかったものだ。
ガクガクと体中が震え、なんとかベッドのシーツを掴むことに成功する。
なお鳴り響き続ける雷の音に呼吸が乱れていった。
「やだ、やだ、やだ!おかあさん、おとうさんっ……いやだいやだぁっ」
頭の中に響く水音と雷音に冷静さは失われていく。
強風で飛ばされたのは、飛行機の外装。
そうだ、後、右側の端に座っていたアメリカ人のおばさん……
「いやぁあーっ!」
勢いよく何かを引っ張ったら、目の前にパンダリュックとヴァイオリンケースが落ちてくる。
「お母さん、お父さんっ」
何故かその二つが二人に見えた。
もう思考がうまく纏まらない。
「……っ、たす、助けて、怖い、怖いよぉっ」
ガタガタと家具が動き、大きく傾いた船体。
『何があっても部屋から出るな』
榊おじさん、そう言うなら早くそばにきてください。怖いんです、早くしないとお母さんとお父さんが──
「死んじゃう、死んじゃうよぉっ」
「──っ、馬鹿夢野っ!!」
誰かの声がした。
何故かひどく安心する。
「日吉っ、夢野さんは……」
「この通り無事だ」
浮遊感と包まれるような温かさに目から涙が零れる。
「良かったわ。ほんま跡部の制止を振り切って走り出した自分ら見たとき、ヒヤヒヤしたで」
「そういう侑士も跡部の言葉無視してんじゃん」
「そらな、後輩二人が駆け出したんやで?負けてられへんやろ」
「跡部すっげー怒ってるみたいだCー」
「……ま、こんな状態のコイツ放っておく方が激ダサだろ」
「ですよね!宍戸さんっ!でも、どうして跡部さん、あんなに……」
「……さぁな。あの人も何か考えがあったんだろ」
「だろうけどよ。長太郎が疑問に思うのもわかるぜ。あ、若。辛くなったら交代するから言えよ」
「……辛くなれば」
すぐ近くで交わされる会話に、ぼんやりしていた視界がクリアになっていくような感覚を味わった。
「おい日吉っ、自分詩織は大丈夫なんやろうな?」
「見たらわかるだろ」
「何?財前と室町が慌ててた理由ってこの状態?ふぅん、通りで前回合宿参加校の人らが落ち着かなさそうにしてたわけだ……なんだよ、俺だって知っていたら心配したに決まってるだろ」
「落ち着けよ、二人とも。詩織のことは、氷帝のヤツらに任せて……早く俺たちもボートに乗らないとヤバそうだぞ!」
様々な声が聞こえてくる中、その少し開けた視界に映ったもので唯一覚えているのは、雨に濡れる若くんの横顔だった。
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